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近くにありて遠きしは〜戦友と戦友〜
「はっ!」
セイルが裂帛の気合いを放つと共に、ジャスティスロードは溜めていた左腕を勢いよく突き出した。左腕部からは光を纏った巨大な杭が放たれ、眼前のカイノスに突き刺さる。杭はそのままカイノスのボディを貫通し、勢い余ったエネルギーが後方へと抜けていった。
「次!」
セイルは即座にジャスティスロードの腕を引き戻すと、その勢いのままに機体を回頭させ、左へと向き直った。そこには後方から接近していた新たなカイノスがレーザーブレードを振りかぶっている。
アストライアのリロードが間に合わないと判断し、セイルはカイノスの左腕にむけてジャスティスロードの右腕部を突き出した。何も装備の無い右掌はカイノスの左腕を掴んで押し留め、攻撃をストップさせる。直後にジャスティスロードの背後から脇下を潜るようにして展開した二枚のBISが、先端から発振したレーザーブレードでカイノスを貫いていた。
同時に装填、排熱の終わったアストライアを構え、ジャスティスロードは新たに現れたカイノスへと突進した。
(さっきのが確か七機目、って事は残りは……)
放たれたミサイルをTOBで躱し、セイルは難なくカイノスを撃破する。同時にアストライアの残弾が無くなり、肘部近くのカバーが開いて回転式弾倉が排出された。
(二機!)
ジャスティスロードは腰部のポケットから弾倉を取り出し、アストライアの後部に装着する。アストライアが自動で再装填を行っている間にもジャスティスロードはHOBを起動し、次のカイノスへと突進していた。
放たれるレーザーの連射を軽々と躱しつつ接近し、カイノスがブレードを展開するより速くアストライアを突き立てる。軽量級とはいえジャスティスロードの全重量と、限りなく音速に近いHOBの速度を全てのせた一撃はカイノスのボディを紙切れのように引き裂き、四散させた。そのままジャスティスロードは残り一機のカイノスに向かって方向転換しようと、OBを停止してブレーキングする。
(残り一……っ……機!)
しかしその瞬間、ジャスティスロードはミサイルの直撃を受けていた。速度が落ちきらないままに受けた鋼鉄の爆風は相対速度の大きさによって威力が倍増し、ジャスティスロードのボディをグラリと傾けさせる。
展開されていたBISが即座に体勢を立て直すが、被弾した脇腹部分は第二次装甲版まで深く抉られていた。
「っく……」
脚部をぴったりと接地させて急激に速度を落とし、ジャスティスロードはカイノスに向き直る。レーザーを放ちながら接近してくるカイノスを正面に捕らえると再びHOBで加速し、すれ違いざまにBISのブレードで両断した。同時にホール内にブザーが鳴り響き、オペレーターが通信を入れてくる。
『規定数の撃破を確認した トレーニングを終了せよ』
「了解、帰還します……ふぅ……」
セイルはジャスティスロードとの同調を解き、ヘルメットを外す。ホールのゲートから作業用のMTが入ってくるのが見えた。
「お疲れ様です。どうでした?」
ジャスティスロードから降りてきたセイルに、コンソールをいじっていたエディが声をかける。ここはコーテックスの所持するAC用演習施設『ナインブレイカー』。レイヴンが機体構成や訓練を行う為の場所であり、セイルはジャスティスロードの性能調整のためにここを訪れていたのだ。
「ああ、アストライアはもうバッチリだな。取り回し易くなったし、反動も小さくなった。でも、BISのブレードはちょっと調整したほうが良いかな。HOB中に展開し続けると消費が激しすぎる」
「そうですか? でも、HOBの使用に支障が無いくらいまでエネルギー消費量を下げるとなると、大分威力が落ちちゃいますよ。現在のBIS内蔵ブレードの威力値が、約2000。セイルさんが指定するくらいまでエネルギー消費量を下げたときの威力値が、約1600。僕が特注のパーツを使ってチューニングしても1800がいい所です。カイノス級のMTを一撃で撃破するのに必要な威力値が大体……」
「それでいいよ。そもそも一体のACにムーンライト並みのブレードが四本も着いてるのがおかしいんだから」
長くなりそうな話を切り上げ、セイルは首を上げてジャスティスロードを見やる。早くも破損した装甲の交換作業が行われており、件のBISは右腕部ごと取り外されていた。
BIS、ブレードインタースタビライザーは、ジャスティスロードの大きな特徴の一つである。
