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市場崩壊〜不変の価値など存在しない〜

 

 

戦闘を終えたヒーメル・レーヒェのメンバー達は、リグに搭乗して帰途についていた。

当初の目的であったコンテナの回収に成功し、ゴーストの貴重なサンプルの入手にも成功したものの、致命的な情報漏洩が起こっていたという事実を目の当たりにし、メンバー達は一様に深刻な表情をしていた。

「情報が漏洩していたのは、ジャスティスロード、サジタリウス改、フェアリーテールの三機。いずれの機体からも、ハッキングの形跡が見つかりました」

 メンバー達は全員がミーティングルームに集まり、エマが状況を説明している。クライシスが火星から呼び寄せた協力者であるレイヴン、バーストファイアだけは、自分のACに乗ったまま降りてこなかった。

「一体なんて奴だ……ACのコンピューターをハッキングするなんざ、誰にでも出来ることじゃねぇぞ」

「そうだな……認めたくはないけど、レナなら出来るよ。本社襲撃事件の時、チェックメイトのジェネレーターを止めるためにハッキングしてきた。無論、俺が手引きした上での事だけど……」

 セイルは動揺を隠せないでいた。ずっと自分を助けてくれたオペレーターが、敵組織の関係者かもしれないのだ。

「だからって、レナっちがやったとは限らないでしょ? それに、偶然自分の担当になった新人レイヴンが、偶然自分の組織と敵対する道を選んだなんて、出来すぎじゃない?」

 スキウレがそう反論する。レナとの交友が深い彼女からすれば、どうにかして彼女の嫌疑を晴らしたいのだろう。確かに一理ある意見だったが、彼女もまた動揺を隠せていない。さらに彼女に追い打ちをかけるように、キースが口を開いた。

「……待て、セイルがその道を選んでから、そのオペレーターの方から組織に接触した可能性もある」

「馬鹿言わないで! レナっちがセイルをナハティガルに売ったって言うの?」

「可能性の問題だ。気に障ったのなら謝罪するが、いずれにせよ嫌疑が晴れるまでは彼女への接触は控えるべきだ。セイル、そのオペレーターには、まだ組織の事は伝えていないな?」

「……まだ、直接は伝えてない。クライシスに、レナを引き入れるのは早計だって言われてたからな……でも、勘づかれてはいるかも知れない。最近みんなで集まることが多いし、今日の独自行動だって……」

 セイルは所在無さげにそう言った。仮に情報漏洩の原因がレナだとすれば、その責任は最も彼女との接触が多いセイルにかかってくる。

「……ねぇ、責任の問題はとりあえず保留して、今後の対策を考えるべきじゃない? 結局ACの方はどうしたの?」

「バックドアの消去と、一応のセキリュティ強化はしておきました。もっとも、どこまで通用するかは疑問ですが……」

 セイルの様子を見かねたのか、アメリアが口を開く。即座にエマがそれに返答し、ディスプレイに情報を映し出す。ハッキングはメインコンピューターからコンバットレコーダーにまで及んでいたようだった。つまり、友軍との通信や戦闘記録まで漏洩していたことになる。

「そう……後はやっぱり、実務要員の増強が必要ね。誰か心当たりはない?

 そう言ってアメリアは周囲を見渡す。オペレーター、マネージャーの少なさも、この状況を招いた原因の一つだと言えた。しかし、残念ながらメンバー達に心当たりは無いらしい。皆一様に難しそうな顔をしていた。

「うちのミリアはこっち向きじゃないわね……逆に状況悪くなるかも」

「ティリエルは有能ではあるけど、その分杓子定規だからこういう事には引き込めないわ」

「悪いが、うちのオペレーターまだ新人でな。俺が世話してやらにゃならんくらいだ」

…………

「………………」

 レイヴンに育ててもらうオペレーターと言うのも奇妙なものだが、ケイローンの気風からすればそれほど違和感がないようにも思える。セイルもため息をつきながら心当たりを探してみるが、レナのこともあっていつもほど頭は働いてくれない。

