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秘湯めぐりの旅(48)

<薬師谷温泉・石鎚山温泉−愛媛県>

2002.11.3-4

インデックス

11/3薬師谷温泉 11/3天赦園 11/3宇和島城 11/3石鎚山温泉 11/4石鎚山 11/4丸亀城


*2002年11月3日(日) 薬師谷温泉天赦園→宇和島城石鎚山温泉

宇和島へと向かう

 朝9時前に宿を出て、伊予鉄道の路面電車でJR松山駅前まで行って、レンタカーを借りようとしたが、連休中とあって、なかなか車に空きがない。4、5軒訪ね歩いてやっと、駅レンタカーで都合してもらうことが出来た。ちょっと、車の調達に手間取ったので、その後は、寄り道せずに市街地を通り抜け、松山インターから松山自動車道に乗って、時間を稼ぐことにした。西へ走って、大洲インターで下りてからは、国道56号線で一気に南下していったが、前方には黒い雨雲が立ちこめ、どうも天気は良さそうにない。それでも、昼前には宇和島市内へと至ったものの、雨が降り出してきた。

薬師谷温泉へ

 宇和島市街の見学を後回しにして一端通過し、国道を左折して、薬師谷川沿いに狭い1本道を3kmほどさかのぼっていって、薬師谷温泉へとたどり着いた。ここは、1998年6月にオープンしたレストランを併設した日帰り入浴施設で、大洲市にある温泉日帰り入浴施設「ゆうゆう嵯峨野」とは、同じ経営だと聞いた。大きな駐車場から、階段を上っていくと入口があり、さらに渡り廊下を進んでいくとフロントがあって、入浴料680円也を払って、中へと入っていった。浴室内はゆったりとしていて、大浴場、圧注風呂、気泡ベット風呂、遠赤外線サウナ、水風呂と各種の入浴法が楽しめる。しかし、ここで特筆すべきは、薬師谷渓谷に臨む開放的な露天風呂であろう。男性用には、縁が木の浴槽と石造りの浴槽と露天風呂は2つある。眼下に谷川が流れてせせらぎが聞こえ、正面には、風情のある雌滝が流下している。すばらしいロケーションだ!広い木造のテラスもあって、チェアーに寝転がって、のんびりと自然を満喫することも出来るのだ。入浴後は、昼食時間を迎えていたので、レストランで食事をすませ、再び宇和島市街へと戻っていった。

★薬師谷温泉「薬師谷温泉さがの」に入浴する。<入浴料 680円>

薬師谷温泉「薬師谷温泉さがの」の外観薬師谷温泉「薬師谷温泉さがの」の露天風呂




源泉名薬師温泉
湧出地愛媛県宇和島市川内甲2547-1
湧出量
知覚
泉質アルカリ性単純温泉
泉温分類32.7℃(低温泉)
pH値9.0
液性分類アルカリ性
溶存物質総量647.7㎎/㎏
浸透圧分類低張性
ラドン含有量0.50マッヘ/㎏

*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進







薬師谷温泉「薬師谷温泉さがの」のデータ
入浴料金大人 680円、小人340円
営業時間午前10時〜午後11時、年中無休
住所、電話〒798-0076 愛媛県宇和島市川内甲2547-1 TEL(0895)27-3511
交通JR予讃本線宇和島駅より薬師谷温泉行バス25分「薬師谷温泉」下車すぐ
天赦園の太鼓橋式藤棚

伊達博物館と天赦園

 薬師谷温泉入浴後は、引き返して宇和島市街へと入っていて、まず伊達博物館を見学した。宇和島市制施行50周年の記念事業として、1974年(昭和49)に伊達家屋敷跡に建設されたとのことだ。館内は3つの展示室に分かれ、歴代藩主の文化遺産約4万点を、一般に公開しているという。中に入ると、伊達氏歴代の古文書、甲冑、刀剣などが目を引くが、 特に婚礼調度品が充実していて、女性にも人気があるそうだ。博物館を出て、少し歩くと天赦園がある。ここは、7代藩主、伊達宗紀(春山)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式庭園で、国の名勝に指定されている。もともとこの一帯は海だったそうだが、2代藩主、宗利が浜御殿建造のために埋立てていたのを、1866年(慶応2)さらに改造し、完成したもので、その時天赦園と名付けられたという。 この名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ

馬上少年過 
世平白髪多 
残駆天所赦 
不楽是如何
 馬上に少年過ぎ
 世は平にして白髪多し
 残躯は天の赦す所
 楽しまずして是を如何せん

という漢詩からとったとのこと。大名庭園としても、1,240平方mと広大な規模があり、池庭は全園の3分の1を占め、うっそうとした古木に囲まれていて、深山幽谷の趣を湛えている。 園内には、伊達家の先祖、藤原鎌足にちなんで、多くの藤棚があり、中でも池上にかかる太鼓橋式の藤棚はこの庭のシンボルとなっている。また、伊達家の家紋が「竹に雀」であることにちなんで、いろいろな種類の竹が池の周辺に植えられていて、この庭園の趣をなしている。しかし、あいにくの雨模様で、傘をさしての庭園散策となってしまった。毎年6月の上旬になると、花菖蒲が満開になり、それはみごとだそうだ。

宇和島城天守閣

宇和島城へ

 その後は、城山の北登山口前の駐車場に車を停め、桑折氏武家長屋門をくぐって、登城していった。この門は、宇和島藩家老、桑折氏の長屋門を1952年(昭和27)に移築したもので、市の文化財に指定されているとのこと。登城路は、坂がきつく、曲がりくねりながら 宇和島城 へと上った。この城は、 天守閣が現存する12城 の一つで、その中では最も西に位置し、藤堂高虎創建の天守を、1665年(寛文5)伊達宗利の時代に再築したものだという。3層3階の天守は、層塔型の独立式で、南面・北面に2つ、西面に一つの千鳥破風を配し、優美な入母屋造り白壁塗で、国指定重要文化財となっている。この城の歴史は古く、941年(天慶4)藤原純友の乱に、橘遠保が築城した丸串城にまでさかのぼるとされている。しかし、近世城郭として整備されたのは、豊臣秀吉によって封ぜられた藤堂高虎が南予七万石の領主になってからのことだ。1596年(慶長元)から大規模な築城工事が開始され、高虎は丸串の名を宇和島と改めたとのこと。その後、富田氏へと城主は代わり、江戸時代になってからは伊達氏の居城となり廃藩置県まで続いた。現在は、天守の他に上立門、城塁、石垣が残されている。帰路には、城山郷土館も見学して、城山を下りていった。

・石鎚山麓へと向かう

 宇和島市街を後にして、来た道を引き返すように、国道56号線を北上していった。宇和島城見学に時間をかけすぎてしまったので、途中からは、先を急ぐことにして、松山自動車道を利用する。高速道路を東へ突っ走って、いよ小松インターで下り、さらに、国道11号線を東進した。氷見の交差点から左折して、山道に入り、黒瀬湖を経て、どんどん山間へと分け入っていったのだ。この季節、もう日はとっぷりと暮れてしまって、ヘッドライトに浮かび上がる岩盤が不気味に迫ってくる。1車線の狭く曲がりくねった道を慎重にハンドルを回しながら走るが、ちょっと間違えば谷底転落の恐怖がつきまとう。時々、表示されている石鎚山ロープーウェイ乗場の案内板だけが頼りなのだが、いくら走ってもそれらしいものが見えず、不安が大きくなった頃にやっと目指す場所に至った。石鎚山は、標高1,982mと四国の最高峰で、日本7霊山の一つに数えられている。登山者や参拝者が、年間30万人も訪れると聞いていた。天気がよければ、瀬戸内海はもちろん、中国、九州の山々まで遠望できるとのことで、主峰天狗岳をはじめ、石鎚山系には、瓶ヶ森、伊予富士など変化に富んだ独特の景観が出迎えてくれるという。さらに、けわしい山々によって育まれた独特の動植物が生息しているとのことで、山腹には、南国には珍しいブナの原生林も広がっているという魅力あふれる案内に誘われてきたのだ。その石鎚山登山メインコースの入口、ロープウェイ下谷駅のすぐ目の前に湧くのが石鎚山温泉なのだ。今日は、ここに泊まって、翌朝石鎚山を目指そうと思った。