通常フレームパーツに付属されている程度の存在であるスタビライザーを一つのパーツとして独立させ、さらにレーザーブレードまで内蔵したエクステンションパーツ。高速移動中の姿勢制御を、モーメントコントロールだけではなく空力にも求めるというのは、現用のACには見られない画期的な装備だった。
しかしそれでもHOB中の姿勢制御には力不足なのか、ジャスティスロードには四本のBISの他にも六本のスタビライザーが取り付けられている。そもそもクライシスに渡された資料には、元々六本のスタビライザーで制御しきれない分を補う為にBISを装備したのだと書かれていた。
「わかりました。でも、いずれは少しずつ威力を上げていった方が良いと思いますよ。セイルさん自身まだこの機体の操作に慣れてないでしょうし、そもそもこのむちゃくちゃなジェネレーターでエネルギー不足なんてそうそう有りませんよ」
「そうなのか? まぁ、攻撃力は高いほど良いんだろうけど……でも、やっぱりいまいちしっくり来ないんだよな…………」
セイルはパイロットスーツの上半身を着崩し、休憩スペースのベンチに腰を下ろした。そして考え事をするように額に手を当て、眉をひそめる。
「クライシスは、ジャスティスロードは俺に最も適したACだって言ってた。実際、あいつの性能はすごい。俺がやりたい事は何でも出来るようになってるし、好き勝手に動かしてもちゃんとついて来てくれる。でも、何かまだ違和感があるんだ。なんて言ったら良いのか……そう、俺って言う存在を入れる器として、形はぴったりなのに少し大き過ぎると言うか…………?……どうかしたのか」
顔を上げたセイルは、エディが感心したような表情で微笑んでいるのに気付いた。エディはセイルの訓練結果が記された資料を見ながら言った。
「いえ、やっぱりセイルさんってすごいですよ。あの機体の本質をちゃんと理解してるんですから。普通のレイヴンにはこんな事出来ません」
「ジャスティスロードの本質? 何だそれ? あいつに、まだ隠れた機能があるのか?」
「しかも無意識。これはもう才能の類ですね。どうやったらそんな力がつくんですか?」
「おい、もったいぶらないで教えてくれよ。ジャスティスロードには一体何があるんだ?」
エディは資料を捲る手を止め、セイルの方を向く。その顔は感嘆と尊敬の念に満ちていた。
「さっきも言いましたけど、カタログスペックではあの機体の性能はとてもバランスよく出来てるんです。それこそ、セイルさんの全てを受け止められるくらいに。でも、セイルさんはその機体に扱いづらさを感じている。それは何故だと思います?」
セイルは全く分からないと首を振る。それに対してエディはこう言った。
「じゃあ、セイルさん、今までジャスティスロードにどんな調整をしたか覚えてますか?」
「え? んと……最初はアストライアの反動を抑えるために射出エネルギーの量を抑えて、次にTOBの入力反応を鈍くして移動距離の調整を簡易化、それからさっきはBISのブレードの出力の低下……って、あれ?」
セイルはそこまで言って気が付いたらしい。エディは微笑みながらその疑問を補完する。
「そうなんです。今までの調整って、全部操作性を向上させる物なんですよ。そしてそれは、結果的に機体の性能を下げる事になってしまっている。残念ですけど、現在のセイルさんの技術ではあの機体を扱いきれていないんですよ」
「……じゃあ俺は、せっかくの機体を無駄にしてしまってるのか? せっかくクライシスが……」
「いえ、無駄になんかなりませんよ。現にあの機体は、セイルさんのどんな操作にも答えてくれてるじゃないですか。確かにあの機体の性能はセイルさんには高すぎますけど、実はそれすらもセイルさんの事を考えたうえでの物なんです。セイルさん、既に完成してしまっている物に手を加えても、質を下げる事にしかならない。これは分かりますよね」
セイルは神妙な顔でエディの言葉に頷く。エディはハンガーに入れられたジャスティスロードに視線を移すと、そのボディをじっくりと、観察するように眺めながら言った。
「あの機体、ジャスティスロードは、セイルさんという一個人の為だけに設計された物、いわば一つの究極体です。しかし、そんな出来上がってしまった存在に、セイルさんは何度も手を加えています」
セイルは話を聞きながらエディの横顔を盗み見る。ジャスティスロードを見つめるエディの表情は、まるで美しい芸術品を見ているかのような感動を秘めていた。
