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矢印〜感情のベクトル

 

 セイルはふと目を覚ました。

それはあまりにも自然な目覚めで、自分が目を開けたことに気づかなかったほどだった。視界には見慣れた自室の天井がひろがっており、照明が穏やかな光を放っている。

「……なんだ? 寝てたのか?」

 体を起こして辺りを見渡すと、これまた見慣れた自分の部屋に、大量の酒瓶が散乱していた。そしてそれらの酒瓶や雑誌、ゴミ袋などに埋もれるようにして、ケイローンとスキウレが眠っている。

「…………」

 頭の中にかかっていた霧が次第に晴れてゆき、セイルは今までのことを思い出した。

スキウレがアリーナで負け続けていた相手にやっと勝てた祝いだとか言ってケイローンと共に現れ、明るいうちから酒盛りを始めたのだった。なんでもクライシスやアメリアを誘おうとして見つけられなかったらしく、どうやらここが最後の砦だったらしい。

セイルもセイルで断ろうとはせず、二人が持ってきた酒を次々に開けていったのである。

「その結果がこれか……」

 時刻は午前三時。飲み始めたのが早かったせいか、妙な時間に目を覚ましてしまった。しかもアルコールの影響なのか、眠気は全く無い。しかし他の二人は完全に熟睡しており、持ち込まれた酒もあらかた空になっている。

 クライシスやアメリアのようなストッパー役が居なかったのはやはり問題だったようだ。あの二人はここ最近見かけないのだが、もしかしたら数日前から試合に向けてテンションが極端になっていたスキウレから逃げていたのかもしれない。

寝直すにも飲み直すにも微妙な状況に辟易し、悩んだ末にセイルはコートを羽織って外に出た。

「ふぅ……」

 火照った体に吹きつける夜風が気持ちいい。セイルは闇に沈んだ街を歩きながら空を見上げた。スモッグがかかっているらしく、星どころか月すら見えない。比較的気象コントロールの水準が高いこの街でも、最近はスモッグが多くなっていた。

 原因はやはり、このところシティ近郊での戦闘が多くなっているからだろう。ナハティガルの活動が活発化してきているせいで、シティのすぐ近く、ひどい時にはシティ内部でも戦闘が起こる。ナハティガルによる被害はどんどん大きくなってきていた。

「いいかげん、どうにかしないとなぁ……」

 そう呟きつつ、セイルは視線を下ろす。星の見えない空とは裏腹に、街にはあちこちに常夜灯や24時間営業の店が明るく輝いていた。しかしその灯りも、以前に比べてかなり減ったように思える。

早くナハティガルの活動をやめさせなければ、被害はもっと大きくなるだろう。テロの規模の割に人的被害が小さいのが不幸中の幸いだが、このまま状況が変わらなければそうも言っていられなくなるだろう。

「…………」

セイルはふと、ナハティガルの目的が気になってきた。今のところ推測できるナハティガルの目的は、コーテックスを含む全企業の打倒だと思われる。では企業がなくなった後、ナハティガルは何をするのだろうか。既存の統治体制が倒れれば、新しい統治体制が必要となる。ナハティガル自体が新たな為政者となるつもりなのか、それとも権力による統治そのものを無くすのが目的だろうか。

「……はぁ…………」

 しかし、考えてみたところで答えが出るはずもなかった。こういった事はエマやスキウレなどの頭脳派に任せておくべきだろう。と、今浮かんだ二人のうち一人が自分の部屋で眠りこけていることを思い出し、セイルは踵を返す。

何の気は無しに始めた夜の散歩だったが、気の向くままに続けるにはあの二人が心配だった。

「…………」

 セイルは元来た道を引き返し始める。この時間帯でもチラホラと通行人が居るが、昼間に比べれば驚くほどに少ない。おそらく、シティの住民達もテロを意識して夜間の外出を控えているのだろう。

 テロが起これば被害が出る。被害をうけた者は犯罪へと走り、犯罪は新たな犯罪を生む。被害者は加害者へと変わり、損害だけがねずみ算式に増えてゆく。テロによる被害は、一次的なものだけでは留まらないのだ。

そして今この瞬間も、新たな被害者と加害者が生まれている。セイルはポケットからデリンジャーを引き抜くと、振り返りながら発砲した。

「っ!!

