このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

例えば流れる雫のように〜あるいは行き交う金貨のように〜

 

 セイルは一人コーテックス本社の中を歩いていた。未だにディソーダー襲撃事件の後処理が片付いていないのか、廊下を行き交う人々は皆忙しそうに見える。それはオペレーターであるレナも同じらしく、ここ数日は画面越しにも顔を合わせていない。

「そうだよな……いずれは事務や経理の手も必要になってくるよな……」

 セイルは大量の書類を抱えて走り去っていく職員を横目で見ながらそう呟いた。先日自分が結成した自警組織、ヒーメル・レーヒェの事務処理は現在、メンバーであるキースのオペレーターのエマが取り仕切っている。

 かつてコーテックス最高位のオペレーターと言われた彼女の実務能力は確かなもので、結成から日が浅いにもかかわらず保有する人員や戦力の確認を終え、いくつかの企業から資金援助を取り付けてきた。

さらに、本部となるコンバットリグやガレージの調達も近日中には完了する予定である。しかし手が足りている訳ではなく、ナハティガルに関する情報収集や防諜活動は疎かになっていると言わざるを得なかった。

「なんとかレナを引き込めれば良いんだけど……少なくともこの混乱が収まるまでは見送りか……」

 セイルは視線を上にあげて彼女の事を考えた。

 ハッキングを得意とする彼女の情報収集能力は凄まじく、またエマほどではないにしろ高い事務能力を持つ。彼女をヒーメル・レーヒェに引き込むことが出来れば、組織にとって大きな助けとなるだろう。そもそもセイルはその為にコーテックスを訪れていたのだが、結局レナを捕まえる事は出来なかった。

(そもそもレナに接触するのはリスクが高すぎるってクライシスに言われてたしな……今日の所はこのくらいで……)

「っと!」

「あっ」

 考え事をしながら歩いていたセイルは、角を曲がって来た青年とはち合わせてしまう。青年はぶつかる寸前に身を引いたが、持っていた荷物がセイルの腕にぶつかり、ジッパーが破けて中身が散らばってしまった。

「あ、すみません」

「いや、お構いなく……」

 青年はそう言ったが、セイルは屈んで散らばった荷物を拾い集め始めた。携帯端末、音楽プレーヤー、コンタクトレンズのケース、小型記憶媒体……と、ふとセイルの手が止まる。

 落ちた拍子に開いてしまった財布の中から一枚のカードが覗いていたのだ。それはコーテックス所属のレイヴンが持つIDカードで、各レイヴンのエンブレムが描かれている。そしてそのカードには霧のような白い模様と赤く光る目が描かれていた。

「これ……あんた、フォグシャドウか?」

「ああ、済まないが……?……君は……もしかしてセイルなのか?」

「そうだよ! よかった。ずっと礼を言いたかったんだ」

「あの時のか……それはまた、律儀なレイヴンもいたものだな」

 再会を喜んだ二人は連れだってレイヴン控室へと歩き出す。フォグシャドウは黒髪に緑色の目をした長身の青年で、年は三十そこそこと言ったところだった。最高位のランカーレイヴンにしてはかなり若く、PLUSでもない。性格は一見物静かそうに見えるが、レイヴンとしての貫録は充分以上に持っていた。

「この前アリーナで見たよ。やっぱり第三位の実力は違うな」

「キースには一度も勝てた事が無いのだけどね。それに君もアリーナでは中々のものだろう? ジャスティスロードの話は聞いているよ」

「いや、まだまだ俺にはオーバースペックで……あ」

 二人が部屋に入ると、そこには何人か見知った顔がいた。ケイローンが正面のソファに座り、カロンブライブがテレビの前に陣取っている。さらに入口の脇には部屋を出ようとしていたらしいハヤテが居た。

「ん? 何だ、珍しい組み合わせだな」

「おうセイル。無事だったか」

「よぅ、命は拾ったようだな」

 セイルは三人に軽く手を上げて答えると、フォグシャドウと共にケイローンの横に腰を下ろす。逆にハヤテはセイルと入れ違いになるように部屋を出た。

「じゃあな……ああ、セイル。もう無茶すんじゃねーぞ」

 そう言ってハヤテは手を振りながら廊下へと消えていく。セイルは一瞬何の事か分からなかったが、すぐに思い至った。ハヤテとすれ違う時、彼の肩口から包帯が覗いていたのだ。

