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Brace of Raven. Side S〜まずは彼女と休息を〜

 

 

 乱立する木々が爆風によってなぎ倒され、降りしきる雨が気化して霧となる。ぬかるむ地面を抉りつつ、二体の巨人は激しくぶつかり合っていた。

『さぁ、残り時間も三分を切りました。戦況は依然エクレールが優勢、やはりかつての獅子は眠ったままなのかっ!?

 観客席に実況の声が響く。セイルは眼下で繰り広げられる戦闘を眺めつつ、売店で買ったホットドッグを頬張った。

 コーテックスの経営するアリーナ会場、その一つにセイルは居た。やはり先日の襲撃事件の影響なのか、観客は満員には程遠い。アリーナにかぶさるようにして設置されたドーム状の観客席には、疎らにしか人が見当たらなかった。しかもその殆どが暇つぶしや余興程度の感覚で観戦している。

「…………」

 そんな中、セイルだけは食い入るようにその戦闘を眺めていた。かつて自分も戦った事のある熱帯雨林を模したステージ。視界が悪く、速度も出せないこの場所で、その機体は縦横無尽に動き回っていた。巻き起こる爆発に押される形で高く飛び上がり、戦場を俯瞰する群青色の機体。ランカーレイヴン、エクレールの『ラファール』である。

 ラファールは背部のロケット砲を展開すると、眼下の森林へと向かって撃ち下ろした。その砲弾を紙一重で躱し、対戦相手の機体が開けた所に現れる。高威力バズーカとハンドグレネードを装備し、大型の追加弾倉を背負った緑色の機体。カラードネイルことアメリアの『グラッジ』だった。

「っ……」

 セイルは僅かに表情を曇らせる。グラッジはボディのあちこちに深い亀裂が入り、先程のロケット砲のせいらしい弾痕も多数穿たれていた。

「やっぱりな……復帰していきなりこれじゃ……」

 長い間休止状態にあったせいか、彼女の技量は最盛期に比べて格段に落ちている。しかも相手はSL事件以来着々と順位を伸ばし、異例の速さでAランクへとのし上がったエクレールである。単純な戦闘力の差は歴然、賭けのオッズも大きく差を開けられていた。

(勝負を挑んだのはエクレールの方らしいから、アメリアにとっては防衛戦……ここで負けたら、下手すればBランク行きか……)

 セイルは僅かに眉をひそめながらそう考える。宿敵であるゼロの失踪まで怒涛の勢いで上がり続けたアメリアの順位はAランクでも上位の物だったが、それ以降の停滞によりここ数年はAランクでも常に最下位。そろそろBランクへの降格が危ぶまれるところだった。

(でも……)

 しかし、セイルはどうしてもこの現状を信じることが出来なかった。明らかに彼女に不利な条件ばかりがそろっているのに、どうしても彼女の敗北した姿が想像できない。実像と虚像の形が乖離しすぎている。セイルは二人の戦いを見れば見るほど、彼女の勝利しか考えられなくなってきていた。

「…………」

 再びホットドッグを口に運び、セイルは二人の戦いを凝視する。とにかく今は自分の感覚と洞察力を信じて勝負を見守ろうと思ったのだ。

 

 放たれる砲弾を立ち木を盾にして躱し、アメリアはすばやくバズーカの弾倉を交換した。立ち木の細さではACのボディを隠すことは出来ないが、弾除けぐらいにはなる。そもそもレーダーやFCSによって互いの位置は把握出来るのだ。

 しかもアメリアは感覚器官を強化されたPLUSである。並のACに比べて格段に鋭敏なレーダーの範囲にエクレールのACが居ないことを確認し、アメリアは留めていた息を吐いた。彼女は身体能力の強化により、長時間の無酸素運動を行うことが出来るのである。通常のレイヴンとは比べ物にならないほどの体力と持久力、さらに反射的な動作にも対応できる瞬発力を備えた彼女の身体は、文字通り戦う為に作られたものであった。しかし、

「くそっ、まさかこれほどとは……」

 久方ぶりの酸素に喘ぐ肺を落ち着かせつつ、彼女は悪態をついた。数年間のブランクは、彼女が思っていた以上に大きかった。無論全くACに乗っていなかった訳ではないが、かつては狂ったように打ち込んできたアリーナでの試合をここ数年は悉く辞退していた。そのせいで、これ程腕の立つレイヴンと戦ったのは本当に久しぶりのことになる。

「残AP2250、敵は……3427。チッ、何とかひっくり返せ……っ!!