先程すれ違った黒い影が苦悶の声と共に倒れ伏す。その手から自分の財布を回収したセイルは、デリンジャーをポケットにしまいながら歩みを再開した。銃声を聞いて集まって来た通行人が驚きの声を上げ、倒れた影に駆け寄り始める。

「…………」

 そのまま一定のペースで歩き、灯りのない路地裏に入り込んだセイルは、デリンジャーに弾丸を装填する。外さないように二発撃ったのだが、両方とも命中してしまった。流石に死にはしないだろうが、歩行に障害が出るかもしれない。

「ちぇ、これはまた……」

「ちょっとやりすぎちゃった……かな?」

「っ!?」

 不意に聞こえた声に、セイルは装填が終わったばかりのデリンジャーを路地の入口に向ける。いつの間にかそこには、一つの影が立っていた。逆光になってよく見えないが、シルエットからして女性。長い髪を後頭部でまとめ、すらりとした体をタイトなスーツに包んでいる。その姿には見覚えがあり、同時に先程聞いた声にも心当たりがあった。

「……レナ?」

「そっ……大丈夫、ガードはまだしばらく来ないわ。撃たれた人も生きてる。ほら、銃下ろしてよ……」

 そう言いつつ、レナはセイルに向けて歩いてゆく。セイルは一瞬逡巡した後、デリンジャーをポケットにしまいこんだ。

「脅かさないでくれよ……心臓に悪い……」

「ごめんごめん。でも、心臓に悪いのは自業自得でしょ?」

「…………」

 レナの言うとおり、先程の発砲は少々軽率だった。ここは閉じた街のような無法地帯ではない。財布をスられたとは言え、発砲していい筈がなかった。しかもセイルが先程まで考えていたことが当てはまるなら、財布をスろうとしたあの黒い影もまた被害者なのだ。

 しかし、セイルが心臓を高鳴らせた要因は別にあった。レナは現在、ヒーメル・レーヒェ・メンバーのACにハッキングをかけた疑いがかけられているのだ。

「…………そうだな、今のは反省しとく」

「うん、OK。やっぱりセイルはセイルだね」

 そう言うとレナはセイルに並んで立ち、壁にもたれて空を見上げた。彼女の手元では、コンビニの袋が重たげに揺れている。と、セイルの視線に気づいたのか、レナはその袋を持ち上げてみせた。

「飲む?」

「酒? いいよ。さっきまで飲んでたんだ」

「なんだ……じゃあさっきのは酒の勢い?」

「そういう訳じゃ……」

 先程の行動を酒のせいにしてしまっているようで、セイルは気まずそうに目をそらす。レナを警戒していることもあり、セイルは妙に落ち着かなかった。チラチラとレナの方を伺いつつ、ポケットの中でデリンジャーをいじくりまわしている。そんなセイルを尻目に、レナは袋の中に手を突っ込んでいた。

「ってどっちにしろ飲むのかよ……まあ別に……かまわないけど……」

 セイルは一瞬言葉をつまらせた。袋から取り出されたのはごく普通のアルコール飲料だったが、その缶の上にはリバーシのコマのような小さな円盤が載っていたのだ。再び目をそらすセイルに、レナはフォローを入れた。

「ああ、コレ? ちゃんとした正規品だよ。最近の裏物はあんまり安全じゃないからね……」

 合法ドラッグ『ロッカー』のことを知っている事を前提とした話し方に、セイルは逆に話を続けづらくなってしまう。レナもまた、レイヴンのオペレーターという仕事である以上、こうした裏の事情に関わっていてもおかしくはないのだ。むしろ、今までこのような話をしなかったことの方が不思議だった。

 同時に、パートナーを裏切るパートナーという、いかにもありがちなシチュエーションも、充分起こりうる事なのだと思い知らされた。

「ちょっと、黙り込まないでよ……もう…………」

 レナは不機嫌そうに頬をふくらませながら、酒の缶を開ける。そのいつも通りのフレンドリーな仕草に、セイルは少しだけ平静を取り戻した。

「ごめんごめん、なんか最近妙にナーバスでさ……」

「ふぅん……例のテロ組織の件?」

 不意の一言に、セイルは思わずレナの方へ振り向いてしまった。レナの瞳がいたずらっぽく笑っている。先程は安心感を覚えた筈のそんな仕草が、今は逆に恐ろしく思えてきた。

「……まあ、そんな所。俺も個人的に追ってるんだけどさ、何か知ってる事無いか?」

「ん〜……レイヴンにオペレーターとして教えられる事は、何も無いかなぁ……」

 レナはそう言うと、酒の缶を口へと運ぶ。それなりの量があるはずの酒を一息で飲み干し、別の缶をあさり始めた。セイルはしばらくその動作を見つめていたが、やがて意を決したように口を開いた。

「じゃあ……セイル・クラウドにその友人として教えられることはあるか?」

「…………」

先程は一息で飲み干した量の缶を口から離し、レナは横目でセイルの顔を見る。酒に濡れた唇が、ニヤリと笑っていた。

セイルの頬を一筋の汗が流れていく。今の言葉は単純な要望ではなく、レナへの問いかけの意味があった。友人として後ろめたい事をしているのではないか、という、これは二人の関係を守る防衛線なのである。

