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秘湯めぐりの旅(44)
<蘇鶴温泉・小藪温泉−高知県・愛媛県>
2002.1.12-14
インデックス
1/12蘇鶴温泉 | 1/13小藪温泉 |
*2002年1月12日(土) 丸亀→龍河洞→桂浜→蘇鶴温泉
・四国へ向かう
東京駅から新幹線「のぞみ」に乗車し、岡山駅で特急「しおかぜ」に乗り換えて、瀬戸大橋を渡って四国へと入ってきた。しかし、何度通ってもこの瀬戸内海を一跨ぎにする橋は不気味に思う。列車が通過するときの振動やたわみを感じ、眼下に広がる紺碧の海に落ちたらどうなるんだろうと考えてしまうのだ。そんな心配をよそに、10分ほどで橋を通過して、再び陸地走行へと戻った。多度津駅で下りて、レンタカーを借りようと思ったのだが、あまりにも閑静な駅前で、レンタカー屋もないと言う。仕方がないので、普通列車を待ち、2駅戻って丸亀駅で下りて、やっと駅前にレンタカー屋を見つけた。もう昼を過ぎていたので、ここで、車を借りるついでに美味しい讃岐うどんの店を聞いたら、宇多津町の「おか泉」を教えてくれた。とりあえず、そこへ向かうことにしたのだが、なかなかこしのあるうどんで、名物をたらふく賞味することが出来た。感謝!感謝!腹を満たしてからは、坂出インターで高速に乗り、高松自動車道、高知自動車道と乗り継いで、高知県へ直行し、南国インターで下りて龍河洞を目指した。
・龍河洞に入洞する
日本三大鍾乳洞の一つ龍河洞は、初めて中学校の修学旅行で行って以来4度目の訪問となるが、あまり変わっていないようにも思われた。私は、こういう古くからの観光地が好きだ。この季節に鍾乳洞を訪れる人は少ない。閑散とした中になんともいえないレトロムードが漂っているのだ。アーケードのように連なる土産物屋や飲食店、そして、その呼び込み、真冬だというのにアイスクリンを売っている。そんなところにかつて新婚旅行客などでにぎわったであろう昔を思い出させるからだ。ぶらぶらと土産物屋をのぞきながら歩いて来たら、エスカレーターが新設されていてびっくりした。それに乗ったら、らくらく鍾乳洞の入口まで来てしまった。やはり、少しは変化しているのだ。入洞料1000円也を払って中に入っていったが、パンフレットには、「海中より隆起して1億7500万年の歳月が神秘的な石の芸術、ファンタジックな自然の造形として今日に伝わる。」と書かれている。しかし、洞内の天降石、玉簾の滝、万象殿などの鍾乳石や石筍を見ていると、どうしてこんなすばらしいものを自然が造り出したんだろうと感嘆してしまう。龍河洞は、山口県の秋芳洞ほどのスケールはないが、石の造形はみごとだ。特に、出口近くにある“神の壺”は、2000年余り前の弥生人が残した土器が、石灰華に包まれたもので、ほんとうに神々しい感じさえする。こういうものは何度見ても良いものだ。所要時間30分ほどで出てきて、山を下り、龍河洞博物館にも立ち寄ってみた。ここで、鍾乳洞の成り立ちについて学び、隣の珍鳥センターへも入ったが、特別天然記念物に指定されている尾長鶏がいた。ほんとうにみごとな尾っぽだが、あの狭いケースの中で、ずっと育てないと、長い尾にならないそうで、ちょっとかわいそうな気もした。そこを出てからは、龍河洞スカイラインを通って高知市内へと向かった。
玉簾の滝 | 神の壺 | 奥の千本 |
龍河洞の公式ホームページへ |
・桂浜へ向かう