「しゃあねぇ、閉じた町の情報屋連中にでも頼んで、情報操作してもらうか……引き込めそうな奴も何人か当たって……」

「情報屋……ニセ情報…………っ! ああっ!!」

 しかし、ケイローンが何気なく言った一言に、セイルは思わず声を上げていた。今の今まで忘れていたことがあったのだ。

「っ?」

「どしたい? セイル」

「そうだ、大変な事忘れてた……この前閉じた町の情報屋から聞いたんだけど……」

「……どの情報屋だ?」

「俺はケイローンが教えてくれたあの人しか知らないよ。で、その人が言ってたんだけど……」

メンバー達が顔を寄せてくる。セイルは全員の顔を確認すると、こう言った。

「閉じた町の情報屋たち、ナハティガルの事何も知らないらしいんだ」

「……どういう事だ」

「つまり、閉じた町の情報屋たちがどれだけ頑張っても入手出来なかった情報を、俺達は簡単に手に入れてしまってるって事だよ。おかしいだろ?」

 メンバー達は一様に顔を見合わせる。自分たちが今まで行動の前提としていたナハティガルの情報。それ自体が疑わしい可能性があるというのだ。

「……つまり、俺達が知っているナハティガルに関する情報は、奴らがわざとリークしたものだと言うのか?」

「ああ、それも俺達に目標を絞って流したんだろう。なにせ、俺達以外は情報屋も含めてみんな知らない情報だからな」

「ちょっと待て、俺達にナハティガルの情報を教えたのって……」

 ヒーメル・レーヒェに、いや、それが結成されるよりもさらに前のセイルに、その情報をもたらした人物……全員の視線は、壇上のエマへと向けられていた。

「…………」

 キースが立ち上がり、威嚇するような視線を送ってくる。セイルはそれにたじろぎつつも、平静を装ってエマに質問した。

「エマ……あんたが俺に教えてくれた、ナハティガルに関する情報……その出所を教えてくれ」

「……情報の多くは、ハッキングによって得たものです。ミラージュ、クレスト、キサラギ……三大企業のメインコンピューターにそれぞれアクセスし、各管轄区域内でのテロリストの情報を集めました」

 エマは真顔で、とんでもないことをサラリと行ってのける。レナは以前、三大企業のコンピューターにハッキングしようとして失敗したと言っていたので、エマのハッキング技術はレナのそれを上回っているのだろう。

「そして、各企業から得た情報を統合したところ、頻発しているテロの関係性と、テロリスト支援組織ナハティガルの存在。そしてその目的が明らかになったのです」

「情報の出所は三大企業、か……でも、ナハティガルはある程度企業への干渉が可能な筈だ。ある企業を装って他の企業を攻撃した事もあったんだから」

 セイルは敢えて反論を呈してみる。事実、セイル自身が関わっただけでも二件、ナハティガルは企業軍を偽装して他企業を攻撃したことがある。

「同感ね。企業は正規軍以外にも、公にできない武力行使のための戦力としてテロリストを囲っていることがあるわ。ナハティガルがそれに接触したとすれば、企業内部への干渉も可能よ」

 スキウレがそう補足する。クレストの内情をよく知る彼女の言葉は強い説得力を持つものだったが、すぐに反論の声が上がった。

「でもよ、いくらナハティガルが企業に干渉出来る組織だからって、その情報が偽物だって事にはならねぇだろ? 現にテロリストを支援してる組織は確固として存在してるし、そいつがなにかデケェ事をやろうとしてるってのもわかってる。ニセ情報って言うには、あまりにも正確すぎやしねぇか?」

 ケイローンの言うことは尤もだが、どちらかと言うと組織内での内輪もめを防ぎたいという意図があっての発言だろう。それはセイルからしても同感であり、セイルはなるたけエマを糾弾する形にならないように話を進めようとする。それ以前に、これ以上キースの刺すような視線を受け続けるのが辛くもあった。

「確かにそうだ。俺たちの知っているナハティガルに関する情報が全て偽物であると言う確証はないし、今のところ実害も出ていない。今は一応可能性だけを考えておいて、情報の精度を高めることを重視しようと思う。どうだ?」

 セイルは再びメンバー達を見渡してみる。皆それぞれ思うことはあるようだが、表だった反論をするものはいなかった。キースも殺気を収め、席に戻っている。

「よし。それじゃエマ、今後その筋から情報を集めるときは、ニセ情報である可能性を検討するようにしてくれ。出来れば、確証を取れるような何かが欲しい。もしナハティガルの勢力が企業の中にまで及んでいたらまずい事になるからな」

