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距離感〜遠く離れてもそこに有り、手を伸ばしても届かない〜
火星、地球から数千万km離れた太陽系の第四惑星である。地表面には酸化鉄からなる赤砂の砂漠が広がり、 極地は二酸化炭素の氷で覆われた過酷な環境ながら、古くから人類の新たな故郷として
大破壊よりもはるか昔、すでに飽和状態になっていた地球からの移住は、人類の新たな一歩となる筈だった。しかし、人々はすぐにそれがただの移住ではなく侵略であったことに気付く。
火星に生息する無人兵器群、ディソーダー。
完全な戦闘兵器でありながら生物に酷似した生態と行動パターンを持ち、火星移住民達の生活を脅かし続ける存在。
それらは移住してきた人類の勢力圏に進行しては破壊活動を行い、その度に鎮圧されては再進行を繰り返している。個々の戦闘能力はたいした物ではないものの、個体数を生かした浸透戦は、その度に双方に大きな被害を出していた。火星移住民の歴史は、人類とディソーダーの勢力争いの歴史と言っても過言では無いほどなのである。
そして無論人類も、それらに対抗する為に様々な対策を行ってきた。
シティーガードの軍備増強から、各企業軍によるディソーダー勢力圏への逆侵攻。個人レイヴンによる局地防衛から民間人有志による自警団設立まで行われている。未だ治安と文化のレベルで地球に劣っている筈の火星が、地球とは比べ物にならないほど高い次元で各勢力の連携を成り立たせているのだ。
皮肉な事に、人はディソーダーという共通の敵を持つ事で固い結束を作り出すことになったのである。
そしてここに、そうして作られた自衛組織の一つがあった。『Anti Disorder Atackable Members』通称『
メンバーの多くは現役のレイヴンで構成され、コーテックスの管理から離れた私的行動によって独自にディソーダーとの戦闘、研究を行っているのだ。
本来ならこのようなACを保有する武装集団は危険因子としてみなされ、企業によって駆逐されてしまうのだが、火星という常在戦場を絵に書いたような世界においては逆にディソーダーに対する重要な戦力とみなされ、各管理企業から業務を委託される形で多くの組織が存在している。
無論その全てが額面通りの活動を行っている訳ではないが、ディソーダーの脅威はそれすらも黙認せざるを得ないほどに強大だったのだ。
「まったく……妙に話が食い違うと思った……」
「すいません、最近また大きな侵攻があったもんで。みんな手一杯だったんスよ」
そしてその『アダム』が戦略拠点として使用している借用ガレージの通路を二人の男が歩いていた。
一人は左手にトランクを持ち、不機嫌そうな表情でカツカツと歩いている。彼こそが『アダム』創立者の一人にして現リーダー、クライシスである。
故郷であるこの星に戻っていた彼は、地球では常にかけていた青いレンズの眼鏡を外し、その緋色の瞳を露出していた。地球では半ば差別視されるその目も、この星では同胞の証となる。そして彼に追随するように、黄色の髪をした若い男が歩いている。『アダム』が本部として使っている料理屋で働いていた店員だった。
「店に入った時の反応が遅かったのもそのせいだな。後で連絡網をチェックしておけ」
「うぃす……っと」
青年は通路の先に現れた扉にカードを通し、扉を開く。クライシスは中に入ると、あたりを見渡して僅かに微笑んだ。そこは小規模なガレージ施設になっており、幾体かのMTが並べられている。『アダム』の持つ戦力は、普段コーテックスの管理下にあるACを除き、殆どがこの場所に結集しているのだ。
「あっ、お〜い、カトー!」
「マーティー!」
クライシスに気付いた一人の青年が声をかけてきた。クライシスはそれに手を上げて答えると、彼に向かって歩み寄って行く。
「聞いたぜ。アブソリュートぶっ壊したんだって?」