「それなのに、ジャスティスロードは全体的なポテンシャルを全く低下させていません。と、いうのも———ここから先は詳しいスペックを見ないと分からないので僕の推測ですけど、ジャスティスロードはそういった「搭乗者の技量に合わせた性能低下」を許容するように作られているんです」
エディは身振り手振りを加えながら説明を始める。エディはこういったメカニック関係の事に関して物凄く饒舌になり、相手を置き去りにして長々と喋り続ける癖がある。しかしいつもはうっとおしいだけの長話に、セイルは真剣に聞き入っていた。
「つまり、ジャスティスロードを作った人———その、クライシスという方は、セイルさんが扱いきれない事を理解した上で目一杯性能を高めた機体を組み上げた。そしてその代わりに、セイルさんがその性能を余す事無く発揮できるようになる日までの手助けとして、機体の性能バランスに調整が効く遊びの部分を持たせた。つまりジャスティスロードは、セイルさんの成長に合わせて強くなってくれる機体なんです」
「…………」
まいった。とセイルは思った。
どうやら感動するのは自分の方だったらしい。オーダーメイドのACを無償で作ってくれた事だけでも感謝しきれない事なのに、まさかここまで気を回してくれていたとは夢にも思わなかったのだ。
そして、詳細なスペックを見ていないにも関わらず機体の本質に気付いたエディも同様である。ジャスティスロードの設計資料はクライシスに言われた通り誰にも見せていないが、エディになら大丈夫かもしれない。
「まずいな……これじゃ、あいつには一生頭が上がらなさそうだ」
セイルは苦笑すると、パイロットスーツを着なおして立ち上がった。ジャスティスロードは既に修復され、スタンバイ状態に入っている。
「もう一戦行ってくる。エディ、準備してくれ」
「あんな機体、現在のAC構築理論からは考えられません。コーテックス所属のアーキテクトを全員集めたとしても、基礎設計すら成り立たないでしょうね。中でも一番特異なのが……って、セイルさん、また行くんですか?
「ああ、作ってくれたあいつの為にも、早く使いこなしたいしな。次は
「ちょっと待って下さいよ。まだBISの調整だって……セイルさぁん……」
スタスタと行ってしまうセイルの背中を、エディは溜息をつきながら追いかけた。
『このプログラムは水平方向の移動トレーニングです。障害物を避けながら目的地に到達する事が目標となります』
オペレーターの事務的な声を聞きつつ、セイルはコントロールスティックを握り締めた。頭の中でイメージした行動と、それを行うための操作手順を何度も反芻する。
『制限時間が経過した場合、トレーニングは失敗です。では、開始して下さい』
ブザーが鳴り響くと同時に、セイルはジャスティスロードをダッシュさせた。最高速度480km/hというフロートACをゆうに超える高速度で、ジャスティスロードはトレーニング用のトンネルの中を進んでいく。所々に設置されている障害物をブースターの噴射方向を操作して躱し、セイルはさらに奥へと進んだ。
『残り40秒』
残り時間を告げるオペレーターの声を合図に、セイルはジャスティスロードのOBを起動した。コア後部のハッチが展開し、光の粒子が収束してゆく。
HOB・ハイパーオーバードブースターは現用のOBの倍以上のエネルギーを圧縮可能な機関部を有しており、クライシスの特殊な設計によって出力、効率共にずば抜けた物となっている。ジャスティスロードの高速戦闘を支える圧倒的な速度は、このHOBによって生み出されているのだ。
吐き出された大量のエネルギーによって、ジャスティスロードは一気に亜音速まで加速する。
身体を押しつぶさんとする強烈なGに顔をしかめつつも、セイルは目に映る景色を凝視した。頭部パーツに装備された特殊複合センサーによって、ジャスティスロードのカメラが捕らえた映像は全く劣化する事無く、規模のみを人体に影響の無い範囲まで縮小してセイルの網膜に投影される。
1000km/hという常人では気が狂いそうな速度の中、セイルの目にはトンネル中の指示灯や障害物、そして暫く先にある曲がり角までがはっきりと見えていた。
(今までどうしてもタイムをロスしてたこのコーナー……ここを越えられれば……)
数秒にも満たない僅かな時間の中、セイルは機体に追いつかんとする高速度で思考する。先ほどの剣術トレーニングの時、僅か一発のみの、しかし実戦では致命的な被弾をした時の事を……
(HOB後の減速や方向転換時にできる隙……それを克服できる!)
