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START〜絶対値0〜

 

 

 テロリストたちの大規模襲撃から一夜明け、コーテックスシティは次第に落ち着きを取り戻しつつあった。

二度目となるディソーダーの発生も、企業軍側の適切な対応によって短時間で鎮圧され、さらにセイル達ヒーメル・レーヒェの尽力によって市街地での戦闘が回避された事もあり、既に戦闘慣れしていたシティの住民たちは、特に混乱することもなく日常へと戻っていった。

しかし、それとは逆に企業軍やレイヴンたちは、戦闘後の処理や今後の対応について頭を悩ませる事となる。最終的に企業軍側の勝利で終わったとは言え、これ程までに慎重な対応を強いられる程の戦力と計画性を持つ敵の存在は、彼らをひどく動揺させていたのだ。

グローバルコーテックスは即座に市民に対して非常事態を宣言し、SL事件と同様にコーテックスを中心とした各企業が合同で対策に当たる旨を発表。各企業の代表が召集され、緊急の議会が組まれる事となった。

また、セイル達ヒーメル・レーヒェも、テロリスト———彼らがナハティガルと呼ぶ組織との戦いにおける、大きな転機を迎えようとしていた。

「最終的に、敵主力部隊は企業軍主力部隊との戦闘に敗北し撤退、発生したディソーダーはコーテックスの発射した熱核ナパームミサイルにより殲滅、ハイウェイから侵入しようとした奇襲部隊はギルティジャッジメントによって撃退されるという結果になりました」

 ヒーメル・レーヒェ本部リグ内のミーティングルームでは、エマが昨日の戦闘について解説していた。昨日は集まりの悪かったメンバー達だが、今日は全員が揃っている。

照明が落とされた薄暗い部屋の中ではディスプレイが明るく輝いており、メンバー達の影を黒々と浮かび上がらせていた。

「クライアントであるコーテックスは、戦闘の結果に非常に満足しています。よって今後、我々ヒーメル・レーヒェはコーテックス指揮下の独立傭兵部隊となり、テロリストの殲滅に当たって欲しい旨が伝えられています…………リーダー、どうしますか?」

 ディスプレイの前で発表していたエマが、セイルに視線を向けてくる。セイルは、自分の隣の席にチラリと視線を向けた後、こう問い返した。

「基本的には同意するけど……もしそうなった場合、俺達にはどれくらいの自由度が与えられることになる? 完全にコーテックス軍に組み込まれるようなことになるなら、出来れば遠慮したい……」

セイルの隣には、コーテックスから派遣されてきた連絡員が一人座っている。セイルの問いは、半ばその連絡員に対して発したものだった。そして彼女もセイルの意を汲んだのか、自らその問いに回答する。

「いいえ、あなた達が正規軍に組み込まれるような事はありません。コーテックスはあなた達の持つ独自の情報網、流通ルートを欲しており、それにはレイヴンという立場のままで活動してもらったほうが有効だと判断しています。ですので、あなた達はこれまでと同様にレイヴンとして独自の活動を続けて頂き、それに対して我々コーテックスが優先的に依頼の斡旋や各種援助を行う形になります」

「……わかった、ありがとう。そういう訳だ、みんな。俺としてはこの誘いに乗りたいと思うけど、一応意見を聞いておく。なにか異論がある者は?」

 セイルがメンバー達に挙手を促すが、誰一人として手を上げるものは居なかった。セイルは満足そうに微笑むと、立ち上がって連絡員の方に向き直った。

「そういう訳だ。ヒーメル・レーヒェは、グローバル・コーテックスとの協力関係に同意する事にする。今後はよろしく頼みます」

 セイルはニヤリと笑いながら、連絡員に手を差し出した。連絡員も席から立ち上がると、セイルの手を握り返し、返事をする。

「了解しました。本社には確かに伝えておきます」

 連絡員は握手を解くと、傍聴席を離れて段上へと歩いて行く。同時にエマがディスプレイの電源を切り、部屋の照明をONにした。

「では改めまして……グローバル・コーテックスより、ヒーメル・レーヒェ連絡員として派遣されてきました、レナ・エリアスです。今後とも、宜しくお願いします」

 そういって、連絡員———レナはニッコリと笑ってみせた。同時に、傍聴席に座っていたケイローンとスキウレが拍手と歓声を送り、レナは照れくさそうに顔を赤らめた。

「ったくよぉ、嬢ちゃん最近姿を見せねぇと思ったらこんな事してやがったのか? 相変わらず強かだねぇ……」

「もう、ケイさん。そこは見かけに寄らずって言うところですよ。私だって指名されるために結構無理したんですから……」

「でも、レナっちが仲間になってくれるとやっぱりやりやすいわ。問題だった実務関係も解消できそうだし……」

 早くも……と言うより元々メンバー達とは馴染みの深かったレナは、仕事モードの真剣な表情を解き、砕けた口調で会話を始める。それを見たセイルは、小さく安堵の溜息を付いた。