赤い髪をした青年、マーティーはクライシスに駆け寄ると、互いに突き出した拳をぶつけ合った。その手からは僅かに駆動音が聞こえ、瞳は無機質な光を放っていたが、クライシスに向けた顔は快活そうな笑いを浮かべている。クライシスもそんな彼に微笑を返しながら答えた。
「残念ながらな。だが肝心のモノは無事だ。今奥に運んでいる。組織内の様子は?」
「あ〜、ちょっと前にでかい侵攻があった他には、特に変わりは無ぇよ。メンバーの方は、退会が四人、入会が二人だ。ほら、あいつもそうだ」
そういって彼はクライシスの後ろを指差した。その先には、さっきまでクライシスに着いて来ていた若い男が、壁にもたれてタバコを吸っている。
「…………あの男レイヴンだったのか?」
「ああ、若い上に馬鹿だが、腕はまぁまぁだぜ」
クライシスは店に居た時の彼の接客態度を思い出して渋い顔をしたが、すぐに話を再開した。同時に二人はガレージの奥に向かって歩き出す。
「…………抜けた四人は?」
「ドライの姐さんが廃業。ハイティの野郎は怪我で休業。後は知らねぇ奴が二人戦死だ」
「待て、それだけか? カイホウは?」
「え〜と……生きてはいる」
「…………カンツ氏は?」
「あ〜……死んではいない」
「…………早めに退会するように言っておけ。戦場で死なれたら面倒だ」
「本人戦場で死にたい、つってるけど」
「…………」
クライシスはいつまでも元気すぎる老齢のメンバー達を思い出して頭痛を覚えたが、やがて一人の女性が近付いてきたのに気付いて顔を上げた。彼女は二人に並ぶと一緒に歩き始める。
「久しぶりだなカトラー。調子はどうだ。」
「ユーリか……ああ、調子は悪くない。やはり帰ってくると気が安らぐな。空気の味が違う。ところで、こっちの情勢はどうだ?」
「この鉄臭くて砂っぽい空気がかよ。地球に居るうちに感覚狂ったんじゃねぇのか?」
「既に聞いたと思うが、数日前に少々大規模な侵攻があってな……」
横からマーティーが茶々を入れてきたが。クライシスは無視して彼女、ユーリと話し続けた。彼女の方も、マーティーの存在を意にも介せずに応答する。
「そういやペコーの奴、また男振ったんだぜ。しかもお前が帰ってくる直前に。ありゃ間違いなくお前に惚れてるな、うん」
「後は企業の方だな。コーテックスはともかくとして、やはりミラージュが……」
「それからよ、メーゼは現在十三回目の夫婦喧嘩中。内容からして長引きそうだからぜってーお前んトコ転がり込むぞ」
「そう、だな……ミラージュは今のところ動いてない。お前の入星もスムーズにすんだし、追っ手の方はしばらく気にしなくて良いだろうな。ところで、バレーナなんだが……」
「お〜い、無視すんなよ〜、悪かったからよ〜」
「そうか、じゃあ最後に…………二人とも聞いてほしい」
突然口調を変えたクライシスに、マーティーもユーリも表情を険しくする。クライシスは二人の意識が自分に集中したのを確認し、
「近いうちに、地球で大きな動きがある。詳しくは言えないが、こちらにも影響が及ぶ筈だ………………組織内の統制、及び関係各所との連携…………実働部隊長『バーストファイア』、外相連絡官『アンダーライン』、共によろしく頼む」
「「……了解!」」
話を聞いた二人は暫く沈黙していたが、やがて申し合わせたかのように微笑み合い、自分達のリーダー兼幼馴染と拳を交わしていた。
三人はさらにガレージの奥へと進んで行く。暫く何も入っていないハンガーが続いていたが、やがてガレージの端へと着いてしまった。他のハンガーから距離を置いた場所に作られたそこには、他とは違う大型のハンガーが設置されている。それを見たユーリ———レイヴンネーム『アンダーライン』———は、ふと思い出したようにクライシスに言った。
「そう言えば例の二号機、結局組み上げたらしいな。生憎私に扱えるものではなかったが……」
「ひがみは止めてくれ。あの機体の事はもう謝っただろう」
そう言いながらクライシスは傍らのハンガーと、そこに収まっているACらしき機体とを仰ぎ見る。と、大きな機械音がしたかと思うと、ハンガーのアームがその機体の頭部パーツらしき物を掴んで取り外していた。
