このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

調子外れな鳴き声〜暁の興り〜

 

 

 例えばどこかへ向かって歩いている時、ふと道を間違えた事に気づく。

慌てて道を引き返したが、本来の道に戻ってもまだ何かがおかしいような気がする。

まるで景色だけ同じの別の場所に居るような感覚に陥ってしまう。

 例えば何か急ぎの作業をしている時、疲れ果てて眠ってしまう。

目が覚めてみるとかなりの時間が経っていて、慌てて作業を再開する。

やっとの事で作業を終わらせた時、再び目が覚めて全く時間が経過していない事に気づく。

 例えば……

「…………っと」

 三つ目の例を考えようとして、セイルは自分が本当に道を間違えそうになっていた事に気づいた。

 半歩戻って道を折れ、細い路地に入る。幾つにも枝分かれした道を何度も曲がりながら進むと、再び広い道に出た。

「っ…………」

 目の前に広がった光景にセイルは目を細め、顔を俯かせながら歩き出す。元々は小さな商店街として機能していたらしいこのアーケードは、今や無宿人たちの集まるスラム街と化していた。

 通路を覆う屋根によって雨風が凌げ、拾得物の多い歓楽街にも近いこの場所は、彼らにとって絶好の居場所なのだろう。

「…………」

「…………チッ……」

「ぃよう……」

 珍しい来客にざわめき立つ彼らから目を反らし、セイルは足早にその場を後にした。再び曲がりくねった路地を抜け、大通りへと戻る。そこはもうダウンタウンの真ん中だった。

「…………ぅ……まったく、ケイローンも何の嫌がらせだよ……」

 セイルは悪態をつきながら歩みを再開する。真昼のダウンタウンは殆どの店が開いておらず、人通りの無い町はまるでゴーストタウンのような印象を受ける。

 しかしさっきまで自分が居た場所のことを思い出し、セイルは再び悪態をついた。大勢の人が居るゴーストタウンとはなんと残酷な物だろうか。

「…………」

 管理者体制が崩壊し、地上の再開発が始まってから既に四半世紀。人々はレイヤードという鳥篭を抜け出し、希望の新天地へ向けて歩き出した筈だった。

 事実、地上の再開発によって得られた多くの物は人類を大きく飛躍させる事となった。

 特に各企業の保有する巨大な複合都市———ミラージュのアヴァロン・バレー、クレストのネオ・アイザックシティ、キサラギのコルナートベイシティ———などはその最たる物である。

 しかし当然の事ではあるが、得られた利益が全人類に均等に分け与えられたわけではなかった。無論、仮にそんな事が実現してしまえば社会というシステムが成り立たなくなってしまうが、それでも経済の豊潤化による貧富の差の拡大は容認出来る事では無かった。

 先程の無宿人たちもその結果の一つだろう。出稼ぎに失敗して八方塞がりになったか、テロや災害によって生活を奪われたか。詐欺や違法金融に巻き込まれた可能性もある。

「…………」

 言うまでもなく、セイルは彼らとは対極の状況にある。明日の命も知れないという意味では同じだが、少なくとも金銭面での不自由は殆ど無い。

 もしセイルがどこぞの教祖様のような聖人君子で、保有する財産を惜しげもなく投資する意思があったのなら、あの中の何人かを社会復帰させる事は可能かもしれない。

 しかしそれでもあのアーケードに居た全員を救うことはできないし、あのようなスラム街はシティ中に幾つもある。他の複合都市やレイヤードの事も考えれば、その中の数人だけを救うことのなんと愚かしい……

「……あっ」

 またも道を間違えてしまった事に気づき、セイルは立ち止まる。しかも今度はただの分岐点ではなく、目的地そのものを通り過ぎてしまった。

「……やれやれ、最近妙に感傷的だな。柄でもないくせに……」

 セイルはそう言って振り返り、ほんの数歩程通り過ぎた目標地点……ケイローンの家に入って行った。

「お邪魔しま、うわ……」

 セイルはリビングに入ろうとして思わず絶句した。いつもは穏やかな空気が流れるこの場所に、ただならぬ緊張感が漂っていたのだ。

 原因は紛れも無く、テーブルに向かい合って座っている二人……アメリアとキースの二人だろう。共にSL事件の頃に活動していた名うてのレイヴン同士、特にこの場にセイル以外の知り合いが居ないキースは警戒するのも当然だろうか。

