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開放、そして開幕〜START LINE〜

 

地上は地獄だった。

絶え間なく響き渡る爆音と、空高く立ち昇る黒煙。至る所から火の手があがり、陽炎に歪んだ風景はまさに別世界のように思えてくる。

チェックメイトは半壊したエレベーター施設に立っていた。屋根と壁はあらかた吹き飛び、エレベーターの入り口もセイルが昇ってきたものを除いて全てが塞がっている。

「…………」

 セイルは自分の鼓動が速くなっていくのを感じた。かつて経験した恐怖と、この惨事を引き起こしたものへの怒り、そして今からその者たちと戦うことへの緊張と高揚感が、セイルのギアを一気にトップまで引き上げたのだ。

『セイル、聞こえてる?』

「っ……レナ?」

 気がつくと、エレベーターの出口にレナが来ていた。ヘッドギアに手を当て、チェックメイトを見上げながらしゃべっている。

『すぐそこのテントに向かって。簡単に補給を行うから』

「まてよ、まだ大丈夫だ。すぐにでも……」

『下でまた戦闘があったんでしょ。いいから無理しないで戻って。前線は予想以上に辛いんだから』

「…………ちっ」

 セイルはしぶしぶチェックメイトをテントに向かって歩かせた。

 そこは臨時のACガレージとして使われていたテントで、今も何体かのACが補給や応急修理を受けている。セイルは整備員に誘導されるままにテントのスペースにチェックメイトを進ませ、戦闘モードを切って外に出た。

「急げよ!」

 機体に群がっていく整備員たちの背中に声をかけ、セイルはヘルメットを取るとテントの待機スペースにあるベンチに腰を下ろした。

「…………」

 セイルは足を組み、補給作業を受けるチェックメイトを見つめていた。ロケット砲やミサイルの弾倉が交換され、ナノマシンが破損した装甲を補修していく。

 何度も見ているはずのその作業が、今日はやけに時間がかかっているように見えた。実際、この緊急事態で人手も物資も十分ではないのだろう。しかしそれを差し置いたとしても、セイルには整備員たちの一挙一動がまるでスローモーションのように思えたのだ。

「……〜〜…………」

 セイルの胸の内に、しだいに苛立ちが募っていった。

 せっかくあの縦穴を登りきって地上に出られたというのに、またこんな所で足止めを食らっているのがとてつもなくもどかしかったのだ。

 その思いはやがてセイルの心を侵食し、焦燥感を強くしていく。補給作業は未だに終わらない。整備員の動きどころか、時間そのものがゆっくりと流れているようにさえ思えてきた。

 いっそ強引にACを奪い取ってでも出撃してやろうかと、そう思い始めた時、セイルの目の前に飲料のパックが差し出された。

!?

セイルは我に返って顔を上げると、そこには一人の整備員———エディが佇んでいた。

「どうぞ、セイルさん」

「え…………ああ、ありがとうエディ……」

 セイルはパックを受け取ると、ストローに口をつける。中身を吸い込むにつれて、黒く淀んでいた思考がクリアになっていった。

「ふぅ…………」

「お疲れだったでしょう、さっきまでものすごく怖い顔していましたよ」

「ああ、本当だ。顔の筋肉引きつってるよ」

 セイルは苦笑すると、さっきまで考えていたことを払拭するかのように軽く頭を振った。今になってみると、どれだけ突拍子もないことを考えていたのか。もしあのまま出撃していたら機体の状態以前に、精神的な理由でまともに戦えなかっただろう。

「気をつけてくださいよ。僕達じゃ、人間の心までは整備できませんから」

ああ、悪い……整備のほう、どうだ?」

「もう少しかかります。ブレードの発振機が、ボロボロで……」

「そうか……悪いな。俺のブレード、毎回ぼろぼろだろ?」

 エディが差し出した手を握り返しつつ立ち上がり、セイルはそう言った。

「ええ、まるで殴りあいでもしたみたいです。もう何度もカウリングを交換しましたよ。どうせなら射突ブレードを使ったらどうです?」

「アレかぁ……でも回数制限が……っ…………悪い、また後で」

 セイルはベンチにパックを置くと、テントの出入り口のほうに向かって走り出した。見覚えのある緑色のACが入ってくるのが見えたのだ。

 緑色のAC、グラッジはテントの中央近くに停止すると戦闘モードを解除し、ハッチを開いた。

「弾薬補給だけ、手早く」

 中から現れたカラードネイルはそれだけ言うと、首筋に手を当てながら足早に歩き出す。しかしセイルを見つけた瞬間ぱたりと足を止め、首筋に当てられていた手もおずおずと下ろされてしまった。