石鎚山温泉「京屋旅館」の外観

・石鎚山温泉「京屋旅館」に泊まる

 ここの「京屋旅館」は、昔ながらの石鎚山登山口の土産物屋兼観光旅館といった外見で、1泊2食付き7,500円で泊まらせてくれるとのことだった。アーケードを通り過ぎたようなところに、駐車場があり、車を駐めて、玄関で案内を乞うと、すぐに2階の部屋へ通された。荷物を置いて、まず浴室へと向かったのだが、ここの泉質の良さには驚いた。源泉16.1℃なので沸かしているものの、溶存物質総量21,130mg/kgの含二酸化炭素-Na-塩化物・炭酸水素塩泉(高張性・中性・冷鉱泉)で、硫黄泉でもないのに湯が白濁しているのだ。あまりにもすばらしい湯なので、感嘆の声を上げてしまった。そのなめらかなお湯につかっていると肌がぬるぬるしてくる。湯舟の底にはクリーム色の細かな沈殿物がたまっていて、ちょっと例えようのない湯なのだ。源泉は対岸の駐車場の地下76mから湧きだしていて、川をまたいで導水されているという。浴室の窓からは、眼下に加茂川峡谷を望み、周辺は紅葉がとてもみごとだった。湯を充分に堪能し、上がってきてしばらくしてから、夕食に呼ばれた。食事は1階の食堂でいただいたが、アマゴの塩焼、刺身、揚出し豆腐、釜飯、蕎麦などが並べられていて、お酒を2合ほどたのみ、美味しく、飲みかつ食べた。その後は、部屋に戻って明日のコースを考えたり、テレビを見たりしながら眠ってしまった。

★石鎚山温泉「京屋旅館」に宿泊する。<1泊2食付 7,500円(込込)>

石鎚山温泉「京屋旅館」の玄関石鎚山温泉「京屋旅館」の内湯




源泉名石鎚山温泉
湧出地愛媛県西条市西之川甲106
湧出量
知覚
泉質含二酸化炭素-Na-塩化物・炭酸水素塩泉
泉温分類16.1℃(冷鉱泉)
pH値
液性分類中性
溶存物質総量21,130㎎/㎏
浸透圧分類高張性
*一般的適応症(浴用)
 
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
*泉質別適応症(浴用)
 
きりきず・慢性皮膚病・慢性婦人病・糖尿病

宿


石鎚山温泉「京屋旅館」のデータ
標準料金1泊2食付 7,500円〜(込込)
浴室内湯2(男1・女1)
入浴料金入浴のみ 300円
外来入浴時間午前6時〜午後7時、平日休(予約すれば入浴可)
宿泊定員鉄骨3階建 和室15室 200名 
住所、電話〒960-2157 愛媛県西条市西之川甲106 TEL(0897)59-0335
交通JR予讃本線伊予西条駅より西之川行バス1時間石鎚登山ロープーウエイ乗場下車徒歩1分
石鎚山温泉「京屋旅館」の夕食石鎚山温泉「京屋旅館」の朝食

*2003年11月4日(月) 石鎚山丸亀城→帰途へ 
西之川の紅葉

朝、西之川まで散策

 朝早く起き出して、恒例の散策へと出かけた。周辺の紅葉も見頃で、徒歩で旅館の前を流れる加茂川をさかのぼっていった。山道を上っていき、隧道を越えるとバスの終点西之川の集落が見えてきた。それが、なんともいえない山村のたたずまいを彷彿させる所なのだ。その家々が、清流と山々、そして紅葉の中にひっそりと静まりかえっている。私はこういう風情に心を引かれ、知らず知らずのうちに点在する集落に沿って上流へと誘われていった。軒先に干してあるトウモロコシや大根に目を留め、清流越しに民家をカメラに収めた。途中、一本のイチョウの大木があり、みごとに黄色く色づいている中、ツタウルシが幹に絡まって、みごとな赤色を現出していた。赤と黄のコントラストが絶妙で、その木に見せられてしまい、何回も何回もシャッターを切ったのだ。そんなことをしていたらすでに1時間以上を経過してしまい。朝飯の時間もあるので、心を残しながら来た道を旅館へと戻っていった。それから、もう一度あの名湯に浸かり、朝食を手早く済ませて、出立の準備を整えた。

