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嵐の前の騒がしさ〜いいから仕事しろ〜
「…………」
日輪はどうしてこうも明るいのだろうか。それを単なる核融合反応だと言う様な人間は周りから呆れられるだけだろうが、それにしても太陽の放つ限りない熱と光は止め処なく疑問を投げかけてくる。
「…………」
人類の歴史が始まってより既に数千年、レイヤードでの管理者体制による時間概念の変遷を考えてもそう大きな差のない年月が経過している筈だが、その間にどれ程の人間が同じ疑問を覚えたのだろうか。
ある者は単純な好奇心から、ある者は科学的な探究心から、またある者は原始的な嫉妬心から、何故太陽は明るいのかという一見幼稚な疑問に頭を悩ませたのだろうか。
「…………」
と言っても、そんな高尚な話はこの際どうでも良いのである。先に挙げた疑問を覚えた人間の例からすれば、彼は明らかに一人目のそれなのだから。
「…………」
「……って何時までボケッとしてやがんだテメェはっ!」
スパン、と小気味良い音で頭をはたかれ、セイルは我に返った。慌てて室内に視線を移すが、太陽を眺め続けていたせいで光が目に焼きつき、辺りがよく見渡せない。それでもすぐそこに居るのであろうケイローンに悪態をつくくらいの事は出来た。
「何すんだよいきなり!」
「何がいきなりだ、お前がその体勢に入ってからもう十分は経ったわ」
ようやく目が慣れ始め、辺りの様子が見え始めた。
コーテックス本社のレイヴン控え室はいつも通り、微妙な団欒と緊張感に満ちている。出撃を控えて気を張り詰めている者、逆にミッションから帰還し、神経を弛緩させている者、ただ単に溜まりに来ている者など、様々な感情が入り乱れる場所となっていた。
しかし、今日はやけに人数が少ないように思える。特に後二つの理由で来ている者などほとんど居なかった。
「じぃ〜っと太陽なんか見つめやがって、何だ? 神に祈るようなタマでもねぇだろうに」
「いや…………ただ単に、本当に今日の太陽は明るいなって……」
セイルは再び太陽に目をやる。ケイローンにはさっぱりだったが、セイルには今日の太陽が明るく見えているらしい。
実際の所、ここ最近は太陽の動きが活性化している。白斑の増加によっ表面温度が上昇し、地球に降り注ぐ太陽風も強くなっていた。おかげで気象コントロール衛星の奮闘も虚しく、まもなくコーテックスシティを含む一帯は大規模な磁気嵐に見舞われる事となっている。
今の控え室の状況もそのせいだろう。強烈な磁場によってあらゆる電子機器が異常をきたす磁気嵐下での戦闘は、ACと言えども危険を伴う。本日のアリーナは全試合延期を喰らい、ミッションを受けるレイヴンも極少数だった。
「エディも言ってたよ。今日に限ってレーダーやFCSの強化をするレイヴンが多いって。レンタルのパーツはとっくに出払っちゃったみたいだよ」
「ほぉん……んで、お前はどうしたんだ? マゴマゴしてっとそのうち交通機関まで止まりだすぞ?」
磁気嵐が影響を及ぼすのは無論ACだけではない。一般家庭の家電製品を初め、精密機器やコンピューターにも不具合が生じるだろう。さらに磁場の乱れによる気流の乱れは即時的な暴風雨を発生させる。既に空には明るすぎる太陽と共に分厚い暗雲が浮かんでいた。
「そうなんだけどさぁ、ちょっとレナに残ってるように言われちゃったんだよ。何かミッションの結果報告に不備があったとかで、ジャスティスロードのブラックボックス開けさせられてさ……」
セイルの言ったブラックボックスとは、一般的に言うところのそれではなく、機体が最初に起動してから今までの間に起こった事象を保存しておく記録媒体のことをさす。
そこにはカメラが捕らえた映像から通信音声、武装や装甲の情報や整備・改造の履歴など、あらゆる情報が記録されているのである。保存された情報は戦闘データの取得や戦闘の事実確認などに使われるもので、今回の理由は後者だった。