「分かりました。そうします」

「ありがとう。補助要員は近いうちに必ず見つけてくるから、それまではよろしく頼む」

 セイルはそう言って頭を下げた。エマは一瞬たじろいだ様だったが、すぐに笑みを浮かべると返礼した。

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

……よし、とりあえず一件落着だな。シティまでは……あと一時間ほどか。後はとっつかまえたゴーストの……

「おおい、クラ、何処に……おっと……」

 その時、ミーティングルームに男が一人入ってきた。

 燃えるように赤い髪をツンツンに伸ばしており、瞳の色も同じく赤い。皆一様に見覚えの無い顔だったが、誰なのかはすぐに分かった。

 このリグに乗り込んでいる人物のうち、多くが初対面となる人物。戦闘終了後、しばらくACに篭ったまま出てこなかったレイヴン、バーストファイアだった。

「ワリィな、接続切るのに手間取っちまってよ。俺がバーストファイアだ」

 バーストファイアは改めて自己紹介すると、手を差し出してくる。セイルはメンバー達を代表して握手に応じたが、手を握り返したとき、その手が普通の手ではないことに気がついた。

 驚いて視線を上げると、ニヤリと笑っているバーストと目が合う。その目も普通の人間の目ではない。火星移住民のような錆色の眼でもない。無機質なレンズが重ねられた機械の目だった。

「なんだ、PLUSだったのか」

「おう、機械強化タイプだ。役には立つと思うぜ」

「なるほどね……妙にACの動きが細かいと思ったわ」

スキウレが呆れたような声でそう言った。セイルも思い返してみると、バーストのACは敵に跳びかかって押し倒したり、お辞儀をしてみせたりと動きが妙に人間臭い。ACとの電気的・神経的な接続が可能なPLUSならではの動きだった。

「っと、そこのお嬢さんは同類だな。そっちは生体タイプかい?」

「…………」

 バーストはアメリアの容姿に目ざとく気づき、声を掛ける。アメリアは不機嫌そうに眼をそらしたが、バーストは構わずにしゃべり続けた。スキウレはその間にバーストの視界から逃れるように移動する。

おそらく、性格がそっくりなハヤテと重なって見えるのだろう。ケイローンも同じような感覚を抱いているのか、呆れたように頭を掻いている。そこまで来てセイルは、唯一この状況を収束出来そうな人物が先程から……と言うより、この部屋に集まってから一言も発していないことに気がついた。

「おい、クライシス……ああ……」

 セイルがクライシスに目を向けると、クライシスは座席の背もたれに体を預けて眠っていた。先程の戦闘の疲れが出たのだろうが、呼吸はそれほど深くなく、眠りも浅い。それほど疲労が残っている訳ではないようだった。

「クライシス、一応会議中なんだから……

「寝かしといてやれよ。こいつが巻き込まれて、それなりに心配してたんだろうさ」

 セイルはクライシスを起こそうと手を伸ばすが、ケイローンがそれを制止する。セイルも、言われてみれば、数時間前にこの部屋で会議をしていた時のクライシスは、普段の彼からは考えられないほどの焦りを浮かべていた気がした。

 ヒーメル・レーヒェの運営や、自身の保身についても、いろいろと心労がたたっていたのだろう。セイルは伸ばしていた手を引っ込め、クライシスを起こさないように静かに身を引いた。

「お、珍しい光景……」

 しかしセイルの気遣いも虚しく、クライシスに気づいたバーストがちょっかいをかけ始めた。寝顔を眺めたり携帯端末で撮影したりしているうちに、クライシスがゆっくりと目を開ける。

「………………」

「よぉ、クラ。ひさしブッ!?」

笑顔で挨拶したバーストの顔面に、クライシスは即座に抜き放った拳銃を突きつけていた。バーストが動きを止めた隙に手に持っていた携帯端末を奪い、撮影されたデータを消去する。

「おい! 何すんだよ! お前の寝顔撮って帰らなかったら俺みんなからおゴッ!?」

 クライシスが問答無用でトリガーを引き、銃声とともにバーストが倒れ伏す。クライシスは硝煙を上げる拳銃を手に持ったまま、ふらふらとした足取りでミーティングルームを出て行った。

「……っでぁ! くそ野郎! 痛てぇじゃねぇか!」

 呆然とするメンバー達の中、バーストが罵声を吐きながら立ち上がった。被弾した額からは血が流れていたが、銃弾は皮膚を貫通しただけで止まっている。バーストはその銃弾をひねり出すと投げ捨て、額の止血を始めた。

「……なあ、バーストファイア」

「ん? あんたは……」

 ぶつくさ言いながら傷の手当をするバーストに、セイルは声を掛けた。先程から呆然としっぱなしな他のメンバーとは違い、怪訝な表情をしている。

「ヒーメル・レーヒェのリーダー、セイルだ。ちょっと聞きたい事があるんだが……」

……何だ?