それは整備員達に支えられながら、ゆっくりと下に下ろされていく。それと同時に、ハンガーの傍に一機のトラックが停止した。作業員達がトラックに駆け上がり、積荷のカバーを外す。中から現れたのはアブソリュートが装備していた頭部パーツだった。
「別にひがんでる訳ではない。だが……やはり気なるのだ。あんな無茶な機体を扱えるようなレイヴンがどんな奴なのか……」
「ああ、そうだな……話を聞けばおてんば娘、カタログ見れば鉄砲玉、シュミレーターじゃ既に暴走機関車だったってのに、おまけに個人専用のアレンジまで入れたんだろ? 一体どんな奴が乗ってんだ?」
二人はクライシスの両脇に立ち、ACを見上げながら質問する。それに対してクライシスは、まるで昔の事を思い出すように眼を細めながら答えた。
「そうか…………そうだな。強いて言えば、子供みたいな奴だ。考えも行動も幼くて、単純な意思しか持っていない。そのくせに、自分が信じた事は最後まで、どんな罪を犯してでも突き通す。そんな奴だ」
アブソリュートの頭部パーツはハンガーの機体のそれと並べて置かれ、整備員達が取り付いて何らかの作業を始めた。やがてその中からクライシスを呼ぶ声が聞こえ、彼は返事代わりに手を上げる。
「なるほどな……機体名は?」
「……ジャスティスロード、だったな」
そういうとクライシスは、ハンガーのほうへ向かって歩き出した。整備員達はアブソリュートの頭部パーツから取り出した何かを、もう一つのパーツへと移しかえようとしている。アンダーラインはその後に続きながら言った。
「えっと……『
「いや、『
「へぇ…………あ、そういや例の物。どうだった?」
「ああ、そうだったな…………これ、いつもの所だ」
クライシスはそう言いながら、持っていたトランクをマーティー———レイヴンネーム『バーストファイア』———に手渡した。バーストファイアは片手でトランクを支えると、もう片方の手でそれを開き、さらに中にある内蓋を持ち上げる。トランクは二重底になっていたのだ。
「いつも済まねぇな。火星じゃ未だに手に入りにくくてよ。買い手もよこせよこせって騒ぎ出しちまって……今カードねぇから後で払うわ」
「ああ」
そう言いつつ彼は、トランクの底から四角いケースを取り出した。アンダーラインはそれを見て呆れたような表情をするが、バーストファイアは嬉々としてケースのロックを外し始める。
「毎度毎度助かってるよ。なんなら二、三個持っていっても……あれ? なんだ、お前も案外ちゃっかりしてんな。もう確保済みか」
「……何?」
クライシスは訝しげな顔をすると、二人の元へ歩み寄った。彼が取り出したケースの中には、直径数cm程のリバーシの駒のような円盤が十数個並べて固定されている。そのうちの二箇所が、まるで欠落したように空白になっていた。それを見たクライシスは暫くの間思考していたが、
「………………あの女……」
やがて額に手を当てて呆れたような声を出した。
………………同時刻、地球、コーテックス本社、レイヴン控え室
「…………」
自分以外誰も居ない控え室で、スキウレはバッグから何かを取り出していた。部屋の明かりはついていたが、外の天気が悪いせいで窓は黒く染まり、妙に部屋の中が暗く感じる。スキウレは取り出した何かを手に持つと、それを後頭部に押し当てた。
「……んっ」
そして一瞬身体をビクリと震わせたかと思うと、全身の筋肉を弛緩させてソファにもたれかかる。眼は眠たそうに半閉じになり、頬は妙に高潮していた。
「……ふぅ…………」
スキウレはソファに身を預けたままで、余韻に浸るように長く息を吐く、後頭部から離した右手には、オセロの駒のような物が握られていた。
「………………っ!」
スキウレは暫くの間そのまま天井を見上げていたが、扉の開く音を聞いて驚いたように顔を上げた。
「いよぅ……」
入って来たのはケイローンだった。今日もこの部屋に居座るつもりなのか、Tシャツにジーンズというラフな格好をしている。スキウレは右手をポケットに突っ込むと、頭を元の位置に戻して再び天井を見上げ始めた。対するケイローンは少し離れたところに腰掛け、新聞を開く。