また、整備員では開く事が出来ないという点では通常のブラックボックスと同じである為、ロックを外す為に機体の所有者であるセイルが居る必要があったのだ。
「もうやる事は終わってんだけど、手続き済ませるまで帰るなって……もうこっちの事情も……」
「悪かったわね考えなくて……」
「…………」
セイルが顔を引きつらせながら視線を動かすと、控え室の入り口にレナが立っていた。彼女も同じく顔を引きつらせ、握った拳を震わせている。
「そりゃそうよね……今日はもう朝から磁気嵐警報出っぱなしだってのにコーテックスに呼び出したりして……」
レナは小脇に抱えていたパソコンを入り口近くのソファに置くと、握った右手の指関節をゴキゴキと鳴らす。セイルにはそれが、ジャスティスロードがアストライアをリロードする音に聞こえた。
「ええ、そうよ……私が仕事用のパソコンだからってうっかりセキリュティ弱めたせいでウィルスにやられたのよ。全部私のせいよ、でもね……」
いつの間にか控え室に残っていたレイヴン達は一人も居なくなっていた。隣に座っていた筈のケイローンですら、読んでいた新聞を残して姿を消している。やがてレナは体を捻り、拳を大きく振り上げた。セイルは身動き一つとれずに顔を引きつらせている。
瞬間、彼女の小さな体に込められた力が一気に開放された。
「早くしないと帰れなくなるって条件は同じだっつってんだろうがぁっ!!」
レナは一瞬体を沈ませたかと思うと下半身のバネを弾けさせて一気にセイルに肉薄し、全体重と加速度をかけた拳をセイルの左頬に叩きこんでいた。
「へぶぁ!!」
身構える事すらできずにその直撃を受けたセイルは訳のわからない言葉を叫び、ソファの背もたれに後頭部を打ち付ける。一瞬遠くなる意識が痛みによって呼び戻され、セイルは余す事無くその苦しみを享受した。
「あ、がが……が……」
ピクピクと痙攣するセイルを尻目に、レナは肩を怒らせて部屋を出て行った。同時に仮眠室への通路やシャワー室に続く扉、テーブルの下等から何人かの人影が現れた。
「うへぇ、噂通りすげぇ威力だな。あの穣ちゃんのパンチ」
「瞬間的な加速から目標の急所を狙った一撃……セイルの戦法にも似ているな」
「(握力+体重)×速度って所かしら。レナパンとはよく言ったものね」
「ったく、こっちは来るたびにこんな感じだな…………」
セイルが顔を上げてみると、そこにはいつものメンバーが揃っていた。ケイローンとアメリアにスキウレ、ハヤテも居る。ケイローンに手を引かれてソファに座りなおしつつ、セイルは言った。
「おまえら……いったい何処から沸いてきたんだよ……」
「おいおい、あの顔見てその場に残れってのは酷な話じゃねぇか。オレはあのオペ子ちゃんに般若の面影を見たぜ…………ところでセイルの相手候補No.2ってのはあの娘か?」
「緊急避難ってやつだな。法的な罪も軽いぞ」
ハヤテとケイローンがニヤついた顔を俯かせながら言う。スキウレは既に隠すつもりも無いのか二人以上に顔をニヤつかせ、アメリアは何やらぶつぶつと呟いている。
「セイルもデリカシーが無いんだから、レナっちは根に持つわよ?」
「速度を攻撃に転用する戦法はあのメビウスリングも使用している……わたしも一考の余地があるか……」
「……お前らなぁ、また妙な事…………!」
セイルの言葉は突然の騒音によって中断されてしまった。見ると窓の外ではまさにバケツをひっくり返したかのような豪雨が降っている。遠くの空には未だ太陽と蒼天が覗いているというのに異様な光景だった。
「また急に降って来やがったな……蒼天の霹靂ってやつか」
「……ハヤテ、ヘキレキってのは確か雷じゃなかったか?」
そう言っている内にも雨足は強まり、空に稲光が走る。間をおかずに轟いた雷鳴に一同は一瞬体を竦ませた。
「…………ほらな、オレの言った通りだろ?」
「馬鹿な事言ってる場合じゃないわよ。もう公営の交通機関は全線ストップしたらしいわ」
スキウレが携帯端末を見ながら言った言葉に、何人かが溜息を漏らした。
