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「続・膝栗毛」の中の草津温泉の挿絵 |
◯正解です! |
◇問題(1)の解答
「続・膝栗毛」の中で、弥次さん喜多さんが長野の善光寺参詣の後、立ち寄ったのは、草津温泉です。当時草津は日本一の温泉場とされ、全国から湯治客が訪れ、人家も千軒を超えると言われるほど繁盛しました。その中で、弥次さん喜多さんは、トイレを覗いて怒られたり、気絶した人の介抱で右往左往したりと、いつものドタバタを演じるのです。この時代、関東から伊勢参宮する旅人は帰路中山道を経て、善光寺を参詣する場合が多く、時には草津温泉に立ち寄って旅の疲れを癒したと思われます。
【風土記の温泉】 日本で最も古い5つの「風土記」の中にも、温泉の記述がいくつか見られますが、その中の天平5年(733)に作られた「出雲国風土記」にも書かれています。それでは、以下のように記述されている温泉はどこでしょうか?
忌部の神戸郡家の正西廾一里二百六十歩なり。國造、神吉詞望ひに朝廷に參向ふ時、御沐の忌の里なり。故、忌部といふ。即ち、川の邊に湯出づ。出湯の在るところ、海陸を兼ねたり。仍りて、男も女も、老いたるも少きも、或るは道路に駱驛り、或るは海中を州に沿ひて、日に集ひて市を成し、繽粉ひて燕樂す。一たび濯げば、形容端正しく、再び沐すれば、萬の病悉に除ゆ。古より今に至るまで驗を得ずといふことなし。故、俗人、神の湯といふ。 『出雲国風土記』 |
(現代語訳)「忌部の神戸。郡役所の正西二十一里二百六十歩である。国造が神吉詞を奏しに朝廷に向かうとき、御沐をする忌里である。ここは川のほとりにいで湯があり、いで湯のあるところは海陸を兼ねている。だから、老若男女が道路に列なり、あるいは海を州に沿ってやってきて、日によっては集まって市をなし、盛んに宴楽する。この湯で一たび濯げば容貌は端正となり、二たび沐すればたちまち万の病がことごとく癒える。昔から今に至るまで効験を得ないということがない。ゆえに、世の人はこれを神の湯といっている。」
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