「あの時か……今そう言われると弱いけど、あの時は無我夢中だったからな……」

「確かに、戦略的な行動とは言えなかったな。人道的にはどうか知らんが」

 テレビに視線を向けたまま、カロンブライブがそう言う。一見すると辛辣な物言いだが、その中にわずかな気配りが見え隠れしているのをセイルは感じ取っていた。

「あの時と言うと……ディソーダー襲撃事件か。君も参加していたのか?」

「フォグシャドウもか。そう言えば機体を見たような気がするな……」

 隣に座っているフォグシャドウがそう尋ね、セイルが返答する。あの日、セイル達がコーテックスに到着したのと同時に、フォグシャドウのAC『シルエット』が出撃して行ったのだ。

 輸送機を使わずに直接出撃して行ったせいで近くにいたケイローンが突風にあおられる羽目になり、苦言を漏らしていたのをセイルは思い出した。

「まぁ、何だな。セイル、今後はああいう行動は控えてくれよ。俺達の事もあるし……特にハヤテの前ではな」

 ケイローンが僅かに淀みながらそう言った。セイルは一瞬考えを巡らせたが、すぐにどう言う事かと聞き返す。『俺達の事』とはセイルがヒーメル・レーヒェのリーダーという立場にある事を言っているのだろうが、そこにハヤテがどう関係してくるのだろうか。

「ハヤテ……あの剣術馬鹿か。フン、あの木偶の坊に何の遠慮がいると言うんだ?」

「外野は黙ってろ。セイル、この話をした事はハヤテの奴には言わないでほしいんだが……」

野次を入れるカロンブライブを制し、ケイローンはハヤテの事について話し始めた。

 

「お前も、何度かあいつと一緒に戦った事が有るから分かると思うが……あいつは必要以上に前に出る。組んでる奴が前衛機でもさらに前にだ。無論それはあいつの機体コンセプトに則ったものなんだが……」

 ケイローンは懐から煙草を取り出すと火をつける。息を大きく吸い込んで紫煙を吐き出すと、彼の表情はまるで遠くを見ているような寂しげなものに変化していた。

「あいつがまだレイヴンになりたての頃、よく一緒に仕事をしていた仲のいいレイヴンがいてな。二人とも近接戦闘タイプの機体で、いつも競い合うように前へ前へ出ていたもんだ。だがある時、前に出過ぎちまったハヤテの機体を庇ってそいつの機体が攻撃を受け……そいつは死んじまった。たった一発、コクピットへの直撃弾。あっけないもんだ」

「…………」

「あいつもまだ若造で、自分たちに限ってそんな事は……とでも思ってたんだろうな。当時の落ち込みようは酷いもんだった。しかしそれ以来あいつは、自粛するどころかさらに前に出るようになった。味方への負担を少しでも減らすため、もしくは自分がヘマをしても誰も助けに来られないようにするため、とにかく前へ前へ……」

 ケイローンはまだほとんど吸っていない煙草を消し、新しい煙草に火をつける。部屋の中はまるで紫煙と一緒に悲壮感が蔓延してしまったように静かだった。カロンブライブは間が悪くなったのかいつの間にか部屋を出てしまっており、フォグシャドウも目を閉じたままじっとしている。

「幸か不幸か、あいつがブレードの扱いがうまいのもそのせいだ。細かい事はわからんが、常に機体を前に傾けて手足の一本一本に全重量をかけている。いつの間にかあいつの戦法や機体そのものまでが、あいつのトラウマに引っ張られていたんだろうな……」

 ケイローンはそこで話を終え、二本目の煙草を灰皿に押し付ける。燻ぶる残り火が、彼には炎上するハヤテのACのように見えた。

「そうか…………ありがとうケイローン。俺、そろそろ行くよ」

「おう、じゃあな。もっかい言っとくが、この事はハヤテには言うなよ。俺も口止めされてんだ」

「分かった、あいつには言わない。じゃあな」

 そう言ってセイルは部屋を出て行く。その表情には明らかな消沈の色があった。そして彼が部屋を出て行ったのを確認すると、それまで眠っているように動かなかったフォグシャドウが目を開けた。