・石鎚山へ上る

 朝、9時前に宿を出て、石鎚山登山ロープウェーの下谷駅へと急いだ。朝一番に乗ろうと思ったからだ。そこから、山頂駅まで、全長1,800m、高低差850mを所要時間7分30秒で、一気に上っていく。高低差が大きいので、景色の変化はドラスチックだ!。私が乗った日は、下では紅葉の真っ盛りだったが、途中から雪景色に一変した。ゴンドラから、遠く山々や瀬戸内海まで遠望できるすばらしい景観なのだ。山頂駅付近からの山々の眺望もすばらしい。 その全景をパノラマ写真 に写し込もうと何回もシャッターを切った。周辺は一面の雪化粧ではあるが、石鎚山スキー場はまだオープンしていない。しかし、リフトは観光登山用に動いていて、それに乗って、展望台(標高1,400m)へと向かった。石鎚神社「中宮成就社」へ行くのも終点から徒歩10分ほどで、このリフトを使った方が楽とのことだった。展望台からの眺望もすばらしい!北には、瀬戸内海を一望し、南・東には石鎚山系を眺めることが出来るのだ。その景色を堪能しながら、シャッターを切り続けた。

展望台から瀬戸内海を望むパノラマ(北方向)
石鎚神社「中宮成就社」

石鎚神社「中宮成就社」へ参拝

 ここから石鎚神社「中宮成就社」へ向かう道は、すっかり雪に覆われ、紅葉と雪景色が両方楽しめる状態だったが、新雪の中を歩いていくのは大変なことだった。石鎚山は日本七霊山の一つで、役行者が開山したとのことで、全国から参拝者が訪れるという。その石鎚山を御神体とする石鎚神社は4社ある。途中通過してきた山麓の「口之宮本社」、これから向かう7合目(標高1,450m)の「中宮成就社」、石鎚スカイラインの終点(標高約1,500m)にある「土小屋遙拝殿」、そして山頂(標高1,982m)にある「頂上社」だ。登山コースは主に、西条・小松廻りのコースと石鎚スカイライン、土小屋経由コースの2つがあると聞くが、今回私のとった西条・小松コースが表参道とされていて、石鎚山登山ロープウェイで7合目まで上った後は徒歩で、頂上まで登る。このコースは、他に比べ距離は短いものの急勾配が続くとのことだ。私はこの雪道の中、充分な装備もないので、「中宮成就社」に参拝しただけで、引き返すことにした。ここは、役行者が石鎚山開山の時、請願をなし、成就したことにより名付けられた、諸願成就の宮だそうで、賽銭を投じて、願い事を唱えてみた。

丸亀城大手門から見る天守閣

丸亀城へ

 石鎚山から下りてきて、再び車を走らせ、西条市街に立ち寄ってから、新居浜インターより松山自動車道に乗って時間を稼ぎ、高松自動車道へと乗り継いで、善通寺インターで下りた。丸亀市街へ向かう途中のさぬきうどんの店に入って昼食をとったが、セルフサービスの店で、安くすませることが出来た。食後、さらに車を走らせて、丸亀城へと至り、公園の駐車場へ停めた。 丸亀城 は、 天守閣が現存する12城 の一つで、見所が多い。天守閣以外に大手一の門、大手二の門、御殿表門、番所、長屋が現存し、山の4囲に廻らされたみごとな高石垣が平山城の偉容を残してくれているのだ。平地から本丸までの石垣の高さは60mを超え、日本一といわれていて、見上げるばかりだ。現存天守は、1642年(寛永19)に山崎安治によって築かれたが、1660(万治3)年に京極高和によって改築されているとのこと。3層3階の天守は、小ぶりな独立式だが、そこからの讃岐平野の眺望はとてもすばらしかった。城郭を一周して下りてきてから、丸亀市立資料館にも立ち寄って知見を得た。この城は、生駒親正によって、西讃岐の守護のため築かれた平山城だが、1615年(元和元)徳川幕府が発布した「一国一城令」によりいったん廃城になった。しかし、生駒氏の転封後、代わって入封した山崎家治によって丸亀城は再建されたという。その後、京極氏の居城となり、廃藩置県まで続いたこともわかった。江戸時代から現存する城郭建築をいくつも見て、武具や絵図など貴重な資料も拝見できて、とても勉強になったと思う。

帰途につく

 丸亀城の見学を終え、来た道を引き返して、善通寺インターから高松自動車道に乗り、松山自動車道へ乗り継いで、松山市を目指した。JR松山駅前で、レンタカーを返し、リムジンバスで松山空港へと至った。ターミナルビルのレストランで夕食をすませ、19時10分発のANA598便で羽田空港へと戻ってきたが、まずまずの旅だった。やや、天候には恵まれず、雨中の散策となったり、雪を踏みしめて進まなければならないところもあったが、豊かな自然とみごとな城郭、そして、すばらしい温泉を堪能することが出来た。少々欲張りすぎて、移動距離が長くなったきらいはあったが...。


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