「セイル……クラウド…………」

「そっか、あんたも出てたんだな」

「…………」

 カラードネイルは僅かにうつむいたまま気まずそうに目を逸らしている。セイルはかまわず言葉を続けた。

「俺も、もうすぐ出る。こんな時に不謹慎だけど、俺はこういう機会をずっと待ってた。奴らと全面的に戦えるような時を」

「…………」

「うまくいけば、ここで一気に奴らの戦力を削ることが出来る。それに……」

「お前は……」

 セイルの言葉を遮るように、カラードネイルが口を挟んだ。

「お前は、何も言わないのか?もしかしたら、この状況を作り出していたのは……」

「嫌みったらしく『何でこんな事を平気で出来るのか』なんて言ってほしかったか?」

「っ!……」

 カラードネイルの表情が、一気に悔しさを湛えたものへと変わる。セイルはそれを確認すると、小さく息をついた。

「言ったろ。あんたがどんな奴だったとしても、俺があんたを恩人として尊敬する気持ちに変わりは無い。それは、あんたが過去にこんな事をしていたとしてもだ」

 セイルはカラードネイルに背を向け、テントの出入り口から外を見る。煙を上げている高いビルが見え、爆発音と砲声がここまで聞こえてくる。カラードネイルは不安げな表情で再び目を逸らしていた。

「それと、もう1つ。行く前に言っておく事がある」

 セイルは背中越しにカラードネイルに話しかける。カラードネイルはそのままの表情でセイルの背中へと視線を戻した。

「あんた、俺の親父とお袋を殺したのは自分だって言ってたよな」

「…………」

「それ…………何かの間違いだよ」

「!」

 カラードネイルの表情が驚愕に包まれる。セイルは背を向けたままでそれを感じ取ると言葉を続けた。

「その事を聞かされた時にさ、おかしいって思ったんだよ。だってあの日、テロが収束してから俺、親父に会ってたんだから」

「っ!……」

「っても、それ以来10年も連絡よこさないバカ親父だけどな。だから今まで散々親父の事恨んでたけど……ははっ、この事だけは感謝しとかないとな。あの日、最後に俺に会ってくれたおかげで、俺はあんたの罪を1つ消すことができる」

 セイルは振り返ると、カラードネイルの顔を見据えて言った。

「あんたは……カラードネイルは、セイル・クラウドの家族の不在に対して、何の関与もしていない。俺に対して罪の意識を感じる必要も、気を使うことも無いわけだ。だから……」

 セイルはいったん言葉を切り目を閉じた後、再びカラードネイルの顔を、目をしっかりと見据えた。

 自分より少し上にあるその瞳は、不安と焦燥で潤みきっている。彼女はレイヴンという死神になった今でも、心は未だ10代の少女のままで、自分の正義を信じて突き進んだ末に、罪悪感という十字架を背負わされてしまったのだ。

「改めて言う。もう自分を傷つけるのはやめて、その苦しみの中から出て来てくれ。償いたいというのなら、俺もそれを手伝うから。許しがほしいと言うのなら、俺があんたを許すから。たとえ世界があんたを許さなくても、俺だけはあんたを許すから」

「………………う、くっ……あ……ああっ……っ!!