「そうね……それなら無い事も無いけど……タダでは教えられないかな?」

 ペロリと唇をなめつつ、レナはそう言った。セイルの頬を流れていた汗が、顎から地面へと落ちる。セイルは無理矢理に笑顔を作ると、レナに返事をする。

「……いくらだ?」

「馬鹿……セイルが知ってる事を教えて欲しいの。情報交換ね」

 今更ながら、セイルはこの話題に乗ったことを後悔し始めていた。問いかけられても無難に返しておけばいいものを、わざわざ自力でレナの嫌疑を確かめようとしたのが運の尽きだったらしい。

ついこの前も、クライシスにレナへの接触は控えるべきだと言われたばかりだったが、正しくその通りだった。クライシスはここ最近姿を見せないので、言われた事を失念してしまっていたのだろうか。

「…………」

 セイルの頬を再び雫が伝っていく。レナを相手に何を言うべきなのか、全く検討がつかないのだ。正直にヒーメル・レーヒェの事を話すにはリスクが大きすぎるし、かと言って何も言わなければ自分が何かを知っている事を知られてしまう。嘘をつこうものなら一発で見破られてしまいそうだった。

「…………」

「何も言えない? だったらこの話は無かったことに……」

「っ……一つ、聞いていいか?」

 とっさに、セイルはそう言っていた。再びレナの口元が微笑の形を作る。

「……いいわ」

「……俺がレナに何か教えたとして……それが俺にとってのデメリットになりうるか?」

「…………」

 敵か味方か、とはあえて聞かなかった。立場上とは言え長い間一緒に仕事をしてきた者として、最後の最後まで彼女を敵だとは思いたくなかったのだ。

「…………」

「…………」

「…………相変わらず、あなたは面白いわね」

 しばらくの沈黙の後、レナはそう言って残りの酒を飲み干した。空になった二つの缶を傍らの薄汚れたゴミ箱の上に置き、レナはセイルと真正面に向き合った。

「いいわ。あなた達に迷惑がかからないように努力する。これでいいかしら?」

「ああ……じゃあ、とりあえずだけど俺達は……」

「へぇ……やっぱり組織だって行動してるのね、あなた達」

「っ!! ……言った途端にそれか……」

 セイルは不快そうに顔を逸らした。見事レナのカマ掛けに引っかかってしまったのだ。体良く情報を手に入れたレナは、ニヤニヤした笑いを浮かべている。

しかし、背けられたセイルの顔もまた、僅かに笑みを形作っていた。今の言葉からすれば、レナはセイルが組織だって行動していることを今の今まで知らなかったことになる。それは、件のハッキングの犯人がレナではないことを示唆していた。

無論、これが彼女の芝居でないことが大前提となるのではあるが。

「そんな顔しないの。セイルやスキュっちがいっしょに独自行動してるのを見れば、それくらい推測できるわ。情報管制もちょっと甘いみたいね」

 そしてその前提は、早くも傾き始めている。レナが自身の予想を確定するためにハッキングを仕掛けた可能性もあるのだ。おまけとばかりに組織の弱点まで知られてしまっている。もう後に引けないと悟ったセイルは、溜息をつくと、覚悟を決めて口を開いた。

「レナ…………一つ提案がある」

「……なぁに?」

「…………俺達に害が及ばない範囲での情報の活用を認める。だから俺達の組織に参加してくれないか?」

 毒を食らわば皿まで、と言わんばかりに、セイルは留めていた言葉を吐き出した。クライシスに言われただけでなく、自分自身で実感した、レナ・エリアスという人間の危険性。既に彼女が敵側に回っている可能性も考慮すると、無謀と言わざるをえない程の行動だった。

「……そうね、面白そうではあるけど…………私も、一つ聞いていいかしら?」

「……何だ?」

「セイルの組織……主宰しているのはクライシスなの?」

「……いや、主宰はあくまでも俺だ。確かにクライシスはいろいろとしてくれてるけど……」

 どんな役職にいるかはぼかした上で、セイルはクライシスの存在を肯定する。実際、ヒーメル・レーヒェはクライシスの存在無しには成り立たない程彼に依存していた。組織の要たるクライシスを危険にさらしてしまうなど、本人が知れば説教ではすまないだろう。

「そう……残念だけど、組織への参加は遠慮させてもらうわ」

「…………」

 ある意味予想通りの、ある意味思いもよらなかった返答に、セイルは言葉をつまらせる。

 レナが容易に組織への加入を了承するとは、そもそも思っていなかった。コーテックスのオペレーターという情報の塊であるレナが、一個人の主催する組織に参加するなど、双方ともにリスクが大きすぎる。彼女が既にナハティガルと通じているならスパイとしての潜入という可能性もあったかもしれないが、それも前者と同様だろう。

