このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
Brace of Raven. Side K〜そして彼女と回想を〜
屈折率の影響だろうか、通路を仕切っている半透明な壁からはひたすらに青い光のみが差し込んでくる。壁の向こうにはもう一つの通路があり、その向こうにはまた通路があった。天井や床面を見てもその限りで、幾重にも重ねられた通路はまるで合わせ鏡の中に入り込んだかのような錯覚に陥らせる。
そんな通路の一つを、一体のACが進んでいた。全身金色のカラーリングに、闇を抱いた翼のエンブレム。トップランカー、キースのAC、ケルビムだった。
「ここもか……」
薄暗いコクピットの中、キースは周りを見渡しながらそう言った。彼はブーストダッシュを使うことも無く、重厚なボディに見合ったゆっくりとした動きでケルビムを歩かせている。彼はパイロットスーツを着ておらず、私服のままでシートに座っていた。
「レイヤードの階層構造にも似ていますね。やはり、人が住むために作られたものなのでしょうか……」
キースの後方、耳元の上辺りから声がする。シートの後ろにあるスペースには、ボブカットの女性、エマ・シアーズが居た。サイズの合わないパイロットスーツを着て、シートに寄りかかるようにして立っている。ケルビムは二人を乗せたままゆっくりと進み、やがて一つの隔壁にたどり着いた。
「既に機動していませんね。どうします?」
「……突き破る。掴まっていろ」
エマがしっかりとシートを掴んでいるのを確認し、キースはコントロールグリップを操作する。ケルビムはレーザーブレードを発振させると、腰を落とした状態で後ろに振りかぶり、踏み込みと共に隔壁に突き刺した。
防弾コーティングされているはずの隔壁はブレードの一撃で突き破られ、拡散するエネルギーによって融解する。ケルビムは身をかがめ、隔壁の穴をくぐりぬけた。そこは今までの通路の数倍の高さがある空間で、両側の壁にはタービンらしきシリンダーが並べられている。空間の壁面や床には、あちこちに焼け焦げや融解、爆発の後があった。
「動力施設、ですか? ここももう動いていませんね。しかし……」
エマは身を乗り出してディスプレイを凝視する。手を伸ばしてコンソールを弾き、カメラをズームさせながら彼女は言った。
「傷だらけに見えますが、大体は戦闘による物です。六年も経っているのに、殆ど老朽化していない。スイッチを入れるだけで動き出しそう……」
「この場所への進入路を知っているのは俺だけだ。ミラージュを初めとする企業軍ですら、未だここに到達したという話は聞かない。この場所に来たのは、後にも先にも俺一人…………そう……その筈だ」
エマが振り返ると、キースはディスプレイの一点を険しい表情で見つめている。エマが視線を向けると、そこには焦げついた床があった。他の場所に比べ、明らかに大きな爆発があったと思われる傷跡。キースは暫くの間、それをじっと見つめていた。
「……キース? あれが何か?」
「…………行こう」
エマの問いかけを無視し、キースはケルビムを発進させる。もう一枚の隔壁も突き破り、さらに青い光の通路を進んだ先には巨大な縦穴があった。キースはエマを再びシートに掴まらせると、ケルビムを縦穴に飛び込ませる。
「え? あっ!…………っ……」
エマは長々と続く自由落下に必死に耐えていたが、やがてケルビムはブースターで減速しながら底に着いた。
「……大丈夫か?」
「ええ、なんとか……絶叫マシーンは好きではありませんが……」
キースは身体を震わせているエマの手をそっと握り、彼女を落ち着かせた。やがて震えが止まったのを確認し、キースは手を離してケルビムの操縦に戻る。さらにいくつかの隔壁を破壊して進むと、先程の縦穴ほどの広さがある丸い部屋に出た。