 カラードネイルは崩れ落ちるようにして膝を付き、胸に手を当ててしゃくりあげると、溜め込んでいた嗚咽を漏らし始めた。整備テントの喧騒の中で、セイルには自分たちの居るこの空間だけが、まるで他から切り離されたかのように静かに思えた。

一体どれだけの時間そうしていたのだろうか。不意にテント内にアナウンスが響き渡り、セイルは自分が呼び出されていることに気づいた。チェックメイトの補給が終了したのだろう。向こうからはエディが呼んでいる声も聞こえた。

「セイルさん、整備終わりましたよ。早くこっちへ!」

「わかった。今行く……じゃ、行ってくる。まだお互いに言いたい事有るだろうけど、それはまた生き残ってからって事で」

 セイルはしゃがみ込んでカラードネイルの肩を叩くと、エディの方に向かって走り出した。しかし、不意にセイルは辺りが暗くなったような気がして足を止める。次の瞬間、セイルの目の前に巨大な鉄塊が落下してきた。

「うおっ!」

 セイルは突然の事に尻餅をつく。テントの屋根を突き破って落ちてきたのは、1体のパワードスーツだった。落下の衝撃でか、それまでの戦闘でか、ボディはあちこちに亀裂が入り、オイルが血のように流れ出していた。

 そして肘辺りで千切れている左腕の断面からは、人間の腕ではなく金属のアームが覗いている。人が装着する物ではなく、AIで制御された敵軍の機体だった。

「あ……っ……」

 セイルは立ち上がって逃げ出そうとするが、震える足はまともに動かず、あとずさるばかりだった。対してパワードスーツはその破損状態からは考えられないほど滑らかな動きで立ち上がり、近場に居たセイルに向かって右腕部のミサイルポッドを向ける。

 セイルには、その一連の動作がひどくゆっくりとしているように見えた。周囲からは爆音や金属音に混じって、整備員やオペレーター達の怒声や悲鳴が聞こえる。目の前には傾いた姿勢で、しかししっかりと砲門を向けているパワードスーツ。その砲身がスライドし、まさに攻撃が放たれようとした時、セイルは銃を握った右手と、硝子のように白い長い髪と、前へと突き出された左手が見えた。

 その左手は、セイルに向けられた砲門を塞ぐかのようにミサイルポッドに掴みかかり………………瞬間、セイルの視覚と聴覚は爆風と爆音とで覆い尽くされた。

「っ……ゲホッ…………あ……」

 やがて爆風が晴れた時セイルの目の前にあったのは、砲身が破裂したミサイルポッドを向けているパワードスーツと、左腕の上腕部から下を吹き飛ばされたカラードネイルだった。

「っ!!…………おい!あんた……」

 セイルが声をかけるよりも早く、カラードネイルは動いていた。右手に持った大きな銃を親指と掌だけで支え、残り4本の指をパワードスーツの装甲の隙間に差し入れる。そしてそのまま後ろに振り返りつつ、右腕を上に振り上げるようにしてパワードスーツの巨体を投げ飛ばしていた。 

 パワードスーツは放物線を描いて落下し、頭部から地面に激突する。再び立ち上がろうとぎこちなく手足を動かすが、持ち上がった頭部と胸部の装甲の隙間にはカラードネイルの銃が突きつけられていた。

 2度、3度とカラードネイルが発砲し、パワードスーツは頭部をがくがくと振動させたあと、紫電をあげて動かなくなった。カラードネイルはポケットに銃をしまうと、既に出血が止まりつつある左腕を押さえながら言った。

「大丈夫だったか?」

「……あ、ああ…………あんた、腕……」

「大丈夫……後で再生できる」

 カラードネイルはそう言いながらセイルに微笑みかける。セイルは、彼女の笑った顔を見たのはこれが初めての様な気がした。カラードネイルは服のすそで右手の血をぬぐうと、尻餅をついたままのセイルに差し出した。セイルは一瞬反応が遅れたが、すぐにその手をとって立ち上がる。

「ありがとう、セイル。君のおかげで救われた気がする。わたしの罪は、もう償いきれない所まで来ているだろうけど、わたしの命が続く限り、その道を戻ってみることにするよ」

 カラードネイルはセイルの手を握り締めたまま言った。そしてセイルも、その手を握り返しながら答える。

「ああ、あんたがそうしてくれて、俺も嬉しい。俺も微力ながら、出来る限り手助けするよ」

 2人はお互いの手をいっそう強く握り合った。と、その時、静まり返っていた人ごみの中から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「すいま……せん、あけてくださ………ちょ、退けって言ってんだろゴルァ!」

「………レナ?」

 セイルは握っていた手を離し、声のするほうへ向かって歩いていく。すると人ごみの中からレナの小さな顔がひょっこりと飛び出してきた。

「あ〜、もう、こんな人ごみも久しぶり……あ、セイル!良かった。無事だったの!?