「よぉ、来たか。尾行は大丈夫か?」

 奥のほうから出てきたケイローンがセイルを出迎える。手にした盆には人数分のカップが置かれていた。本来違和感無い筈のこの光景も妙にアンバランスに思えてくる。

「されてないつもりだよ。ちゃんと言われたルート使ったし……てか変な所通らせるなよ!何だよあそこ」

「あのホームレス通りか?しゃあねぇだろ、この会合は出来る限り秘密にした方が良いんだし、尾行を警戒するならあの辺の路地を使うのが手っ取り早いんだからよ。それより、主宰のお前がンな事言っててどうする?俺らはともかく、あのキースは味方になったのが未だに信じらんねぇくらいだ。もっとしっかりしろい。下手すると裏切られかねんぞ」

 ケイローンに宥められ、セイルは渋い顔をしながらもリビングに入り、テーブルに着く。頭の中の馬鹿馬鹿しい考えは、未だに燻り続けていた。

 籠———加護?過護?———の中に居た鳥は、外の世界では生きていけない。

 

………………十数分後、クロノスシティ、ケイローン宅

「そんじゃ、第一回、セイルと愉快な仲間達秘密会議を開始する……ってな。ははは…………まぁ、冗談は置いといてだ……」

 ケイローンは一瞬前までふざけていた顔を引き締めると、集まったメンバーを確認した。長方形のテーブルの左側にキースとエマ、右側にスキウレとアメリアが座っており、向かい側、上座に当たる位置にセイルが居る。

 エマを除けば全員腕の立つレイヴン揃いであり、共に戦場に活きる者の顔をしていた。一番若手の筈のセイルが一番真剣な表情をしているのを見てケイローンは内心頼もしく思ったが、顔には出さずに内心でほくそ笑む。

 不毛な自己紹介を名称確認だけに留め、すぐに話を始めた。

「では、早速話を始めたいと思う。とりあえず、現状の確認からいこう」

 ケイローンは部屋の照明を消し、背後にあるテレビのディスプレイに接続したパソコンを起動する。ディスプレイにはナハティガルに関する最近の出来事が時間軸ごとに表示され、ケイローンが解説を始めた。

 

 キースとの会談から数日、思わぬアクシデントで中途半端に終わってしまった話を再開しようと、セイルはケイローンに頼んで会合を開くことにしたのだ。

 出席するのはセイルとその協力者達、場所はケイローン宅。

 場所については邪魔が入らず、防諜に優れた場所を探すのに難儀したが、意外な機密性の高さとコストの低さからスキウレがこの場所を提案し、またもセイルと二人でケイローンを説き伏せたのだ。かくして、何人ものレイヴンが一堂に会することになったのである。

「……で、この前のコーテックス本社襲撃。アリーナの時と違って師団レベルの大部隊を動かしたわけだから、隠密行動による局所的な攻撃が行えず、市街地を巻き込む大規模戦闘になったわけだな。そして最後に、この前のVIP用貸与ガレージ奪還作戦。作戦に当たっていたコーテックスの部隊をゴーストが襲撃した事件だ。以上が、今の所公(おおやけ)になっているそいつら関係の事件だな」

 ケイローンがパソコンを操作し、資料が徐々にスクロールされていく。やがて現在の時点までが表示されると、ケイローンはウインドウを閉じて顔を上げた。

「それでコーテックスは現在、そいつらのメンバー数名を捕虜として拘束し、情報収集に勤しんでいる所だ。そいで、俺があるルートから聞きだした情報によると……」

 ケイローンは目線だけで周りを見渡すと、低い声で囁くように言った。

「奴らは……ナハティガルは既に数十体ものACを抱え込んでいるらしい……」

 ケイローンの報告に、各々が違ったリアクションを見せる。スキウレとアメリアは小さく息を飲み、エマは深刻そうに顔を伏せる。しかしセイルとキースは表情一つ変えず、ケイローンの話に聞き入っていた。

「多くは本社襲撃事件の折に寝返ったレイヴン達だ。他はコーテックス未登録の個人レイヴンやテロリスト。メカニックやアーキテクトも何人か居るみてぇだな……以上、現状で分かっている奴らに関する情報だ。それじゃ、本題……奴らに対する各人の思想、理念と、それからなる行動の確認についてだが、その前に……」

 ケイローンはそう言いながらチラリとセイルのほうを見た。そしてセイルが頷き返したのを確認し、ケイローンはテーブルから身を引く。セイルはテーブルに手をついて体を持ち上げ、周りを見渡しながら言った。

「改めて、主催者のセイル・クラウドだ。この会合に集まってくれて嬉しく思う」

 人前でのスピーチなど義務教育中に行ったディベート以来のことだったが、セイルは臆する事無く、朗々とした声で全員に語りかけるように喋った。集まったメンバーへの挨拶と感謝を済ませ、本題に入る。