「今日は帰れないか……わかってはいた事だけど、いざなってみると面倒ねぇ……」
「やれやれ、ご愁傷さまだなお前ら……」
「わたしも泊りか…………宿を探さないと」
「ヤベェ! バイク外に置きっぱだった!! くっそぉ!!」
「おいちょっと待てケイローン」
セイルの言った一言によって、全員の視線がケイローンに集中する。ケイローンはそそくさと控え室を出て行こうとしていたが、その歩みをぴたりと止められてしまった。
「なあ……なんでケイローンだけ他人事みたいに言ってるんだ?」
「…………え? や、別に深い意味は……」
セイルの追求にケイローンは冷や汗を流しながらそう答える。しかしその言い訳も次の瞬間にはあっさりと破られてしまっていた。
「そういやジジイ、ここまで車だったよな。しかも家族用のそれなりにでかいの」
「それにケイローンの家って、このメンバーの中では割と近い方よねここから」
「……………………っ!」
「確保!!」
「だあああっ!」
脱兎の如く逃げ出そうとしたケイローンに、スキウレの合図に応じたハヤテがしがみ付く。ケイローンはそのままハヤテを引きずりながら走って行ってしまったが、どうせ逃げられはしないだろう。スキウレもすぐに後を追い、セイルとアメリアだけが残された。
「はは……何かケイローン宅襲撃で確定みたいだな。俺達も行こう」
「え? いや、わたしは別に……」
「こういう場面で余計な遠慮なんかするなよ。ほら」
「あ、ちょっとセイル……」
セイルは渋るアメリアの手を引いて三人の後を追い始めた。アメリアは戸惑いながらも手を引かれるままにセイルに着いて行く。
「セイル、わたしは別に…………そんな…………」
「……アメリア」
前に進みながら、セイルは顔だけをアメリアのほうに振り向かせて言った。
「もう人と変に距離を置く必要なんて無いんだよ。アメリアは……君はもうカラードネイル(復讐者)じゃないんだから」
「っ!…………」
アメリアは一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに苦笑してこう言った。
「……まったく、妙な人間だな君は」
そういうと彼女はセイルの隣に並び、同じ速度で歩き出した。セイルは、自分がいつの間にか彼女の手を離していた事に気が付いた。
………………数十分後、コーテックスシティ、ケイローン宅
『先ジツ、コーテックス……で起こったグドーザルコー……襲ゲギ』
『この……組は、幻ゾーを現実に……るザザッラージュ電気ゴウ業が』
『……れがEX-AMIDA-ザン……こでが有ればザザザのACも』
「ダメだな、もうまともに映りやしねぇ」
ノイズばかりのテレビを弄っていたハヤテがリモコンを放り投げ、カーペットの上に寝転がる。既に真っ赤な火の玉と化した太陽はビルの向こうに沈みかけ、それをさらに追い立てるかのように風雨は強さを増していく。その光景をよろい戸の向こうに追いやりながらケイローンは言った。
「見ねぇんなら消しとけ、煩くてかなわん。しかしこの分じゃ夜には余計酷くなるな」
「おじ〜ちゃん、お家ボロだから潰れちゃうよ〜」
「……出て行きてぇんならすぐに言えよ」
ケイローンはうんざりとした顔をしながらリビングを出て行った。ハヤテは適当に謝りながら体を起こすとテーブルの上に置かれた茶に口をつける。スキウレはトイレに出て行ったきり戻らず、アメリアは少々所在無さげにテーブルについていた。
あの後、結局四人によって強引に拝み倒されたケイローンは全員を自分の家に泊める事になってしまった。少々窮屈ながらケイローンの車に乗り込んだ四人は陸の孤島と化したコーテックスを後にし、ケイローン宅への小旅行へと出発する事になる。
と言うのも公共の交通機関が早々と停止したせいで自家用車を使う人が増え、さらにGPSやナビも使用不能になった事によってコーテックス中の道路が大渋滞していたのである。
土地勘に優れたケイローンですら経路設定に戸惑い、おまけに狭い所に押し込められたハヤテとスキウレが五分ごとに喧嘩を始めるせいで家に着くまでにかなりの時間がかかってしまったのだ。
