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鉄道写真館

北陸鉄道

内灘駅停車中のモハ8812+モハ8802(2004.3.28撮影) 

 北陸鉄道は、石川県内において、金沢市の北鉄金沢駅から河北郡内灘町の内灘駅(6.8km・駅数12)を結ぶ浅野川線と金沢市の野町駅から白山市の鶴来駅(13.8km・駅数17)を結ぶ石川線を運行するローカル私鉄事業者です。1925年(大正14)から1929年(昭和4)にかけて、金沢駅前〜粟ヶ崎遊園前駅(現在の内灘駅)〜粟ヶ崎海岸前駅間を全通させた浅野川電気鉄道と1915年(大正4)に新野々市駅(現在の新西金沢駅)〜鶴来駅間を開業させた石川電気鉄道などが紆余曲折を経て合併してできたのが北陸鉄道でした。かつては、金名線、能美線、金石線、加南線など多くの路線を持っていましたが、次々と廃止され、現在は2路線を残すのみとなっています。尚、鉄道事業以外に乗合バス事業 (石川県下全域、高速バス)、貸切バス事業 (事業区域:石川県)、旅行業、不動産事業も営んできました。現在、関連会社も15社に及びます。

 
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内灘駅 内灘車両基地

☆浅野川線

 <内灘駅>

内灘駅の駅舎(2004.3.28撮影)内灘駅の入口(2004.3.28撮影)
内灘駅のホームとモハ8812+モハ8802(2004.3.28撮影) 

 2004年3月26日から2泊3日で、北陸・能登半島の岬めぐりの旅に出かけ、2日目に能登半島一周をして、千里浜なぎさ温泉「バーデン千里浜」に泊まりました。最終日は、8時半過ぎには宿を出立して、「喜多家」、「西田幾太郎哲学記念館」、白尾灯台と見学してから内灘町へと至ったのです。ここは河北潟と日本海に挟まれた砂丘上の町なのですが、河北潟の眺めが良かったので、写真に収めました。その後、歴史民俗資料館「風と砂の館」に立ち寄ったのですが、ここの内灘射爆場反対闘争と粟崎遊園の展示が目を引いたのです。今では金沢市近郊の住宅街になっていますが、かつてはここに米軍の射爆場建設反対の大闘争がありました。それから、北陸鉄道浅野川線の終着、内灘駅に立ち寄って写真を撮ったのですが、ちょうどホームには、金沢行きの急行が入っていたのです。モハ8812+モハ8802の編成で、シルバーのボディにオレンジをあしらった、軽快な感じのする車両でした。


 <内灘車両基地>

北陸鉄道浅野川線モハ8801+モハ8811(2004.3.28撮影)
北陸鉄道浅野川線モハ8903+モハ8913 (2004.3.28撮影)
北陸鉄道浅野川線の内灘車両基地 (2004.3.28撮影)

 2004年3月26日から2泊3日で、北陸・能登半島の岬めぐりの旅に出かけ、最終日に北陸鉄道浅野川線の終着、内灘駅に立ち寄って写真を撮りました。ここは、車両基地にもなっていて、待避線には、2編成の車両が停まっていたので、次々にカメラに収めていったのです。これらは、以前京王帝都電鉄井の頭線を走っていた8800系と8900系とのことでした。

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