「知っての通り、今グローバルコーテックスはナハティガルによる一方的な武力行使を受けている。それに対して、俺は非公式ではあるが自警団を組織し、奴らに対抗したいと思っている」

 セイルの言葉に、皆が耳を傾けて聞いている。時折ケイローンやエマが家の外を窺うように視線を反らすが、セイルは自分に向けられる意識の多さを肌で感じ取っていた。

「無論簡単な事では無いし、報酬や謝礼も存在しない。俺自身の行動理念も幼稚な物だし、具体的な方針も考えていない。正直、そんな事の為に皆の命を危険に晒したくは無い。だが……それでも俺と一緒に戦ってくれると言うのなら、俺としては感涙の思いだ」

 セイルは自分が行おうとしている事の無謀さをあえて示し、それでも味方を欲すると宣言した。いまやその場に居る全員の全意識をその身に受け、セイルは戦場にも似た重圧と高揚感を覚えていた。

「今、改めて問う。俺と一緒にナハティガルと戦ってはくれないか?」

 セイルはテーブルに手をつき、同時に額がテーブルにぶつかる程深く頭を下げた。触覚以外のあらゆる感覚が暗闇に埋没して行き、永遠にも感じられるほどの数秒が過ぎた頃、セイルの右手にそっと触れるものがあった。

「…………」

 セイルが顔を上げると、自分の手の上にゴツゴツと節くれだった手が置かれ、正面にはテーブルを挟んで反対側から手を伸ばしているケイローンの姿があった。

「今更何水くせぇ事言ってやがる。こういう時こそ『コーテックスの親父さん』の出番だろうが」

「ケイローン……」

 聞いた事も無い通称を嘯きながら、ケイローンはニヤリと気のいい笑顔を向けてきた。かつてレイヴンになったばかりの頃、右も左も分からなかった自分を導いてくれた得難き先達は、今も変わらずそこに居る。

「……ふっ」

 やがてテーブルの左側から雪のように白い手が伸ばされ、ケイローンの手に重ねられる。セイルの座っているすぐ脇から、アメリアが微笑んでいた。

「君はわたしを救ってくれた。今度はわたしが君を救う。君の前に立ち塞がる者は、わたしが全力を持って排除しよう」

「アメリア……」

 十年前に自分を救い、数ヶ月前に自分が救った人……彼女は再び、セイルの盾となる事を約束してくれたのだ。

「…………っ」

 そのアメリアのすぐ隣からもう一本、細くしなやかな手が伸ばされる。怖れと迷いを決意で押さえつけ、スキウレが強い視線を向けていた。

「彼の生死を確かめる……そのためなら協力は惜しまないわ」

「スキウレ……」

 いつも掴み所の無い飄々とした性格だった彼女に、ここまで真剣な表情をさせる謎のACとそのパイロット……彼女が再び物語フェアリーテールの中で生きられるまで、後どれほど必要なのだろうか。

「…………エマ」

「ええ……」

 そしてテーブルの右側から、重ねられた二つの手が伸ばされた。冷たくも悲しげな視線のキースと、そんな彼を守るように微笑むエマが居た。

「セレが残した思い…………無駄にはしない…………」

「あなたが進む道を、私も共に歩みます」

「キース……エマ……」

 普通なら見る事すら敵わぬ鴉の頂、そしてそれを支える礎が、今自分のために力を貸してくれている。これ程に心強い味方にめぐり合えたのはどれほど振りだろうか。

「…………よし!」

 五人の視線を一身に受け、セイルは身を起こす。もう何も不安は無い。今こそ、遥かなる暁へと向けて歩き出す時である。

「みんなの思いは受け取った。ありがとう……それぞれ思いと目的は待ったく違うけど、いずれはその全てが成就する事を願う。それまでは、頼りない主宰に付き合って欲しい」

「いいぜ……セイル、俺達のチーム名は何だ?」

「チーム名……そうだな、ナハティガルサヨナキドリに対抗するん……」

「……待って」

 その時、不意にアメリアが声をあげた。耳に手を当て、周囲を警戒するように視線をゆっくりと動かしている。見ると、キースも何かに気付いたらしく、冷たい視線をさらに険しくしていた。セイルは声を小さくしてアメリアに問いかける。

「……どうした?」

「誰か近付いて来てる。家の外の道、真っ直ぐこっちに向かってる……」

「何!?