後免を経由していったが、ここからは、土佐電鉄の路面電車と平行して走るので面白い。ここの電車は、車両のデパートと呼ばれているくらい、いろいろな形の路面電車が走っているのだ。ヨーロッパから輸入したものもあって、鉄道ファンにはこたえられないところだ。そんな、車両と何台か行き交いながら、高知市街へと入ってきた。市街には、見所も多いが、今日は時間も限られているので、市街地は明日にして、一路桂浜を目指すことにした。よく高知県民気質を「いごっそう」という言葉で表す。頑固一徹を意味するそうだが、語源は一説によると「一領具足」がなまったものとか。戦国の長宗我部時代、まだ兵農分離のしていない頃、農作業をしながら、畦に槍や具足を用意しておき、いざ合戦の時にはその場から出陣できる心構えを表したものと聞く。武士の魂を持った頑固一徹さを象徴しているそうだ。その県民気質に影響してか、幕末や明治維新期に、先見性を持って逆流に抗して活躍した人材をたくさん輩出している。その中で、最も有名なのが、坂本龍馬であろう。
・「県立坂本龍馬記念館」を見学
その業績を展示した「県立坂本龍馬記念館」が桂浜の高台にあるので、まず見学していくことにした。薩長同盟の立て役者として知られているが、その数々の業績や時代を見据えた先見性には驚くべきものがある。新しい政府では、選挙で指導者を選ぶことまで考えていたとか...。志半ばで暗殺されてしまったのはほんとうに残念でならない。
・夕暮れの桂浜を散策
見学後、日の傾きかけた桂浜に下りてみたが、途中、太平洋を見つめた大きな坂本龍馬の像があって、その偉大な志を象徴しているかのようにも思えた。夕暮れの桂浜もムードがあって良い。波打ち際を歩く人々がシルエットになって、海岸の風景と一体化しているのだ。もっとのんびりしていたかったものの、日が落ちてしまうと、宿への道がわかりづらくなるので、先を急ぐことにした。車を走らせながら海の方を見ると空が鮮やかな茜色に染まっている。そこを何十羽もの鳥の群が飛んでいく。あまりにも、絵になる情景に、思わず車を道端に寄せ、カメラを空に向けてシャッターを切り続けてしまった。その後は、今日の宿、蘇鶴温泉へ一目散に向かっていった。
夕暮れの桂浜 | すばらしい夕焼けと鳥の群 |
ここは、インターネット上で教えてもらった温泉で、高知県では最も古い、古来からの名湯とのことだった。周辺は、山里の田園風景といった感じで、その中にぽつんと一軒宿がある。看板は出ているが、注意しないと温泉とは見分けられないようなたたずまいだ。宿泊用の部屋も5室しかなく、こじんまりとしている。料金も1泊2食付き5,500円(込込)と安かったのだが、湯治場の雰囲気があって、私の好きな感じだった。部屋へ荷物を置くとさっそく浴場へと向かう。大きめな加熱浴槽と小さめな源泉掛け流し浴槽があったのだが、この冷泉浴槽が何とも言えないくらい気持ちよかったのだ。19℃ほどの硫黄を含む源泉にそのまま浸かるというのは、大分県の「寒ノ地獄温泉」と同じような感じだ。最初は冷たくてとても入れないような気がするものの、入っていると徐々に慣れてきて、じわっと暖かみが感じられるから不思議なものだ。そして、沸かし湯の方へ交互に入っていると実に気持ちよくなってくる。いっしょに入っていた地元の人も体に良く効くと話していた。ほんとうに良い温泉で、そのお湯を堪能した。後で、聞くと、なんでもその昔、傷ついた一羽の鶴がこの温泉に浸かって蘇ったという言い伝えがあり、「蘇った鶴」で蘇鶴温泉と言うとのこと。なるほど、鶴も治す名湯かと妙に納得した。浴後、食堂での夕食となったが、この料金としてはまずまずで、お酒を冷やで2合たのんで、美味しく飲みかつ食べた。その後は、部屋に戻って、テレビを見たり、明日のコースを考えたりしながら寝てしまった。
☆蘇鶴温泉に泊まる。<1泊2食付 5,500円(込込)>
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蘇鶴温泉の外観 |
*一般的適応症(浴用)
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
宿 泊 施 設 | 蘇鶴温泉のデータ | |
標準料金 | 1泊2食付 5,500円〜(込込) 毎週火曜日、第2第4月曜日休館 | |
浴室 | 内湯2(男1・女1) | |