 瞬間、感じた悪寒に任せて機体を跳ばすアメリア。突如背後から現れたラファールが、武器腕のレーザーブレードで切りかかってきたのだ。初速の遅いグラッジではブレードを躱しきれず、二本の光剣は後腰部を深々と抉っていく。腰部は一瞬にして最終装甲板まで融解し、内部機構が露出してしまった。

「っ、このっ!」

 とっさに展開したEOで後方に弾幕を張りつつ、離脱したアメリアは被害を確認する。深刻な性能低下こそ起こっていないものの、露出した内部機構は高温多湿な外気に触れてじきに異常をきたすだろう。APも一気に減らされてしまった。しかしこれでも不幸中の幸いである。あと少しでも反応が遅れていたら、装甲板どころかボディごと貫通されていた筈だ。

「くそっ、こんな事も忘れていたなんて……」

 遠ざかっていく赤い光点を睨みつつ、アメリアは歯噛みする。さっき奇襲を受けた時、確かにレーダーには何の反応も無かった。そして回避行動をとって振り返った時、ラファールの両肩部にあるパーツが仄蒼く輝いていたのが見えた。機体を特殊な磁気バリアで覆う事でACのレーダーやFCSを妨害するステルスシステムである。

「わたしも落ちたものだな。やはりもう…………?」

 ふと上方を見上げた彼女の瞳に、見覚えのあるものが映った。霧と雨雲に霞む空の上、観戦用に作られた透明なドームの上に一人の観客が居るのが見える。

 何故そんな物が目に入ったのだろう。ここからでは遠すぎて、ACのカメラと彼女の人工眼球を併用しても顔を判別することは出来ない。しかし、それを見た彼女は何故かひどく勇気づけられた気がした。

「…………ふっ」

 自嘲する様に微笑んだ彼女はコントロールスティックを握り直し、グラッジを移動させた。戦闘エリアの端を流れる小さな川。その中流にグラッジを停止させると、彼女はコンソールを弾き始めた。脳裏に浮かぶのは、さっき目を合わせた一人の青年。自分を迷宮から救い出してくれた、開放への道標。

(そう、彼なら……セイルならこうするかもな……)

 

『おおっとぉ、グラッジが川の中で立ち止まったぁ。これはどうしたぁ?まだ降参はしないようだが……』

「…………」

 川の中で停止したグラッジを見て、実況が訝しんだ声を上げる。周囲の観客達は依然興味無さそうにしているが、セイルだけは真剣な表情でグラッジを見つめていた。

 敵機に張り付いた状態での射撃戦を得意とするグラッジにとって、移動が制限される上に射線の通らないこのステージは鬼門といえる。逆に高い機動力を生かした接近戦を得意とするラファールからすれば、視界が利かず、射撃も難しいこの環境は味方になる。軽量二脚のもつ高い脚力と瞬発力を生かせば、障害物すら味方にしてしまえるだろう。

 そんな中、カラードネイルは開けた場所で戦うことを選んだ。それは前述の有利不利を無くすことのできる良手だが、グラッジを圧倒的に上回るラファールの機動力を惜しみなく発揮させてしまうことにもなる。しかも装甲がボロボロの状態で水に浸かったりすれば、内部機構へのダメージは計り知れない。結局戦況は決して良くなっている訳ではなかった。

「…………ふっ」

 セイルは残ったホットドッグを口に押し込むと、座っていた席から腰を上げ、アリーナから出て行った。決着は見なくても分かる。この状況で結果が変わることは無いだろう。アリーナを出たセイルは、レイヴン控え室の方に向かって歩いて行った。

(そういえば……)

 セイルはIDカードで扉を開き、一般人用のブロックから関係者用のブロックへと移動する。その途中、セイルはふとした事を思い出した。

(ラファールに乗ってるエクレールってレイヴン……確かあの人も女性だっけ……)

 

(あきらめたか?……いや、あれは何らかの策がある筈。やはり油断できる相手では……)

 木立ちの中からグラッジを見据えつつ、ラファールのレイヴン、エクレールはそう思った。終始有利に戦いを進めてきた彼女だが、ここへ来て攻めの手が鈍りつつある。

(羽を休めていたとはいえやはりランカーレイヴンだな。あの気迫、只者ではない)