そしてジャスティスロードがコーナーに差し掛かった瞬間、ジャスティスロードはHOBを停止し、脚部を接地して減速を始める。
ジャスティスロードの脚部パーツは通常のACより遥かに高いグリップ性能を持ち、機体の急激な減速を可能とする。しかしそれでもHOBの出力を瞬時に殺しきる事は出来ず、大きな隙を作りだしてしまう。
それがジャスティスロードの弱点、立ち止まる事のない聖騎士が唯一静止する瞬間だった。しかし
(…………っく……)
横方向への急激なGに抗いつつ、セイルは急激にコントロールスティックを引き戻し、フットペダルを踏み込んだ。
ジャスティスロードは右脚部のみを路面にぴったりと接地し、同時に左背部のTOBを起動する。右半身の急減速と左半身の急加速を同時に行ったジャスティスロードは、接地した右脚部を支点に振り子のように機体を回転させ、速度を落とす事無く瞬時に右側へ90°旋回していた。
(あああっ!!…………)
崩れる姿勢をBISが立て直し、ジャスティスロードはコーナーを曲がりきる。同時にHOBを再起動させ、速度を取り戻したジャスティスロードは障害物をものともせず一気にゴールへと滑り込んでいた。
『目標地点への到達を確認。トレーニングを終了します』
「っ……やった!…………」
新たなパターンの構築と弱点の克服。セイルはコクピットの中で歓喜の声を上げていた。
「…………」
モニター越しにセイルのトレーニングを目の当たりにして、エディは言葉を失っていた。兵器の概念どころか物理法則すら無視しかねないジャスティスロードの高速旋回。機体はもちろんパイロットにも相当の負担がかかる筈だが、ジャスティスロードから降りてきたセイルはケロリとした顔をしている。
「……まったく、どこまでも規格外な機体ですね……」
エディは溜息をつくと、プリントアウトされたトレーニング結果の資料に目を通す。これだけで論文が一つ出来てしまいそうなデータだった。
「……こんな出鱈目な数値、一目見ただけでは記録ミスにしか見えませんよ」
エディは資料をポケットにしまいこむと、再びモニターに視線を移した。そこに写っているのは晴れやかな表情で寛いでいるセイルの姿。しかし、エディの眼はさらにその向こうを見つめていた。セイルの思考の奥、彼が思い浮かべているであろう一人の人物を。
「クライシスさん……ですか…………一体、どんな人なんでしょうね…………」
………………同時刻、某所、とある小料理屋
「いらしゃませ〜」
来客を知らせる鳴子の音に、若い店員がやる気の無さそうな声を上げる。店の入り口からはコートを着た一人の男が入って来た。
帽子を目深に被り、さらに眼鏡をかけているせいで表情は窺えない。男は店員を一瞥すると近場のテーブルに着き、店の中を見渡した。狭いながらも小奇麗で雰囲気の良い店だったが、閉店間際という事もあってか、客は彼以外に殆ど居ない。
「ご注文は……」
「チキンサラダ」
「……かしこまりした〜」
店員は男の様子を見て眉をしかめた。態度の悪さなら自分も人のことは言えないのだが、彼は席についても帽子を脱がず、コートも着たままだったのだ。店員は訝しげに思いながらも厨房に戻り、鍋を覗き込んでいた店長に注文を伝える。
「てんちょ〜、チキンサラダ一丁〜」
「寝言は寝てから言え。ウチのメニューにそんなもんは無ぇ」
恰幅の良い店長は鍋から視線を外さずに店員を叱咤した。まったくいつまでも仕事を覚えない奴だ。大体何を聞き間違えればチキンサラダになるのか。いいかげんそろそろクビに……などと店長は考えていたが、店員の次の言葉を聞いて鍋を突っついていた手を止めた。
「でも、メニュー見ないで注文してましたよ。裏メニューとかじゃないんス……」
「…………今、店の中に居るの身内だけか?」
「え?…………そうッスけど、それが……」
店長は厨房の扉に付けられた覗き窓からフロアを見やる。と、同じく厨房を見つめていた件の客と目が合った。目を見開いて驚く店長と、その店長に向かって口元を歪めてみせる男。次の瞬間、店長は勢い良く扉を開けて叫んでいた。