入浴料金 | 大人400円 | |
外来入浴時間 | 午前10時〜午後10時 | |
宿泊定員 | 木造2階建 和室5室 計17名 | |
住所、電話 | 〒781-2126 高知県吾川郡伊野町大内中ノ谷1079 TEL(088)892-1788 | |
交通 | JR土讃本線伊野駅より高岡行きバス大内中ノ谷下車徒歩5分 |
蘇鶴温泉の夕食 | 蘇鶴温泉の朝食 |
*2002年1月13日(日) 高知市→窪川→四万十川→小藪温泉
・高知市街へ向かう
翌日は、珍しく寝過ごしてしまい。恒例の朝の散歩に出かける時間がなくなってしまった。それでも、周辺の写真だけでも撮ろうと思って、短時間宿の外へ出た。ほんとうに周辺はのどかな田園地帯で、近くに低い山並みも見える。何枚かシャッターを切っただけで宿へ戻り、今一度、あの名湯に浸かってみることにした。しかし、何度浸かってもよいものは良い。再び湯を満喫して、上がってきてから、すぐに朝食となった。その後は、手早く荷物をまとめ、昨日見残した高知市街へと向かっていった。
・高知城を見学
まず、 高知城 から見学することにしたが、この城は、 天守閣が現存する12城 の一つで、見所が多い。正面の追手門、みごとな石垣と堀、そして本丸部分の天守閣、書院、櫓、門などの建物を完全に揃った形で残し、国の史跡、重要文化財に指定されているからだ。現存する天守は、山内一豊の築城当時のものではなく、創建当時のものを焼失後、1747年(延享4)、山内豊敷の時に、ほとんど同じ工法で再建されたものだ。4層6階の天守は、望楼型の独立式で、最上階に高欄を廻らしていて、見栄えがする。特に、本丸御殿が現存するのは大変貴重で、他には埼玉県の川越城跡に一部残るくらいなのだ。御殿の中にはいると大名生活の一部を垣間見たような感じが出来て良い。また、天守閣に登ると市街が一望できて、一国一城の主になったような気分に浸れるのも面白い。下りてきて、本丸の売店で名物のアイスクリンを買って食べたが、ほんとうに冷たい。冬でも売っているとはさすが南国といった感じがする。
高知城天守閣 | 追手門前から天守閣を望む |
高知市立自由民権記念館 |
・自由民権記念館へ立ち寄る
追手門を出て、脇にある県立文学館にも立ち寄ってみたが、結構いろいろな文学者のことが展示してあって勉強になった。それまでは、高知県ゆかりの文学というと「土佐日記」くらいしか頭に浮かんでこなかったのだが...。寺田寅彦記念室があって、氏の幅広い業績について知ることが出来たのも収穫だった。外に出ると、追手筋では恒例の日曜市が催されていた。農産物だけでなく、骨董品、動物、衣料品、農具、打ち刃物、植木や苗までと様々な物が並べられていて、ぶらぶらと立ち寄りながら2、3買物をした。その後は、市立自由民権記念館へも立ち寄ってみた。正面には「自由は土佐の山間より」と書かれていて、さすがに自由民権運動の発祥の地であり、板垣退助や植木枝盛などが活躍したところだけあって、展示は充実していた。若い女性の館員が、展示解説をしてくれたのだが、いくつか質問したことにも一生懸命に答えてくれて好感が持てた。しかし、明治初期に山間地の村々に至るまで、自由民権の旗が押し立てられ、草の根から活動していたことに驚かされた。それにしても、時の明治政府の弾圧のすさまじいこと、多くの犠牲者が出ていることも心に刻み込まれたのだ。また、植木枝盛の憲法草案「東洋大日本国国憲案」には、主権在民の思想が貫かれていて、当時としては画期的なものだったと感心した。そんな感じで、じっくり見学していたら、昼をとっくに過ぎていたので、記念館で聞いて、近くの店で、高知名物かつおのたたきとちゃんばら貝を賞味した。
高知市立自由民権記念館の公式ホームページへ |
四万十川の沈下橋 |
・四国遍路と四万十川