 事実、レナはヒーメル・レーヒェへの参加を断った。しかし、その理由が問題なのである。彼女は暗にこう言っているのだ。クライシスのいる組織には入れない、と。

「…………理由を、聞いてもいいか?」

「そうね……単刀直入に言うけど、私、あのクライシスっていうレイヴンを信用できないのよ…………セイルも言われてたんじゃない? 私にはこういった話をするべきじゃないって。あるいは、私を敵として疑ってるとか?」

「…………」

 セイルは何も言い返すことが出来なかった。自ら仕掛けたノーガード戦だったが、ものの見事にストレート負けしてしまったのだ。

「図星ね……まぁ、仕方ないわ。私もそれなりの腕利きだと思ってるけど、そうなればなる程、他人との付き合いは難しくなるのよ……

 フレンドリーで通っているレナらしからぬ言葉だった。しかし同時に、的を得た発言だとも言える。セイル自身、レイヴンになってからというもの、容易に他人を信用することが出来なくなっていたからだ。

「……すまん。ちょっとまずい事があって、俺やケイローン、スキウレに親しいレナが疑われてるんだ。もちろん、信じたくはないけど……」

「……そっか…………」

 レナは再び壁に背を預けると、空を見上げた。スモッグのかかった空は暗く、しかし地上の光りを反射して白く見えた。

「…………」

「…………」

「…………そうね……ここは今後のためにも、動いておいたほうがいいか……」

 不意にレナは壁から離れると、セイルの方に向き直った。そしてセイルの耳元に顔を寄せると、小さな声でつぶやいた。

「セイル、銃を貸してくれる?」

「…………」

 セイルは一瞬逡巡した後、ポケットからデリンジャーを引き上げた。レナはセイルに密着したままでそれを受けとると、形を確かめるかのようにこねまわす。ひとしきりそうした後、レナは不意にデリンジャーをかまえて発砲した。路地の入口と、奥の曲がり角、それぞれの地面に弾丸が突き刺さり、土煙が上がる。

「…………うん、OK」

 レナはセイルから離れると、デリンジャーを返してくる。小刻みに震える手でそれを受け取ったセイルは、胸に溜まっていた空気を吐き出した。

「はぁ…………本気で殺されるかと思ったぞ」

「ご苦労様。ありがとうね、私を信用してくれて」

 セイルの信頼度確認と、第三者の不在確認。その両方を一度にやってのけたレナは、満面の笑みを浮かべながらセイルに言った。

「お礼と言っちゃなんだけど、いくつか教えといてあげるわ。まず、私はあなた達の組織に敵対していない。私もこの状況は理解してるけど、まだテロリストの方に着くつもりはないわ。次に、あなた達の組織の事を知っているのは、多分セイルが思ってる以上に多いわ。今後は情報管制を強化することね」

「…………耳が痛いな。だからこそレナを引っ張り込もうと思ってたのに……」

 額の汗をぬぐいつつ、セイルはそう言った。先程までの緊張が抜けたせいか、少し喋るのにも気力が必要になる。

「そうね……私に目をつけたのは評価するけど、さっきも言った通りあなた達の組織に入るつもりはないわ。私から見れば、テロリスト以上に不安定な組織だもの……ところで、今はどうやって実務をこなしてるの?」

「ああ、それはエマが……って、ナチュラルに情報聞き出そうとするなよ! まったく、クライシスよりお前の方が信用…………?」

「……どうかした?」

「……いや、なんでもない…………他には?」

今言えるのはこれだけね。これ以上は負けられないわ

「そうか……ありがとう。じゃあ、またミッションで……」

「待って」

 踵を返して帰ろうとしたセイルを、レナは引き止める。その声には、どこか焦っているような、慌てているような感じがこもっていた。

「……何だ?」

「あ、あなた達の組織についてだけど、どうしても……どうしても手が足りてないって言うなら……私がっ、コーテックスとのパイプ役になってあげてもいいわよ?」

 妙なイントネーションでそう言ったレナは、不自然な方向に視線を向けている。よく見ると、この暗がりでも分かるほど耳が赤く染まっていた。

「…………」

 セイルは言葉を失っていた。突然の願ってもない申し出に、ではなく、今のレナの様子について気になっていたのだ。

(なんだっけ、これ……確か、こんな様子を一言で表現する言葉があったような気が……)

「……それと、これはあくまでギブアンドテイクな関係だからね。それなりの見返りを求めさせてもらうわよ! それから、この事はクライシスには秘密にすること。いいわね!」

 今度は妙に早口でそうまくし立てると、レナは早足で路地から出ていってしまった。セイルはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて何かに納得したらしく、晴れ晴れした顔で歩き始めた。

「ツンデレか……」

  

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