「…………」
「…………」
部屋の中は沈黙で満たされていた。時折打ちつける雨に窓がゆれ、遠雷が低く響いてくるものの、二人は互いに話すことがないのか、黙ったままでいた。スキウレはなんとなく稲妻と雷鳴の間隔を測ってみていたが、不意にケイローンが上げた声に思考を中断される。
「お前、最近また増えてんじゃねぇのか?」
「…………」
「あんましうるさいのもアレだけどよ、適当な所で止めとけ。アヴァロンの事だって……」
「もう……」
話を遮るようにスキウレが口を開き、逆にケイローンは沈黙する。スキウレはポケットから右手を引き抜くと、握っていた手を開いた。彼女が首筋に当てていたオセロの駒が、室内灯の明かりを反射して光っている。
「……使わないと降りられないのよ」
「…………そうか」
ケイローンは仕方無さそうに眼を伏せ、再び新聞を読み始めた。部屋は再び沈黙に包まれ、雷鳴もゆっくりと遠くなっていった。
依存症の危険もそれほど高くないため、合法ドラッグとして軍人や傭兵の間で広く使用されていた。特にレイヴンは、戦闘前の戦意高揚や、戦闘後の精神安定等に多用する傾向がある。無論有害であることに違いは無いので、その生産や流通は各企業によって厳重に管理されているが、未だに密造、密輸が多いという困り物でもあった。
『
「…………」
スキウレはソファに頭を預けたまま、半開きの瞳で天井を見つめていた。頭の中に漂っていた甘い霞も、ケイローンとの会話で晴れつつある。そうなったら自分は、また無軌道な思考の中に沈んでいく事になる。クライシスからちょろまかした分がまだ残っているが。流石に二つ続けて使う気にはなれなかった。
(アヴァロンの事だけじゃない。最近ACに乗るたびに、余計な事を考えるようになってる……)
スキウレは自分の中にある不快感の塊を追い出そうと静かに深く息を吐いた。しかし出て行くのは空気ばかりで、気持ちは全く晴れる気配が無い。逆に頭の方はどんどんはっきりし始め、再びその余計な事を考えるようになってきていた。
世界を統治する三大企業の一角、クレスト・インダストリアルの代表取締役、アルビレオ・ヨハン・クレスト。
彼は代々穏健派ぞろいと言われるクレスト代表の中でも飛びぬけた存在だった。特にSL事件の収束後、被害を受けた地区の復興や難民救済、他企業との各種協定の締結など、その迅速さは正に堅実なクレストのイメージその物とも言えた。クレストとミラージュの最大の違い。多くを求めない事による失う物の少なさは、民衆の生活の安定という形で結果を出している。クレストは兵器産業以外でも、様々なところで民衆から慕われ、信頼されているのだ。
「…………」
しかしそれ故に、クレストは他企業との勢力争いにおいて消極的過ぎるとも言われている。管理者体勢の崩壊後、いち早く地上の開発を開始したミラージュとは逆に、当時のクレスト代表はレイヤード内部での被害復興を重視していた。無論それは間違った事ではない。民衆の生活と生命の安全を図る事は、為政者として当然の行いである。しかしそれは、結果的にミラージュとの勢力差を拡大させてしまう事となってしまった。
そしてSL事件。その頃彼は既にクレスト代表として確固たる成果を上げており、社員からも民衆からも信頼の厚い人物だった。しかしサイレントラインの勢力による被害復興にばかり手を回していた彼は、ミラージュに領内進行の隙を与え、多くの工場や基地を占領されてしまう。
さらにその混乱を狙ったかのようにサイレントラインの衛星兵器が攻撃を仕掛け、クレストは甚大な被害を受ける事となったのだ。
「…………」
SL事件から時が過ぎた今、彼も既にその汚名を濯ぎ、民衆からの信頼も回復しつつある。しかし未だに彼の争いごとを嫌う姿勢は、企業軍を率いる存在として不適格であるといわれ続けていた。