その後は、太平洋沿岸に出て、左手に海を見ながら、どこまでも西へ向かって走っていった。途中、四国88ヶ所36番札所の青竜寺、37番札所の岩本寺にも立ち寄って、四国遍路のまねごとをしてみたが、白装束に菅笠、金剛杖を突いた遍路旅の人々が一生懸命に祈っている姿が印象に残った。窪川からは、四万十川の清流に沿って走っていったが、途中、増水したときは川に没してしまう、沈下橋が所々に見られ、独特の景観を作っていた。しかし、ほんとうに川は清らかでとうとうと流れている。そんな、川岸をどこまでも走り続け、愛媛県に入って、長途、小藪温泉に至った。
この温泉は、伊予灘に注ぐ肱川上流部の支流小藪川に面して建つ、1876年(明治9)創業の一軒宿の温泉旅館だ。本館は、1913年(大正2)に建てられ、木造3階建、入母屋造・桟瓦葺で、各階とも出桁庇を設けている堂々とした建物で、2000年(平成12)国の有形登録文化財になったとのこと。通された部屋は、別館のトイレ、洗面付きの渓流に沿った十畳間で、ほんとうに良い部屋なので驚いた。さっそく、浴場へと向かったのだが、温泉は、沸かしているもののpH9.5のアルカリ性の強いぬるぬるの湯の掛け流しで、とても気持ちよく入浴できた。長旅の疲れを癒して、ご機嫌になって上がってきた。夕食は本館1階の囲炉裏端に用意されていた。レトロなムードのただよう一室で、さすがに国の文化財だけあって、みごとな造り。そこで、ぐつぐつ煮えている地鶏鍋を囲んだのだが、これがもう絶品で...。囲炉裏で焼いたアマゴの串焼きや刺身こんにゃくも美味しく、料理を堪能し、お酒を飲みながらご満悦。これで、1泊2食付き10,500円(込込)なのだから...。ほんとうに知られざるところに良い宿があるものだ。後は、部屋に戻って、テレビを見ながら、明日の旅程を検討していたら眠くなってしまった。おやすみなさい...。
☆小藪温泉「小藪温泉旅館」に泊まる。<1泊2食付 10,500円(込込)>
小藪温泉「小藪温泉旅館」の玄関 | 小藪温泉「小藪温泉旅館」の外観 |
| *一般的適応症(浴用) 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
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小藪温泉「小藪温泉旅館」の夕食 | 小藪温泉「小藪温泉旅館」の朝食 |
*2002年1月14日(月) 内子→松山→帰途へ
・朝の散歩に出かける
早朝起きだしてきて、周辺を散策することにした。首から、28-200mmズームの付いた愛機をぶら下げて、上流へ向かって歩いていったのだが、四国といえども山間地、この時期の朝は寒く、息が白む。しかし、周辺は、冬枯れで被写体になるものも乏しく、手もかじかむので、2,3枚撮しただけで、宿へ戻ってきてしまった。その後は、朝風呂に入って暖をとり、美味しく朝食をいただいて、8時半頃には出立した。
・内子を散策する
向かうは、古い町並みの残る内子で、 重要伝統的建造物群保存地区 を散策することにした。まず、上芳我邸を見学したが、かつては代々木蝋を生産していた家で、はぜの実から木蝋を生産する過程を興味深く学んだ。それから、商いとくらし博物館、内子座と巡ったが、昔ながらの芝居小屋が現存し、今でも時々公演が行われているとのことで、とても興味深かった。2時間以上かかって散策を終え、その後は、国道56号線を走って、松山市近郊まで達した。
内子座の外観 | 商いとくらし博物館 |
・帰途につく
松山市街も巡りたかったのだが、もう時間が残されていず、「耕庵砥部店」で急いで昼食だけをすませた。それからは、松山インターから高速に乗り、松山自動車道、高松自動車道と走って、丸亀まで至り、レンタカーを返却した。後は、特急「南風」、岡山駅から新幹線「のぞみ」と乗り継いで帰ってきた。
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