 川の中に立つグラッジは微動だにせず、じっとこちらが動くのを待っている。その背中からは、熟練した鴉のもつ殺気が伝わってくるようだった。

(失っていた感覚も戻りつつあるということか。流石は復讐鬼、この戦況を覆す事も不可能では無かろう。しかし……)

 エクレールはコンソールを弾き、ステルスを起動する。彼女は機体を音もたてずに移動させ、グラッジの背後へと位置どった。

「何を企んでいようと……この一撃で切り伏せるのみ……」

 背部からOBの光が噴出し、両腕部に二本のブレードが発生する。木立ちを飛び出したラファールは、一直線にグラッジの背後へと突進した。その驚異的な速度は、まさしくエクレールそのもの。川面を滑り、一瞬にしてグラッジに肉薄したラファールは、光の二刀を交差させつつ大きく振り上げる。

「…………なっ!?

「っ!!

 そして二体のACが接触した瞬間、巻き起こった大爆発がアリーナを煌々と照らし上げた。川の水面に炎が走り、周囲の木々は爆風になぎ倒される。実況は狂ったように声を張り上げ、観客達も突然の出来事に驚きを隠せない。やがて煙と霧が晴れたとき、そこには全く同じ場所に立ち尽くしているグラッジと、ボディが吹き飛んだラファールとが居た。

『大逆転!勝者はカラードネイル、眠れる獅子がついに目覚めたぁっ!!

 実況が結果を告げ、観客達も称賛の声を上げる。そんな中、二人のレイヴンもまた互いに声を掛け合っていた。

『大丈夫か?加減の効かない攻撃だったが……』

『問題ないわ……それよりあなた、今の攻撃は何?』

『後ろから来る事を見越して、追加弾倉をパージ、自爆させた』

『……わざわざ川の中に陣取った理由は?』

『ステルスを使われても、水音で接近を感知する為』

『…………』

 エクレールは暫く沈黙していたが、やがて諦めたように溜息をついた。

『負けたわ、私もまだまだのようね。あなたも流石だわ。PLUSとはいえ、そんな戦い方が出来るなんて』

『……教えてくれた人が居る……本当に色々な事を』

 

………………数分後、グローバルコーテックスACガレージ、レイヴン控え室

「お疲れ」

「ああ、セイル……」

 控え室に入って来たアメリアにセイルが声をかける。アメリアは一瞬驚いたようだったが、すぐに微笑み返してセイルに歩み寄った。

「その顔からすると、やっぱり勝てたんだな」

「ああ、何とかね。ランカーと戦うのは久しぶりだったから、苦戦したよ。でもセイル、君、最後まで見ていなかったの?」

「ああ、適当なところで退散しといた……あっ、別に、アメリアの戦いに興味が無くなった訳じゃないんだ。ただ、この分なら勝てるなって、思ったから……」

 慌てて言葉を付け加えるセイル。アメリアはそれを見て微笑むと、セイルを制しながら言った。

「別にいいよ、見ていてくれてありがとう。汗を流してくる」

 アメリアはシャワー室のほうに向かって歩いていく。それを見送ったセイルは、溜息をついてソファに身を預けた。

「な〜に緊張してんだ、ガキンチョが」

 そんなセイルに向かって、隣で他人のふりをしながら新聞を読んでいたケイローンが茶々を入れてくる。新聞から覗いた顔はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべていた。

「っさいな、良いだろ別に。今までいろいろ有ったんだし、それに……憧れの人だってのは変わってないんだから」

「照れるなよ、童貞」

「どっ、童貞じゃありません」

「そうそう、女性用のシャワー室って簡単に鍵が外れるようになってんだぜ、なんなら…………がっ!」

 ケイローンの顔面を空になったジュースの缶で殴りつけ、セイルは新しい飲み物を調達しに自販機まで歩いて行った。

「それより、午前中どうだったんだ?来たのか?」

「ギてたらとっグにそう言ってらぁ……ズくなくとも朝八時から今まではギてねぇ……」

 殴られた鼻っ柱を押さえつつ、ケイローンはそう言った。そうか、とセイルは答え、自販機にカードを挿入してボタンを押す。落ちてきた缶ジュースを取り出し、セイルは再び席に戻った。