「ふぅ…………あら……ケイローンは何処に行ったのかしら?」
「ジジイなら雨戸閉めに行ったぜ」
「アマド…………ああ、よろい戸の事ね。まあ、この天気なら仕方ないわね…………結局磁気嵐は朝方まで止まないって言うし……」
ようやく戻ってきたスキウレが後頭部の髪を整えながら携帯端末に目を落とす。彼女のそれも既にまともに機能していないが、そうなる直前まで磁気嵐の情報を見ていたようだ。
「…………」
「部屋の準備しといたぞ。女は一階の客間、男は二階の俺の部屋な。ところでお前ら、飯はどうするんだ? 簡単なモンでよけりゃ俺が作ってやるが……」
続いて戻ってきたケイローンがそう尋ねる。よろい戸を閉めるついでに寝具の準備をしていたらしく、袖口が濡れた上着を脱いで別の服に着替えていた。
「そうね…………せっかく泊めて貰ってるんだし、私たちで作りましょう……みんな、料理はどの程度出来る?」
スキウレがリビングを見渡しながらそう言う。彼女とケイローン以外の三人は互いに顔を見合わせた後、順々に自分の家事スキルを発表していった。
「……まぁ、出来ない事は無い、けど……」
「あ〜、麺類なら得意だぜ?」
「……期待はしないで欲しい」
正直微妙だった。スキウレは首筋を掻きながら溜息をつくと、強引に気を取り直しながら三人に指示を出していった。
「はぁ……それじゃ、私が大体やるからあなた達はサポートしてくれる? セイルは配膳と野菜洗い、アメリさんは私の手伝いをお願い。ハヤテは付け合せのパスタ作って。味は任せるから…………ああケイローン、材料とか食器適当に使って良いわよね?」
「……別に構わんが、お前何で家の冷蔵庫の中身を知ってるんだ?」
「さっき……トイレの帰りに確認しておいたのよ……」
三人を追い立ててキッチンに向かっていくスキウレの背中を見ながらケイローンは一人目を細めて溜息をついた。
「やれやれ……あいつはこの面子ですら落ち着くことが出来ないのか…………」
………………一時間後、同所、リビング
「ハヤテ、もうちょっと落ち着いて食べなさいよ」
「っせぇな。人の喰い方にケチつけんじゃねぇよ」
「あ、ちょっと待てハヤテそれは俺の皿……って喰うなコラ返せ!」
「…………ふむ……」
「おい、ソースを直接つけるんじゃねぇよ!」
ケイローン宅の食卓は戦場となっていた。発案当初は各人の料理能力から不安が大きかったものの、スキウレとハヤテの腕前が思いのほか高く、アメリアも自分で言うほど不器用ではなかった為、中々に豪華な夕食となったのだ。
こんがりとしたローストチキンをメインに、透き通ったコンソメスープと副菜のスパゲティサラダ、パンとライスは好みに合わせて選べるよう量が調整され、さらにチキン用のソースも数種類用意されるなど、豪華さに加えて気の利いたメニューとなっていた。
「ケイローン、そのソースどうだった? 醤油ベースの」
「ああ、悪くないぞ。ハヤテ製なんでちと濃いがな……ほれ」
ケイローンが取ってくれたソースポットからソースをすくい、チキンに垂らして口に運ぶ。二度焼きされた皮が心地よい歯ごたえを伝え、同時に醤油の香りと隠し味らしいピリリと辛い何かが鼻をツンとさせる。一人暮らしで食事が簡単な物になりがちなセイルにとっては至上と言っても良いほどの夕食だった。
「ふぅ……」
セイルは少し手を休めようとサラダに手を伸ばしながら周りを見やる。ハヤテはボウルから直接スープを飲んでおり、マナーがなっていないとスキウレに注意されていた。
ケイローンはいつの間にか発泡酒を持ち出し、喧嘩を始めた二人を離れた所から見物している。アメリアはと隣を見ると、一人黙々と料理を口に運んでいた。先程から会話には一言も参加しては居ないが、一つ料理を口にするたびに興味深そうな表情をしている。どうやら彼女なりに楽しんでいるようだった。
「…………」