円周部には計四つのコンピューターが置かれており、この部屋もあちこちに戦闘の痕跡がある。さっきの空間にもあった一際大きな爆発の跡もあり、やはりキースはそれを凝視していた。
「…………」
エマは何も聞かず、同じように焼け焦げを見つめてみた。やはり何かが爆発した跡のように見える。サイズからして、ACか大型MTに類する物だろう。しかしそれにしては、周囲に散らばっている破片が妙に少な過ぎるような気がした。
「……掴まれ」
「えっ?」
エマが反応するよりも速く、キースはケルビムを操作し、床面に向けてプラズマライフルを撃ち込んでいた。金属の溶ける音に驚き、エマは慌ててシートにしがみつく。そしてプラズマ弾を何発か撃ち込んで融解した床に、ケルビムはブレードを突き入れた。ケルビムが立っていた床が崩壊し、機体が落下する。床面の下には、先程と同様の縦穴が口を開けていた。
「あ、っ!!…………?……」
再び落下の恐怖に身をすくませるエマ。しかし、浮遊感は一瞬で終わり、機体が着地する感覚がした。顔を上げてみると、縦穴には壁面に沿って、リング状のキャットウォークが幾重にも設けられている。ケルビムはさっきまで立っていた床面のすぐ下のキャットウォークに着地したのだ。
「……心配するな」
キースは横目でエマを見ながらそう言った。相変わらずの仏頂面だが、エマには僅かに優しさが感じられた。
「…………ふふ」
エマは恥ずかしそうに微笑むと、シートの後ろからキースの首に手を回し、しっかりと抱きついた。
「大丈夫です……行って下さい」
「………………」
キースは一瞬戸惑ったようだったが、僅かに口元を歪ませるとグリップを握り直し、ケルビムを移動させる。少し落下するごとにキャットウォークに着地し、速度を殺しながらゆっくりと縦穴の底へたどり着いた。エマはキースから離れ、ディスプレイを見る。そこにも一つの通路があり、隔壁によって閉じられていた。
「…………」
キースは隔壁に近付くと、上部にブレードで切れ目を入れ、隔壁を切り取って押し倒す。そのすぐ先にも、同じ隔壁があった。
「…………」
「あの、もしかしてこれが幾つも続くのですか?」
「…………」
キースは一瞬沈黙するが、すぐに同じ作業で隔壁を破壊する。その後も何枚もの隔壁を破壊し、最後に一際厚い隔壁を融解させると、またも縦穴が現れた。しかし今度は下ではなく、上に向かって伸びている。
「…………行けるか?」
「貴方と一緒なら」
「………………フッ」
キースはコンソールを操作し、ケルビムをブーストジャンプさせる。一瞬鳴り響いたアラートを沈黙させ、ケルビムはブースターを吹かしてゆっくりと縦穴を登っていった。その間にもキースは物凄い速さでコンソールを操作している。と、不意にエマがコンソールの下からキーボードを引き出し、操作し始めた。
「手伝います。ブースターへの供給率だけ調整してください」
「…………」
キースは一瞬驚いたようだったが、すぐにエマへとコントロールをまわした。二人の操作を同時に受けながら、ケルビムは縦穴をぐんぐん上昇していく。
やがて今まで落下してきた分と同じくらい上がったころ、上部に縦穴の天井が見え始めた。しかし同時に、リミッター解除を使ってフル稼働していたジェネレーターにも限界が訪れる。通常のブースターでは上までたどり着けないだろう。
「……行くぞ」
「はい!」
エマはキーボードの操作をやめ、再びしっかりとキースにしがみ付く。キースは機体のオートバランサーを解除し、ケルビムの身体を上に向けた状態でOBを起動させた。
大量のエネルギー粒子を下方へと噴出し、ケルビムは縦穴の出口に向かって機体を加速させる。ケルビム自身の重量のせいでそれほど激しい加速にはならないが、それでも常人に耐えられる速度ではない。にも関わらず、エマは表情ひとつ歪めることなくキースを見つめていた。
「………………」