そしてその欠点は、長所である筈の内政の安定にも支障をきたす事がある。SL事件も終わりの頃、ミラージュが件の衛星兵器を手中に収めた事に焦ったクレスト内の過激派が、独断でレイヴンを雇ってミラージュ本社を襲撃するという事件を起こしたのだ。
結果は惨敗。差し向けた工作部隊と二人のレイヴンは、ミラージュが雇ったたった一人のレイヴン、当時既に頭角を現していたキース・ランバートによって全滅させられてしまう。このような内部組織の暴走を押さえられなかった事も、彼の評価を下げる大きな要因となっていた。
「…………ふぅ……」
スキウレは再び大きく息を吐き、閉じていた眼を開く。頭の中は既に完全に冴え渡ってしまっていた。まるでクレストの理念が凝縮されたような、実直さと馬鹿正直さを持つ父、彼女はそんな父の姿勢に反発し、家を飛び出して来たのだ。
やがてこの世界に入って以来、スキウレは彼の事が世間の話題になるたびに気を重くしていた。これではすぐ傍で行動を監視していた方が楽だったのかもしれない。そうしている内にいつの間にか、ロッカーの幻想に浸るようになってしまったのだ。
「…………」
スキウレはまたもゆっくりと息を吐くと、頭を持ち上げた。ケイローンが新聞越しに心配そうな意識を向けているのに気付いたが、こればかりは相談できる事ではない。ケイローンもスキウレの素性については知っているが、故にこれ以上迷惑をかけるわけには行かなかった。
「…………っ……」
そう思った途端、彼女の脳裏に一人の青年の顔が浮かんでいた。クライシス……先日故郷へと帰ってしまったかつての協力者は、こういった愚痴を聞いてくれる唯一の相手だった。
二人が出会ったのは一年半ほど前、クライシスがミラージュの専属レイヴンとして地球に招かれてすぐの頃だった。
スキウレはその頃、かつては手に取るように分かっていた各企業間の裏事情が全く掴めずに困惑していた。そしてそんな時に、比較的容易に企業の深部へと潜り込めるクライシスと知り合ったのである。クライシスとしてもミラージュに忠を尽くすつもりなど毛頭無く、自分、及び自分の組織をバックアップしてくれる存在として、スキウレの財力と発言力は非常に得がたい物だった。
「…………」
はっきり言ってただそれだけ。パートナーと言うのもおこがましい、互いを利用しあうだけの関係である。
しかしそのようなドライな繋がりだったからこそ、クライシスは一切の心配も同情も挟む事無く、公には出来ない彼女の愚痴に付き合ってくれていたのだ。
無論クライシスとて、スキウレの悩みに正面から向き合う気などさらさら無く、愚痴もただ黙って聞き流していただけだったのだろう。それでもスキウレは、心情的に近しい存在で無いにも関わらず心を許せる相手として、クライシスの存在を非常にありがたく思っていたのだ。
「…………」
そしてクライシスの帰還から数日、彼女は彼と出会ってからは控えていたロッカーへの逃避を再び繰り返すようになっていた。頭では分かっていたつもりだったのだが、こうして離れてみる事で、自分の中で彼がどれほど大きな存在だったのか改めて痛感したのである。
「………………ふぅ」
スキウレは自分のバッグを掴むとソファから立ち上がり、シャワールームへと続く扉へと歩いて行った。ケイローンに話す訳には行かないと分かっていても、このままこの雰囲気の中に居てはいつか口を滑らせてしまうかもしれない。
「それに……」
シャワールームの個室に入って鍵をかけ、衣服を脱ぎ捨てながらスキウレは一人呟いた。鏡に映ったその表情は、普段の彼女からは考えられないほど陰鬱な物となっている。豊満な体も妙に血色が悪く、必死に何かの欠乏を訴えているようだった。スキウレは鏡から顔を反らし、寒さを耐えるように浅く身体を抱きしめた。
「こんな顔でいたら、余計に心配してくれる奴が増えちゃうじゃない」
壁一枚を隔てた向こう。ガレージと控え室を繋ぐ廊下からは、ケイローン以上に自分を心配してくれそうな人物。セイルの声が聞こえて来た。
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