 コーテックスの連絡員としてレナが派遣されると聞かされた時、セイルはレナ本人からの願いもあって、メンバー達にレナの潔白を告げていた。彼女に対する不用意な接触は、クライシスを始めとする何人かのメンバー達から強く非難されたが、何とか結果論で話を収め、レナの会議への参加を認めさせたのだった。

(我ながら、危ない橋を渡ったもんだな……)

 深夜の路地裏でレナとの密約を結んだのが数日前。もしレナが本当にナハティガルのメンバーであったなら、スパイとして潜入する為の口実を与えてしまった事になり、下手をすれば昨日の戦闘においてもヒーメル・レーヒェの動きが敵に筒抜けになっていたかも知れなかった。奇しくも、戦闘に勝利できたことでレナの潔白が証明されたことになるのだが、セイルが危険な手段をとったことに変わりはなかった。

「もう、いっその事レナっちもヒーメル・レーヒェに入っちゃったらいいのに。色々とサービスするわよ?」

「それがそうも行かないのよ。コーテックスの方からも過度な干渉は避けるように言われてるから……だからスキュっちも、あんまりクレスト関係の滅多な事喋らないでよ。正直なところ、私、あなた達に対するお目付け役みたいなものだから。コーテックスに不利な点が見つかったら、報告の義務が出来ちゃうのよ……」

「不利な点、か……そう言えば、わたしとギルティジャッジメントに対する処遇はどうなっているの?」

「あ、そっちは大丈夫です。機体に関してはすぐに認可が出ましたし、強化手術も合法的なものだって確認できましたから。アメリさんは心配しなくていいです」

 仕事に関しては真摯で真剣なレナだが、そういった事を予め言ってくれる辺り、やはりメンバー達のことを気に掛けてくれているらしかった。セイルは改めてレナに感心しつつ、三人の会話が収束してきたのを見計らって話しかける。

「それで、レナ。とりあえず現状を確認したいんだけど……コーテックスの方から、何か開示できる情報は無いか?」

 レナはセイルの方に向き直ると、口調はそのままに、しかし真剣な表情をしながら返答した。

「そうね……正直、コーテックスも混乱してるわ。これだけ大規模な襲撃を繰り返しておいて、向こうからは未だに何の干渉も無いんだもの。コーテックスへの要求か、犯行声明か……そういったものが無いと、こっちとしても対応に困るのよ。無論、正直に交渉に応じる積りも無いんだけど……」

 レナはそう言って苦笑して見せる。それに付いては、ヒーメル・レーヒェの方でも測りかねている所だった。

普通、テロリストといえば、武力行使を盾に何らかの要求を通そうとするものだが、ナハティガルはそのようなことをしようとせず、意図や目的を徹底的に隠蔽したまま襲撃を繰り返している。まるで、初めから話し合いなど眼中に無いようだった。

「……だが、いくら戦力を集めた所で、企業軍に勝てるはずがないだろう。他に何か分からないのか?」

 レナの返答に対し、キースが口を挟んでくる。彼の言うとおり、ナハティガルが如何ほどの戦力を持っていようと、コーテックスを含む全企業と真正面から戦って勝てるはずがない。

事実、ナハティガルは今までの襲撃において、毎回企業側の意表をつく形で攻めて来ているが、その多くが失敗に終わっている。どんなに策を練ったところで戦力の差はいかんともし難いものがあり、にも関わらずナハティガルは対話という手段を用いようとしない。これは既に異常だと言えた。

(明らかに勝ち目のない戦力差なのに、あくまでも武力的勝利に固執する……これじゃまるで……)

「残念だけど、今コーテックスが握ってる情報は、あなた達のそれとは比べるべくもないわ。だから今は、あなた達の握っている情報を、出来る限りでいいから開示してほしいの。無論、それに対する見返りは用意するわ」

 まっすぐな視線で、レナはそう宣言した。同時に、メンバー達全員の視線がセイルに集中する。決定を求められている事に気づいたセイルは思考を中断し、レナに返事をする。

「……わかった、そうしよう。エマ、データ頼む」

 再び部屋の照明が落とされ、ディスプレイに幾つかのファイルが開かれる。セイルは慎重に言葉を選びつつ、説明を始めた。

「組織の名は、ナハティガル…………」

 

………………数時間後、軌道エレベーター『ラプチャー00』

 本部リグでの簡単な会議を終えたセイルは、スキウレと共に軌道エレベーター『ラプチャー00』にある宇宙港を訪れていた。昨日の戦闘で中破したA・Rを修復するために、クライシスは再び火星に帰ることになったのだ。

「でも、いいのか? 今回は、そんなに時間かけずに戻って来るって言ってるし、見送りは俺だけでも……」

「いいのよ。レナっちとはこれから幾らでも話せるし。今はこっちが重要」

 そう言いつつも、スキウレは微妙に不機嫌そうな表情をしている。昨日の今日で即座に火星に戻ることを決めたクライシスに怒っているようだったが、彼のことが重要なのは本当らしかった。