セイルは口元を僅かにほころばせ、再びサラダを口に運ぶ。サラダに入っているスパゲティはどうやらハヤテが作ったものらしく、副菜にしては少々大味だった。味を緩和しようとパンを頬張っていると、先程の視線に気付いたのかスキウレが話しかけて来た。
「……セイル、どうかしたの?」
「え? いや、別に……ただ……」
セイルはそう言いながら視線を動かした。ケイローンとハヤテはいつの間にか飲み比べを初め、アメリアもワインの瓶を傾けている。セイルも近くに置かれていた発泡酒の缶を手に取り、タブを開けた。
「こういうのも良いなって、思ったんだよ」
「…………そうね、悪くは無いかもしれないわね……」
スキウレも缶に手を伸ばし、中身をグラスに注ぎ込む。透き通った黄色い液体が良い具合に泡立ち、心地よい音をたてた。
………………さらに数時間後、同所、寝室
「…………」
気が付くと目が開いていた。視界には見慣れない天井と消された照明。耳には高いいびきと低い呼吸音が交互に響いてくる。
「…………ん……」
セイルは暫くの間天井を見つめていたが、やがてここがケイローンの家の寝室であることに思い至った。体を起こし、辺りを確認する。
ベッドにはハヤテが、カーペットにはケイローンが寝ており、自分はソファの上にいた。不意に窓がカタカタと音をたて、視線がそちらの方に向く。既に雨は上がってしまったようだが、外はまだ暗く、風と磁気嵐も続いているらしい。寝る前に脱ぎ捨てた服を羽織り、セイルはソファから立ち上がった。
「やれやれ、ちょっと引っ掛けただけだって言うのに……それとも唯のホームシックか?」
慣れない物を飲んだせいか、それとも嵐の夜に他人の家というこのシチュエーションからか、セイルはすっかり目が冴えてしまった。二人を起こさないように扉を開け、階段を下りていく。何か暖かい物でも飲めばまた眠れるだろうと思ったのだ。
「……ん?」
しかしキッチンには先客が居た。夜の闇を脅かさぬような小さな明かりをつけ、アメリアがシンクにもたれて湯気の出るカップを揺らしていたのだ。
「……セイル?」
アメリアがセイルに気付いて顔を上げる。セイルは手を挙げて答えるとキッチンに入って行った。
「眠れないのか?」
「ああ……生憎、一人でないと眠れないんだよ。同じ部屋に誰かがいると妙に気が張ってしまってね。彼女には悪いけれど、抜け出してきた」
そう言いながらアメリアはカップを揺すって口に運ぶ。キッチンヒーターにはミルクの入った鍋がかけられており、隣には砂糖の瓶が置いてあった。
「そうか……俺は一度寝たんだけど、目が覚めちゃってさ……もらっても良い?」
「ん? ああ」
セイルは食器棚からカップを出すと鍋に残っていたミルクを注ぎ、ココアを溶かしてかき混ぜる。ミルクは冷め始めていたが、逆にその方が落ち着けた。
「ほぅ……」
ホットミルクを飲み干したアメリアが長く息を吐く。その真紅の瞳は僅かに細められ、口元は柔らかに微笑を浮かべている。暗闇の中、淡いオレンジの光に照らされた端正で中性的なその横顔に、セイルは一瞬鼓動が早まった気がした。しかし、変な方向に回り出した頭が一つの事実に気付いてしまう。
(一緒に寝る相手に対して気を張らなきゃならない状況……か……)
それが意味する事柄を想像し、セイルは僅かに胃の痛みを覚えた。だが同時に、それでも彼女がスキウレと同じ部屋で眠ろうと努力している事に気付き、苦笑する。
「…………アメリア」
「ん?」
「今日……楽しかったか?」
「……そうね…………」
アメリアは空になったカップを軽く流してシンクに置き、視線を上に上げてしばらく思考した後、返事をした。
「ええ……楽しかった。今ならそう言えるわ」
「……そうか…………」
セイルは満足そうに目を閉じ、カップを口に運ぶ。もう彼女の代わりに彼女を心配してやる必要は無くなったのだ。
町中が眠りに付いた安らかな闇の中、羽を休める二人の鴉。窓を揺らしていた風も、ようやく弱まり始めたようだった。
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