キースはそれを見ると満足そうに口元を曲げ、ケルビムにブレードを構えさせる。そして機体が天井に接触する瞬間、左腕を突き上げて天井へと叩き付けた。ブレードの熱とエネルギー、さらにOBの慣性によって天井は一瞬で融解し、ケルビムを天井の上へと通過させる。
同時にキースはOBを切り、ケルビムを着地させた。即座にリミッターを再起動させ、排熱とエラー処理を行う。
「…………無事か?」
「大丈夫です。それより、ここが…………」
エマはディスプレイに映った光景に目を奪われていた。そこはアリーナがすっぽり収まってしまいそうなほどの広い空間で、壁面や床にはオレンジ色のクリア板がはめ込まれている。
天井もアリーナ同様に高く、高度的には地上と変わらない高さにあるだろう。そして正面の壁には、高さ数十メートルはある巨大な柱のようなものが埋め込まれていた。柱を覆うように着いているクリア板は砕けており、元々は白かったのであろう柱の本体も爆発で黒く焦げついている。
「…………」
キースはその柱をじっと見つめている。その眼はまるで、故郷に帰ってきた老人のような郷愁を帯びていた。しかし、視線がゆっくりと下げられた途端、その眼は急に悲しみと落胆を帯びた物になる。
柱の根元には、今までの物と同じ爆発の跡があった。焦げついた範囲は一回り大きいが、先程の物と変わりない。爆発したはずの物が何処にも見当たらない所も、全く同じだった。
「………………セレ…………」
キースはギリ、と歯を噛み締め、その焦げつきを睨んでいたが、やがて表情を落ち着かせ、エマのほうに振り返った。
「……どう思う」
「……ここに来た事がある人物が貴方だけだというのなら、矛盾が発生しますね」
エマはケルビムのカメラを操作し、周囲を確認しながらそう言った。この空間にもあちこちに激しい戦闘の痕跡がある。単純な火薬やエネルギーの爆発の跡から、榴弾が降り注いだかのような多数の弾痕、レーザーを照射しながら薙ぎ払ったような深い溝もある。
「今まで通ってきた縦穴のうち、最初の物と最後の物には移動用のリフトがありました。今貴方が突き破ったこの床も、さっきの縦穴を移動する為のリフトですね」
エマはカメラをケルビムの足元に向ける。今ケルビムが立っている部分だけは、周りの床面から丸く切り取られたようになっている。
「……そうだ。この場所に来るとき、俺はこのリフトを使った」
「往路はそうですね。では、復路は? 帰るときもこのリフトを使いましたか?」
「……その筈だ」
「では、なぜこのリフトはここにあるのでしょう。帰りにこのリフトを使ったはずなら、このリフトは縦穴の底に無ければいけません」
「…………」
確かにそのとおりだ。キースがこの場所から帰還する時リフトを使ったのなら、この場所にリフトは無い筈である。
「もう一つ、最初の縦穴も、底の床面はリフトになっていたと思います。この場合は、復路ではACで縦穴を上昇すれば良いだけなので使用する必要はありません。そうですね」
「……ああ……その通りだ」
「では最後に……貴方がここに初めて来た時、あのような物はありましたか?」
エマはケルビムのカメラを最大望遠にし、上へと向ける。空間のはるか上方にある天井には、巨大な穴が開けられていた。
「…………いや」
「……以上です。結論としては、ここ六年の間に、この場所に何者かが侵入していた。貴方以外に進入経路を知るものが居ない筈の、この場所…………サイレントライン最奥部、アナザーレイヤード中枢にです」
「…………」
キースは暫く俯いて黙り込んでいたが、やがて顔を上げた。エマはキースが見ていた焼け焦げの部分をディスプレイに表示し、キースに話しかける。
「この場所には、何があったんですか?」
「……セレの機体……アナザーレイヤードの管理者が保有していた、サイレントラインの最終兵器……俺はそれを、この場所で破壊した…………今までに有った焼け焦げも、全て俺がサイレントラインのACを破壊した跡だ」