「本社襲撃の日からほぼ毎日張ってるのに、全然現れないな……」

「そういうモンだ。個人営業のレイヴンなんざ基本的にコーテックスとは仲悪ぃんだからよ……痛ってぇ……」

 セイルはジュースを一口飲み、ソファの背もたれに頭を預ける。左耳のピアスが揺れ動き、僅かな重みを伝えてきた。それが刺激になったのか、あの日聞いた言葉がフラッシュバックする。

……お前の存在無しに……この戦闘は終わらない

 まるで冬の空気のように張り詰めた声、それはあのキース・ランバートの言葉だった。本社襲撃の日、防衛網の隙間を埋める為に現れた最強の鴉。セイルはここ数日、コーテックスに通い詰めて彼との接触を試みていたのだ。

「でも、何とかして一度話しておかないと。キースは、俺の追ってる組織に関して何かを知っている筈だ。今後あの組織と戦っていくに当たって、少しでも情報を集めないと……」

 数ヶ月前、セイルがミッション中に見た白昼夢の中で、キースはアリーナを襲ったテロリストのことについて話していた。キースは、おそらく自分と似たような目的で動いている。味方や同志とまでは行かなくても、少なくとも同じ方向を向いている物として互いを認識しておきたかった。

「にしても、何でキースもテロリストのことに執心してるんだろう。あの日俺の援護に現れたのはクライシスが手を回したかららしいけど、その依頼を受けたのだってテロリストの事を気にかけていたのが理由のはず。っていうか、それ以前にどうしてクライシスはキースが……」

「お〜い、あのトップランカーがろうかひたのくぁぁ〜……」

 気の抜けるような欠伸に、セイルとケイローンは顔を動かした。見ると仮眠室への通路の前に、眠そうな顔をしたハヤテが立っている。

「お前、顔が酷いぞ」

「っせぇな、この顔は生まれつきだい。それより、キース・ランバートがどうしたって?」

「いや、彼に会いたいと思ってここで張ってるんだけど、本人もオペレーターも全然来なくてさ」

「んあ〜…………」

 ハヤテはまだ半分寝ぼけているのか、あいまいな返事を返してくる。セイルは呆れて話を切り上げようとしたが、次の瞬間ハヤテが言った事に目を丸くした。

「……俺、見たぞ……今日、ガレージで」

「「何?」」

 セイルとケイローンの声がハモる。ハヤテは僅かに驚いたようだったが、未だ半眼のまま話し始めた。

「俺昨日、拠点防衛で徹夜してさ、今朝帰ってきたばっかなんだけど……そん時に受付で見たんだ。キースと、その元オペレーター。なんでも、今日個人的な理由でACを使用するからって……」

 個人でACを管理しているレイヴンでも、出撃のつどコーテックスや企業へ連絡を入れるのが定例となっている。しかしそれほど重要視されているわけではなく、連絡を怠るレイヴンも多い。それを推して、キースは一体何の連絡をしにきたのだろうか。

「で、その使用目的は?」

「知らねぇよ、眠かったんだから。二人でどっか行くとか言ってたけど、あんまし覚えてない……もういいか?家帰って寝なおしたいんだよ……」

フラフラとした足取りで部屋を出て行くハヤテを見送り、セイルは起こしていた身体を再びソファに預けた。

「……どう思う?」

「分からん。あいつ寝覚めが悪いから誰かと見間違えたかもしんねぇし、そもそも全部夢かもしれねぇ。第一、ACに二人乗りして行く所なんて有るか?」

「ピクニックって訳じゃないよなぁ…………」

 セイルはピアスをいじりながら思索を巡らせて見る。しかし浮かんでくるのはキースの冷たい声ばかりで、さっぱり考えが纏まらなかった。

(そういえば、アリーナ襲撃の時もキースは冷たい声だったけど……何だろう、あの時はなにか違う感じの声も聞いた気がする…………)

 セイルはキースが普段と違う喋り方をした原因を考えようとして、止めた。そして脇においた缶に手を伸ばし、口に運ぶ。元より考える必要など無かった。どれほど冷静な人間でも、かならず隙を見せる一瞬。それはトップランカーである彼とて同じだろう。かく言う自分も、今さっきまでそうだったのだから。

(女……か…………)

 

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