 人の壁を掻き分け、レナの体が現れた。スーツは煤と埃で汚れ、片方のパンプスはヒールが折れてしまっている。

「ああ、何とか大丈夫だった……そういえば、何で外を歩き回ってるんだ?」

「もう、敵の電波妨害が酷すぎてまともに無線が使えないのよ。戦場に出てってオペレートしてる人も居るくらい。あ、それよりセイル、もう出撃可能なんでしょ?」

 レナは脇に挟んでいたファイルからクシャクシャになった紙とディスクを取り出した。

「コーテックスからの指示で、西側のダウンタウンから進軍してくる敵部隊を撃破してって。報酬は撃破数に応じて上昇、詳細はこの中にあるから、すぐに出撃して!」

 そう言ってレナはセイルにディスクを差し出した。

「……よし!」

 セイルはディスクを受け取ってポケットに入れると、後ろを振り向いた。そこにはカラードネイルと、向こうにはチェックメイトも見える。パワードスーツの残骸は片付けられ、人ごみもいつの間にか解散していた。セイルはカラードネイルの所まで戻ると言った。

「行って来る」

「……がんばって」

 カラードネイルが応援するように微笑んでくる。セイルはその笑みに頷きで答えると、チェックメイトのほうに歩き出す。と、ふと足元に光るものが落ちていることに気付いて足を止めた。しゃがんで拾い上げてみると、それはカラードネイルが左手に付けていた付け爪だった。

(そっか……また、あの左手に助けられたんだな)

 10年前、そして今さっき。彼女の左手は、2度も自分の命を救ってくれたのだ。

 セイルは付け爪をポケットに入れると、今度こそチェックメイトに向かって歩き出した。その歩みはすぐに駆け足に変わり、チェックメイトの下にたどり着く。そこにはクリップボードを持ったエディが待っていた。

「各種弾薬の補給と、装甲もある程度修復しました。セイルさんなら、ACとの戦闘にもじゅうぶん耐えられるはずです。頑張って下さい」

 エディはクリップボードを見ながらオートラダーを手渡してくれる。セイルはオートラダーに足をかけると、スイッチを押してコードを巻き上げさせた。

「ありがとう。そっちも気をつけて」

 コクピットにもぐりこみ、ハッチを閉じる。一瞬視界が暗闇に覆われるが、すぐに計器やスイッチの明かりがつき、ディスプレイが外の様子を映し出す。整備員たちはどうやらコクピットの中まで掃除してくれたようだ。

『セイル、搭乗済まザァね。向こうに付……ら、そこザザッ……えい、このっ!!

 何かを叩くような音が聞こえ、雑音だらけだった無線が一気に聞こえやすくなる。セイルはレナの拳に呆れながらも指示を待った。

『1戦区につき1人オペレーターが着いていますから、向こうに着いたらその人の指示に従って下さい。では……お気をつけて』

「わかった。ありがとう」

 レナの声がいつもの仕事口調以上にシリアスに聞こえる。セイルは掌に拳を打ちつけて気合を入れなおすと、チェックメイトをテントの出入り口へと向かわせつつ、戦闘モードを起動した。

「うしっ!戦闘モード起動確認、FCSアイリンク完了、コア部情報素子…………っ!」

 サブカメラの位置を調整していると、ディスプレイの隅にこっちを見上げている整備員やレナ達が映った。その中にはカラードネイルの姿もある。

(カラードネイル………………っ……大丈夫、必ず生きて、ここに戻る!)

 セイルは眼前のディスプレイと、そこに映る外の景色を見据える。瓦礫に覆われた道路と、破壊されたビル郡。今の自分の原点とも言える忌むべき戦場が、そこにあった。

「チェックメイト、出撃する!

  

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