「成程……聞いていた通りだな。レイヴンとしては少々優しすぎるか」

 フォグシャドウは脇に置いていたカバンを持ち上げると、破れたジッパーに注意しながらそれを肩にかけ、部屋の扉を開けた。

「身内に対しては、だ。その分敵さんには妙に辛辣だよ。しかし一体何だ? お前さんがあいつに興味を持つとは……」

「別に興味本意ではない。ちょっと小耳に挟んだものでね……じゃあ、俺も失礼するよ」

 

………………一時間後、閉じた町、情報屋

「成程ね……あの子にはそう言う事情があった訳か……」

「はい、身内事だけにどうも余計に考えてしまって……すみません、こんな話しちゃって」

「ううん、構わないわ。これくらいならお安い御用だし。それにそう言う話だって私からすれば立派な情報の一つよ」

 情報屋の女主人はそう言いながらコーヒーを入れ替えてくれた。部屋の隅では彼女の助手であるレニーがパソコンのキーボードを弾いている。

 フォグシャドウ達と別れたセイルは、閉じた町の情報屋に来ていた。元々今日はここでナハティガルに関する情報を手に入れる予定だったのだが、コーテックスで予定外の時間を使ってしまい、さらにそこでの話が頭を離れずにいたため、セイルは未だに本題には入れずにいた。

「俺、もしかしたら踏み込んじゃいけない領域に入ってしまったのかも知れません。あいつは味方が傷つくことを何より恐れているのに、俺は危険を冒してまであいつを助けようとしてしまった。見た目は何も変わらなかったけど、心の奥では思うところがあったのかもしれないと思うと……どうしたらいいんでしょうね……」

 セイルはそう言うと二杯目のコーヒーを飲み干し、深く溜息をついた。いつになくナーバスになっている彼に対し、しかし女主人は努めて明るく返答した。

「そうね……君の気持ちも分からないではないけど、ぶっちゃけて言うと……君は何も考える必要は無いわ」

「…………え?」

 セイルはあっけにとられたような声を出す。女主人は一瞬吹き出しそうになるのをこらえ、話を続けた。

「だってそうじゃない。彼が味方を傷つけないようにしているのは彼の勝手だし、君がそんな彼を助けたのも君の勝手でしょう? 君は自分の行動が彼を不快にさせたと思ってるようだけど、もし君がその時そうしなかったら、君はどうなってたと思う?」

 そう言われてセイルはあの日の状況を思い返してみる。大破した天颯那岐、助けようとするジャスティスロード、そしてそれを狙う大型ディソーダー。結果的に自分は彼の助けにはならず、彼は自力で危機を脱したわけだが、もしあそこで自分が動かなかったらどうなっていただろうか。

「たとえ俺が何もしなくても、あいつは助かっていたと思う。でも、俺は自分が行動しなかったことを後悔してしまっていたかもしれない……」

「そうでしょう? 人間は何かをしてしまった後悔よりも、何かをしなかった後悔のほうが強く感じるのよ。君があの時自分が納得する行動をとったのなら、たとえそれがハヤテクンの意思にそぐわない物だったとしても構わないんじゃない? もちろん、これだと彼の意思を無視する事になってしまうけど……実際のところ、彼自身がその事を重く受け止めてるとは思えないわ。だって……」

 女主人はコーヒーを一口飲むと、依然パソコンに向かっていたレニーに合図を送る。そして部屋を出て行く彼女に空になったカップを渡しながらこう言った。

「あの子はバカだもの。たとえ過程で自分の意思がどうなっていようと、結果的には君も自分も助かった。終わり良ければ全て良しって事で、色々な事全部すっとばして納得出来ちゃうのよ」