「さっきクライシスが寝てるのを見て珍しい光景って言ってたよな」

「……ああ、あいつが人前で寝顔晒すなんてそうそう無いからな。それに、そもそもあいつ睡眠時間短いだろ?」

 バーストが言ったその言葉に、セイルが抱いていた疑念はメンバー全体に広がった。体力に乏しく、激しい戦闘の後は即座の急速が必須になるクライシスに対して、睡眠時間が短いなどとはとても言えなかった。

「そんな筈無いだろ? あいつが睡眠時間が短いなんて……」

「そうよ、あなたクライシスとは付き合いが長いんじゃないの? あの子、戦闘が終わった直後なんてヘトヘトになってるんだから」

 メンバー達は口々にバーストに問いかける。バーストも違和感を覚えたのか、口速に答え始めた。

「おまえらこそどういう事だよ。たしかにあいつは体力無しだけど、その気になれば三日は寝なくても戦えるような奴だぞ。家に帰らずにこんな所で寝るなんて……」

「嘘だろ!? 三日は寝なくても大丈夫なんて……あいつ徹夜した後は丸一日寝てるぞ……」

「……もしかしてあいつ……」

セイルは扉の方に振り返った。先程そこから出て行ったクライシスは、目の下にひどいクマを作っていたような気がする。

……相当無理してるのかもしれない……俺達のために……

 

………………同時刻、ヒーメル・レーヒェ・リグ、クライシスの個室

「………………」

 クライシスは自室のベッドで横になっていた。バーストファイアを無事救出できたのは僥倖だったが、彼のいつも通りのふざけ方が、今は妙に恨めしく思える。

「………………」

 今日の戦闘、彼は後方から支援攻撃を行っていたのみで、激しい運動も複雑な計算も行っていない。

 無論ACに、それもハンドメイドのカスタム機に乗って戦闘すること自体、人体に相当な負荷をかける事なのだが、それにしても疲労の仕方が極端だった。視界は靄がかかったように薄ぼんやりとしており、いつも通り演算しようとしてみても答えを出すのにかなりの時間がかかってしまう。

「………………」

しかし、当然といえば当然だった。ARの性能を発揮させるためには高度な演算能力が必要となる。クライシスの頭脳はそれを満たすのに充分な能力を持っているが、優れたエンジンを動かすには優れた燃料が必要となるのと同様に、高度な頭脳は通常の栄養分だけでは動かない。

「………………」

しかし、クライシスが再び地球を訪れてからしばらく経つが、彼は一度も を摂取していなかった。彼の脳を働かせるのに必要となる 。火星に居た時は特に意識する事も無かった の摂取を怠ったせいで、彼の脳は機能不全に陥りつつある。

「………………」

 以前、ミラージュ社の専属レイヴンとして地球で活動していた時もそうだった。地球での滞在が長くなるにつれ、彼は眠っている時間が多くなる。

 燃料不足で苦しむエンジンをだましだまし動かしているようなもので、その先にあるのは完全な破綻のみ。しかもこれからナハティガルとの争いが激化していく中では、その速度は今まで以上の………………

「………………っ!?」

 不意に痛みを覚え、クライシスは意識を覚醒させる。彼は寝ぼけて指先を噛んでしまっていた。歯型の跡に沿って内出血が起こり、指先が赤黒く染まる。

「………………」

 赤い、緋い、アカイ何か……朦朧とした意識の中で、彼が無意識のうちに求めていた物……赤黒く染まった が、彼の体内から…………

………………はぁ、この年になって寝ぼけるとは……

 クライシスは体を起こすと、大きく伸びをする。眠っている間になんとか体調は戻ってくれたようで、頭の中の靄もすっかり消えていた。何か夢をみたような気もしたが、内容はすっかりと忘れてしまっている。

「さて、そろそろあの馬鹿を止めて…………ん?」

 ベッドから立ち上がったクライシスは、携帯端末にメールが着ているのに気づいた。

「C・Bからか……情報漏洩について何か……ああ…………」

 内容は想像していたものとは違っていたが、朗報には違いなかった。しかし、彼は複雑そうな顔をしたままメールを削除すると、小さく呟いた。

「……きた、か………………」

  

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