「クラ坊!!」
店長の張り上げた声に、店中の視線が男へと集まった。一瞬のうちに静寂に支配された店の中にカチリ、と硬い音が響く。男は手に持っていた懐中時計に視線を移し、苦笑した。
「入店から四分三十四秒……また随分と落ちたものだな」
そう言いながら彼は帽子を脱ぎ、眼鏡を外した。その下から現れたのは灰色の髪と緋色の瞳。色白の顔は雰囲気以上に若く、コートを脱いだ身体は身長の割に華奢に見える。そして再び店の中を見渡し、やんわりと微笑みながら彼……クライシスは言った。
「…………ただいま」
粗雑に盛られたチキンサラダを口に運びつつ、クライシスは周りの人達と話をしていた。初めに店の中に居たのは店長と店員を含めて五人。さらに連絡を受けて十人ほどの人が駆けつけ、店の中はさっきまでとは比べ物にならないほど賑わっていた。店に集まった人々は、その殆どが錆びた鉄のような赤い眼をしている。
ここは火星の主要複合都市、コンコードシティ。数日前に地球を発ったクライシスは、自らの生まれた故郷の星へと帰って来ていたのだ。
「で、成果どうだったんよリーダー。予定より随分早かったけど……」
「……協力を求められるような所は無かった。逆に使い捨てられそうになったから、見切りをつけて抜けてきたよ。分かっているとは思うが、俺の事は出来る限り内密にしてくれ」
「ってぇと……何だ? 早い話が、反乱起こして逃げ出してきたってのか?」
店の中が僅かにざわめき立つ。クライシスはその様子を見て訝しげに僅かに眉をひそめたが、構わず話を続けた。
「そんなところだ。ミラージュも酷い物だな、あれならまだジオ社のほうが扱いやすい。まぁ、使えそうなパイプは残してあるし、コネも作っておいた。それに……」
クライシスは食事の手を止め、眼を細める。脳裏に浮かぶのは一人の青年。年上のくせに妙に幼い思考で、そのくせに芯だけはしっかりした戦友の姿を。
「心強い味方も出来た。成果が有ったか無かったかと言えば、確かに有ったと言える」
「ほぅ……にしても、本当に急だったよな。この時期なら、むこうからこっちまで四、五日くらいだろ? その間メールの一本もよこさねぇとは……クライシス、お前、まさか密航でもして来たのか?」
「……ちょっと待て、さっきから妙に話が……」
クライシスは話を遮ろうとしたが、周りの人々は口々にクライシスに話しかけた。
「おいおい、いくらなんでもミラージュにケンカ売るのはまじぃんじゃねぇのか?」
「そうよクラっち。こっちだってミラージュの勢力は充分強いんだから」
「それよりよ、何で連絡もしないで帰ってきたんだ? 知ってたら護衛の一人でもよこしたってのに……」
「リーダー、まずい状況……でも連絡ぐらい、ほしかった」
「そうだぞ、アブソリュートだって輸送やら整備やらで手続き面倒なんだから。ところで今は何処に置いてあるんだ? おまえん家か?」
口々に喋り続ける人々。しかしクライシスは平手でテーブルを叩き、彼らを黙らせた。
「待て……俺はちゃんと『帰る』と連絡した筈だぞ」
「…………」
「………………」
店の中はまたも静寂に包まれたが、すぐにあちこちで話声が聞こえだした。
「おい、連絡なんかあったか?」
「…………は?」
「え? あたしは聞いてたけど……」
「え〜っと……」
「おい誰だよ、連絡網止めてるのは」
「だよなぁ。俺ちゃんと伝えたよな……」
「ACの受け入れ態勢は整えといたぞ」
「私も聞いていなかったが……」
「………………」
クライシスは額に手を当て、情け無さそうに溜息をついた。
「組織内の連絡体制に不備があるようだな……」
クライシスの呟きは火星の宵闇に虚しく消えていく。吹きすさぶ風に雲が晴れ、隙間から火星の衛星ディモスが顔を覗かせた。地球の月より遥かに小さく、しかしとてつもなく近いその星は、確かな月明かりを持って、赤砂の大地を照らしていた。
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