「…………はっ」

 セイルは思わず笑いを漏らしていた。彼女の言うとおり、何も考える必要は無かったのだ。ハヤテにだって性格の表裏はあるのだろうが、彼の場合表側から裏が透けて見えてしまう。一見して彼が気にしていないのなら、実際の所もそうなのだろう。結局、セイルが気を回し過ぎて自爆しただけだったのだ。

「問題は解決したみたいね。それじゃ、カウンセリング代として軽く……」

「このくらいでどうでしょう」

 いつの間にか戻ってきていたレニーが掲げている電卓の値に、セイルは思わずズッコケてしまう。さっきまでシリアスだった雰囲気も一気に崩れてしまっていた。

「ちょ、ちょっと、こんな事にも金取るんですかこの店」

「あたりまえじゃない。ちなみにコーヒーも二杯目からは有料よ。一杯800クレね」

「ぼったくりにも程があるでしょ! 俺まだ情報も貰ってないのに」

「だったら……」

 不意に女主人に距離を詰められ、セイルは思わず身を引いた。再び周囲の空気が張り詰め、体が緊張状態に入る。

「私が今から言する質問に答えてくれたら……今までの代金と、君がほしがってる情報の代金をチャラにしてあげてもいいわ…………どう?」

「…………何でしょうか?」

 ジョークでは済まない危険な雰囲気を感じ取り、セイルは真剣な表情で問い返した。

 現在セイルはヒーメル・レーヒェのリーダーと言う重要なポジションにいる。結成されて間もないこの組織の存在が既に知れ渡っているとは考えにくいが、彼女は閉じた町でも有数の情報屋である。

 もし仮に彼女がヒーメル・レーヒェの存在を知っていて、セイルにそれに関する情報を要求してきた場合、それは非常にまずい状況になる。

 正直に答えてしまえば重大な情報漏洩となり、今後の組織活動に支障をきたすだろう。下手をすれば敵であるナハティガルに感づかれてしまう可能性がある。かといって何も答えなければそれは自らヒーメル・レーヒェの存在を肯定してしまう事になるし、ごまかそうにも即興の嘘が通用する相手では無い。

 最悪の場合、彼女がナハティガルの関係者である可能性すらある。セイルは固唾を飲んで彼女の返答を待った。

「君は今、何らかの理由でテロリストを支援している謎の組織を追っている。そうよね?」

「ええ……この事はすでに知っていると思いますが……」

「念のための確認よ。それじゃ……その組織が具体的に何をしていたのかも……知っているわよね?」

「ええ……でもそれも、大体は貴方から聞いたものです」

 セイルは一つ一つの質問に慎重に答えて行った。しかし彼女はなかなか本題に入ろうとせず、妙に厳重に確認を取ってくる。そうしてさらにいくつかの確認を行った後、彼女はセイルにこう尋ねた。

「じゃあ次に……貴方が追っているその組織の名前は?」

「…………ナハティガル」

「レニー!」

 セイルが返答した瞬間、女主人は助手の少女に合図を出していた。少女は窓の鎧戸を閉じてブラインドを下ろし、入口の扉を内側から厳重にロックする。さらにパソコンの電源を切り、ポケットから出した道具で盗聴や盗撮の有無を確認していった。

 その間女主人は、ソファにもたれこんだまま険しい表情でセイルを見つめていたが、やがてレニーが彼女のの後ろに控えると、再び姿勢を正して話し始める。

「驚かせてごめんなさい。少しでも情報の漏洩を防ぎたいものだから……」

「一体どうしたって言うんです? 奴ら……ナハティガルが何か……」

「そう、そのナハティガルについて聞きたいのよ」

 彼女は新しいコーヒーを勧めながら話を始める。セイルも長い話になりそうだと思い、ソファにしっかりと座りなおした。

「私がその組織についていくら調べても……見つかるのは行動の痕跡ばかり。それもほんの僅かな物で、重要な情報は一つたりとも出てこないの。セイル……」

 彼女は再びセイルに向かって身を乗り出した。セイルも今度は身を引くことなく、逆に自分からも距離を詰める。

「君はそのナハティガルという名前を、一体どこで知ったの?」

 