「……しかし、破壊したはずの機体の残骸が、一つたりとも見当たらない」
「そうだ……本社襲撃事件の時、敵部隊にはサイレントラインのACが多数配備されていた……まさかと思った。あれが作れるのは……」
「AI研究者、セレ・クロワール……その名を借りた、アナザーレイヤードの管理者『IBIS』だけの筈……」
「…………」
キースは再び沈黙する。エマはディスプレイから目を離し、キースへと視線を移した。
「セレが……彼女が、俺たちの為に……人類の是正の為に……使っていた機体を…………それを奴らは……」
キースの顔が悔しさに歪む。歯を強く噛み締め、瞳は獣のように鋭くなっている。やがて彼の表情に強い怒りが表れ始めた時、その表情を覆い隠すかのように、エマはキースの頭を抱き込んでいた。
「大丈夫……大丈夫です。何者かが彼女の機体を持ち出したといっても、それは貴方のせいではありません。確かに、彼女と別れてから六年も時を過ごしていたのは正しい判断では無かったかもしれませんが、貴方は今、その失敗を取り戻そうと必死で動いている。大丈夫、誰も貴方を責める人は居ません。だから…………」
エマはキースの頭から手を離し、顔を上げたキースと正面から見つめ合った。キースは期待と不安とが一緒になったような複雑な表情を浮かべている。こんな表情も出来るのかと、エマは彼のことが微笑ましく、また愛おしく思えた。
「だから、これから始めましょう。貴方が彼女から託された願いを……それを実現する事を……貴方はたった一人で何でもやってきたのですから、二人ならそれ以上の事が出来る筈です。大丈夫、貴方が道を進むのを、私は全力で支えます」
「……エマ…………」
「……キース…………」
天井に開いた穴から光が差し込み、照明の無い薄暗い空間が僅かに明るくなる。まるで旧世紀の神殿のように朽ち果てた廃墟の中、静かに佇む黄金の天使に抱かれるようにして、二人は口付けを交わしていた。
戦術画面には、コミカルな宝箱の絵が表示されていた。キースはキーボードを操作し、宝箱にかけられたいくつもの鍵を一つ一つ開いていく。やがて最後の鍵が取り払われたとき、中から一つの黒い箱が現れた。
「それは?」
「コンバットレコーダー……機体が最初に起動してからの間、採取した全ての情報がここに記録されている。映像から音声、通信に至るまで全部…………俺が、ここでセレを倒した時に、彼女が言っていた事も、ここに残されている」
「っ!!」
かつてキースがSL事件の黒幕、もう一つの管理者が操る機体を撃破したとき、管理者は再びセレの人格を使い、キースにメッセージを残していた。
しかし、それまでの戦闘で疲労困憊し、疲れ果てていたキースはそれを聞く前に意識を失い、やがてエマの通信によって目を覚ますまでの間ずっと気絶していたのだ。そのため、彼女が言いたかった肝心な部分、キースに託された願いの真意は、今まで分からないままだった。
「では、この中に彼女の願いが?」
「そうだ……この六年間、とても開ける気になれなかったが……お前と一緒なら、開けられる気がする」
キースはそう言いながら最後の始動キーに指を置くと、エマに目線を送る。エマは優しく微笑みながら頷き、キースの指に自分の指を重ねた。二人は互いに微笑み合うと、同時にキーを押す。ブラックボックスが開かれ、戦術画面に膨大な量のファイルがあふれ出した。
「こんなに?」
「俺がこの機体を完成させてからずっと溜め込んできた情報だ。あの日の物を探し出すだけでも時間がかかるだろうが……」
「これが、私たちの始まり……ですね……」
エマはキーボードを弾き、表示位置をディスプレイに変更する。瞬く間に視界を埋め尽くしていく情報の山を見ながら、二人は再び微笑み合った。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |