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<岬と灯台写真館>
沖ノ島と館山港沖島灯台(千葉県)
2005年1月31日午前に館山市にある沖ノ島(千葉県)で撮った写真です。
2泊3日で、房総半島一周の旅に出かけ、朝6時過ぎに出立し、高速道路は使わずに、三郷から流山を経て国道6号線へ出て県境を越え、千葉県から茨城県へ入っていきました。関東鉄道竜ヶ崎線、牛久市の「シャトーカミヤ」に立ち寄り、霞ヶ浦の湖畔へ出て写真を撮りつつ、鹿嶋市域へと至り、鹿島灯台を撮影しました。昼食後は、 犬吠埼灯台 、銚子電鉄、刑部岬の 飯岡灯台 とカメラに収めて九十九里浜の白子温泉に泊まったのです。翌朝、8時半過ぎには出立して、南に向かって車を走らせることにしました。まず、御宿の歴史民俗資料館へ立ち寄ったのですが、そこに展示してあった。海女の写真に見入ってしまいました。海で働く女性の姿が生き生きと捕らえられていて、とてもすばらしかったのです。見学後は、国道128号線をどんどん南下していき、今度は鴨川の歴史民俗資料館へも立ち寄りました。ここでは、昔の農家の暮らしぶりが展示されていて、とても興味深かったのです。その後は、鴨川漁港の沖にある荒島まで行って、 鴨川灯台 と海の写真を撮ったのですが、太平洋の景色がとても雄大でした。それからは、さらに先端に向かって走り、途中、蕎麦屋で昼食を取ってから最南端の野島崎へと至りました。周辺にはお花畑がいろいろとあって、赤や黄色と色とりどりに咲いていてすばらしい!天気も良く、風も凪いでいたので、 野島埼灯台 、そして 布良鼻灯台 と巡り、館山市立博物館と館山城も見学してから石塚温泉の民宿「古原屋香館」へ泊まったのです。翌朝は、8時半過ぎに出立して、館山港の入り口に浮かぶ沖ノ島へと向かいました。ここは、自衛隊基地の敷地の一部を通っていかなければ、ならないのですが、通常は一般にも開放されているようです。島へは、防波堤の所に車を置いて、徒歩で砂州を渡っていきます。島には、うっそうと樹木が茂り、海岸線には、岩礁が発達していて、なかなか風光明媚なのです。その、一隅に白亜の灯台が佇立していました。釣り人が何人か糸を垂れていたのですが、月曜日の朝とあってとても静かです。灯台の写真を撮り、波の音を聞いたり、海を眺めたりしながら、島を一周してきました。
☆館山港沖島灯台 | 地図 |
館山港沖島灯台 (2005年1月31日撮影) |
| <特徴> <歴史> <現況> |
館山港沖島灯台のプレート | 館山港沖島灯台の塔頂部 |
自衛隊基地側から望む | 館山城から望む(手前が自衛隊基地) |
香漁港から望む |
館山湾に浮かぶ無人島・沖ノ島は、標高が12.8m、周囲1kmという小さな島です。この島は、1923年(大正12)9月1日の関東大震災による隆起や館山海軍航空隊基地(現:自衛隊館山航空基地)の造成によって、1953年(昭和28)頃に陸続きとなったとのことで、現在は自衛隊基地側から砂州を渡って徒歩で行くことが出来ます。それまでは、陸地と500mほど離れ、周辺の海は黒潮が流れ込むこともあって、亜熱帯性植物が繁茂し、約240種もの植物を観察することができるそうです。また、戦時中は要塞地帯となり、壕の跡も残されています。
館山港沖島灯台付近の岩礁 | |
沖ノ島周囲の岩礁 |
この島は、関東大震災による隆起で、周囲に岩礁が発達し、独特の景観をなしています。磯ではサンゴを観察したり、潮がひいたあとにできる潮だまりでは、様々な生き物を観察することができるとのことです。
北方向(大房岬)を望む | 東方向(館山市街)を望む |
西方向(洲崎)を望む |
この島からの眺望はすばらしく、東岸からは大房岬、西岸からは洲崎まで望めます。また、天気の良い日は、波の彼方に富士山、相州連山が眺められ、特に夕陽はみごとだとのことです。
橋本徳壽の歌碑 |
沖ノ島の一隅に、橋本徳壽の歌碑がひっそりと立っています。碑文には、「沖の島に つづく海さへ 地となりて 実生が乱る 低き小松が」と刻まれています。
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