………………同時刻、閉じた町、某所

 不意に背後から聞こえた金属音に、クライシスは立ち止まって後ろを振り返る。そこには一人の少年が立っており、クライシスに向けて銃を構えていた。

「動くな!」

「………………」

 クライシスはゆっくりと手を挙げながら少年の方に向き直る。まだ幼さの残る顔は怒りと憎しみに染まり、クライシスに向けられたリボルバーも頼りなさげに震えていた。場所は大通りから離れた狭い路地の中。逃げ道や障害物は一切ない。

「クライシス、だな……お前、よくも親父を……」

「親父? 何の事だ?」

「惚けるな! 親父はクレストの軍人だった。去年のミラージュの侵攻で親父は……親父はお前に……!」

「………………」

 クライシスは詰まらなさそうに溜息をついた。戦場で殺した人間の事をいちいち覚えてなどいないし、しかも互いにACやMTに乗っている以上、顔や名前を知っている筈がないだろう。

 そしてレイヴンは職業上、こうして復讐の対象とされる事はそう珍しくない。それはかつてミラージュ企業軍の専属レイヴンとして汚れ仕事を引き受けてきたクライシスなら尚更である。しかし、にも関わらずクライシスは異様に慎重になっていた。

「……いくつか言っておく事がある」

「…………」

「一つめ……相手の殺害を最優先とするのならここまで接近するべきではない。特に相手との会話を必要としているなら尚更だ」

「っ、今更負け惜しみを……」

「二つめ……これは質問になるが、君はどうやって俺の所在を突き止めた?」

「……知るか、単にお前が帰って来たって話を聞いただけだ」

「そうか……では三つめ……」

 クライシスはそこで一旦言葉を切ると、まるで少年を嘲笑するかのように下目使いで見ながら言った。

「銃は安全装置を外さなければ撃てない」

「っ!!

 一瞬だった。ほんの一瞬、少年の体がビクリと震えただけ。誰もが自然にそうなってしまうようなこの反応もレイヴンには、特に人並み外れた反応速度をもつクライシスにとっては充分過ぎるほどの隙だった。

 直立した状態から勢いよく右足を跳ね上げて少年の銃を蹴り飛ばし、同時に頭上にあげていた手をコートの内ポケットに突っ込むと抜銃、右足が再び地面に着いたところで発砲した。

 長く伸ばした手を蹴り上げられて体勢を崩していた少年の眉間に弾丸が突き刺さり、血液と脳漿を弾けさせながら後方へと抜けていく。狭い路地に血の匂いが充満し、クライシスはその匂いを振り払うかのように溜息をついた。

「四つめ……リボルバーに安全装置は無い」

 クライシスは銃をしまいこむと、足早にその場を離れていく。無法地帯である閉じた町とはいえ、あまり人の目にさらされたくは無かった。路地を出てひとしきり走り、出入り口のエレベーターに乗り込んだところで、クライシスはやっと一息つく。

「………………おかしい」

 クライシスは懐中時計を取り出し、今日の日付を確認した。自分がミラージュの追手から逃れるために火星に戻ってから数ヶ月、再び地球に訪れてから数日が経過している。

「早すぎる……どう言う事だ?」

 クライシスは時計をしまい、エレベーターの壁にもたれて思考し始めた。エレベーターシャフトを流れていく風の唸りが、まるで先程の殺人を非難する声のように聞こえてくる。しかしその声はしばらくするとポケットから響いてくる時計の音によってかき消され、クライシスは深い思考の海に沈んでいった。

(俺が地球に来ている事は、セイル達の他にはコーテックスの一部の人間しか知らない筈だ。それに、例えミラージュが何らかの方法で俺の事を知ったとしても、情報をばらまいて殺させるなんて非効率的過ぎる……という事は、少なくとも奴らはまだ俺の事に気付いていないか、もしくは気付いていても静観しているという事か。だが……)

 やがてエレベーターが地上に到着し、クライシスは出入り口として偽装されている小さな公衆トイレから外に出る。そして携帯端末を取り出すと、電話をかけ始めた。

「C・Bか? 俺だ。そっちの方で、調べてもらいたいことがある……ああ、そうだ。詳細はまだ不明だが…………明らかに情報が漏れている……」 

 

  

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