「この時間、この辺りは殆ど人通りがないはずだが……」

「まさか、バレたっていうの?」

 メンバー全員に緊張が走る中、ケイローンが近くの棚から、キースが懐からそれぞれ銃を取り出し、立ち上がった。

 そして足音を忍ばせながら廊下を歩き、玄関に向かう。その間に残ったメンバーはキッチンを経由して裏口の方へと退避した。

「全員、脱出経路は覚えてるよな」

「大丈夫よ。もっとも、そうならないことを祈るけど」

「玄関まで残り10メートル。接敵まで12秒……」

 やがてセイルの耳にも足音が聞こえだし、気配が近付いてくるのが分かった。玄関の方を覗き込むと、キースは靴箱の陰に隠れ、ケイローンが扉の脇に張り付いて銃を構えている。

 やがて気配はケイローンの家の前で停止すると、玄関の扉へとゆっくり近付いて来た。ドアノブに手がかけられ、ガチャガチャと鳴らされる。するとその気配は二、三歩後ろに下がったあと、あろうことかドアを殴りつけた。

「……?」

 その様子にセイルは一瞬違和感を覚えたが、それを理解するより先に玄関の扉が開けられてしまう。

 その音に紛れるようにしてスキウレが裏口の扉を開け、アメリアが銃を構えて外へ…………飛び出そうとしたところを、セイルに肩をつかまれて押し留められた。

「お〜い爺さん、居……ってうおわ!何やってんだよオイ!」

「…………は?」

 尋ねてきたのはハヤテだった。扉のすぐ脇に居たケイローンに驚いて素っ頓狂な声をあげたが、当のケイローンは対対称に気の抜けた返事を返す。一方キッチン裏の方も、一気に神経が弛緩して脱力してしまっていた。

「何?……ここまでやらせといて…………ハヤテ?……あのバカはこんな時にもう……」

「出現率高いなぁ最近……」

「まぁ、何事も無かったわけですし……」

「…………〜〜……」

 憤るスキウレをエマが宥め、アメリアも背を向けて頭に手を当てている。キースも靴箱の裏にしゃがみ込んだまま苦々しい表情をしていた。

「いいから帰れ、今日は出入り禁止だって控え室の掲示板に書いといたろ」

「いや、ホントにいい仕事があんだって、ほら、セイルでも誘ってよ……」

「うるせぇバカ、とっとと失せろ。今忙しいんだ」

 ケイローンは必死でハヤテを追い返そうとしているが、今日に限ってハヤテは中々引き下がらない。セイル達はリビングに戻る事も出来ず、立ち往生していた。

「何だよ冷てぇな、この前カジノで3Cも貸してやったってのに」

「それ以前にお前には20C以上貸してる筈だが?」

「いや、それは……なはは……」

「ったく……それからいい加減入るときはチャイムくらい押しやがれ。じゃあな」

 そう言いながらケイローンは扉を閉め、鍵をかける。そしてリビングまで戻って腰を下ろすと、大きく溜息をついた。それを合図に、残りのメンバー達もリビングに戻る。疾風の気配は既に消え失せていた。

「信じられない。あそこまで間が悪いなんて……」

「俺も迂闊だった。それと無く人払いはしたんだがまさかあのバカが居たとは……」

 6人は再びテーブルに座りなおした。アメリアはまだ外の様子を窺っていたが、特に問題は無いようだった。

「んじゃま、話の続きと行こう……セイル、名前」

「え?」

「名前だよ、ほら、俺達の組織の」

「……あ、名前な……うん…………」

 セイルは目を閉じると、組織の名前について考え始める。正直この会合を企画するのに精一杯で、組織を作ってからの事など考えても居なかったのだ。

「…………」

 こういう場合の『名前』と言う物はただの識別記号ではなく、一つの目標に向けて動いていく集団の旗印となる重要なものである。セイルは暫く考えを巡らせたが、最終的に『ナハティガル』の対極にあるという意味で名をつけることにした。

「『ヒーメル・レーヒェ』でどうだろう」

「成程……『Himmel Lercheヒ バ リ』ね……」

「奴らが夜を謳うなら、こっちは暁を告げるか……いい名前だ」

アメリアが感心し、ケイローンは興趣深そうに頷いている。他のメンバーたちも特に不満は無いようだった。

「それじゃ、第一回ヒーメル・レーヒェ首脳会議の始まりだな。首脳っても全員だけどよ。なはは…………面白くないか?今の」

 つまらないギャグを飛ばすケイローンを放置し、残りの5人は話を続けようとする。騒ぎ始めるケイローンの相手をスキウレに任せ、セイルは手元の携帯端末を弾き始めた。

 恐れる事無く船に乗り込んだ皆の為にも、船頭の自分が舵を誤るわけには行かないのだから。

 

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