「でも本当に……俺が言うのもなんだけど、みんなちょっと頑張りすぎじゃないか? ヒーメル・レーヒェの活動だって、結局は俺のわがままなんだから……」

「それだけ皆がセイルに感謝してるってことよ。もっと自身持ちなさい。人を引きつけるのも才能よ」

「ま、ありがたくはあるけどさ…………」

 セイルの脳裏にあるのは、昨日の戦闘に突如として現れて大戦果を上げたアメリアと、そのAC、ギルティジャッジメントの事だった。

ギルティジャッジメントは既存のACをはるかに凌駕する攻撃力をもち、アメリアはそれを乗りこなすためにさらなる強化手術を受けていた。自分に協力してくれるのは無論、喜ぶべきことだが、密かに彼女の幸福を願っているセイルとしては複雑な気分だった。

しかも、ACの製造と強化手術、その二つをどのような手段で実行したのか、どれほどの代償を支払ったのか、アメリアは全く話そうとしなかった。

(まぁ、十中八九クライシスが糸引いてるんだろうな……)

 セイルがアメリアの事を憎からず思っていることは、当然クライシスも知っているだろう。そうするとクライシスは、セイルの思いを知った上で、アメリアに協力したことになる。その事についても、セイルは言い様のない思いを抱えていた。

(クライシスも、妙に秘密主義なところがあるからなぁ……その辺りも、もうちょっと関係を改善したいところだけ、ど……)

「……待たせたな」

 セイルがそんな事を考えているうちに、当のクライシスが出発準備を済ませてロビーにやってきた。前回と同様、丈の長いトレンチコートを着て大きなトランクを持っている。

「何が待たせたよ、こっちはあなたが帰ってくるまでずっと待つハメになるんだから……」

 スキウレが口を尖らせながらそう告げる。セイルは、彼女が言った言葉の中に額面通り以外の意味が含まれているような気もしたが、クライシスはなんでもない様に言い返した。

「分かっている。出来る限り急いで戻るが、それでも1、2週間はかかるだろう。それまでは組織の方を頼む。それと……」

 クライシスは一旦言葉を切ると、セイルの背後、スキウレの方に視線を移した。スキウレは、先程からそっぽを向いて携帯端末をいじっている。

「セイル……ジャスティスロードのセンサーを最大感度まで引き上げるのは、控えたほうがいい。あれのもたらす情報量は、人間の限界を越えている」

「………………」

 言われてみれば、セイルにも心当たりがあった。ジャスティスロードのセンサーは、OBによる高速移動ですらスローモーションに思えてくるほどの濃密な情報を供給してくれるが、使用後は頭痛に襲われることが多々あった。

また昨日の戦闘では、フィリアルを直視した途端、強烈な頭痛に襲われている。詳しくは分からないが、人体に何らかのデメリットがある装置なのは間違いなかった。

「分かった、気をつけておく。大丈夫だよ、コーテックスやレナも助けてくれるし……」

「っ………………」

「…………まだ、レナのこと信用できないか?」

 無言で目を細めたクライシスに対し、セイルは小声でそう尋ねる。先程の会議でも、クライシスは結局目立った発言をしないままだった。

「自分でも軽率だったとは思うよ。結果オーライで全てが片付く訳じゃないのも分かってる。でも今は……」

「その事はもういい……いや、よくはないがそれよりも……」

 クライシスはスキウレの様子を伺いつつ、セイルに耳打ちした。スキウレは暇を持て余しているのか、宇宙港の案内板をじっと眺めている。

「今は彼女のことよりも、お前の無用心さを何とかする事の方が先だ。結局お前達のACにハッキングを仕掛けたのが誰なのかは分かってないんだ。信用する相手は慎重に選べ」

「……大丈夫だよ。俺だってレイヴンとしては成長してるつもりだ。人を見る目だって多少は……」

「……ケイローンが信用できないと言ったらどうする?」

「っ!?」

 予想外の言葉に、セイルは思わず息をつまらせた。ケイローンはセイルのレイヴンとしての父親であり、この世界での生き方を教えてくれた師でもある。そのケイローンが信用できないとなれば、それはもう全てのレイヴンを信用できなくなってしまう事になる。

「……どういう事だ?」

「………………別に、彼が敵対者である可能性があるわけではない。だが……あの男の経歴には不信な点がある……あの男は、何かを隠した上で俺達と付き合っている」

「……多少の隠し事くらいあって然るべきだと思うけど?」

 セイルは多少、語気を強くしてそう言った。ケイローン同様に強く信用しているクライシスだが、故に軽々しく聞き流せる内容ではなかった。

「………………そうだな。すまない、忘れてくれ」

「ああ……俺も気をつける」

 クライシスはそう言うと、近づけていた顔を離す。セイルの背後では、いつの間にか戻ってきていたスキウレが訝しげな表情で二人を見つめていた。

「なぁに? 二人して秘密のお話かしら?」

「そんな所だ………………そろそろ行く。じゃあ」

「ああ、またな……」

 クライシスは踵を返し、出発ゲートをくぐってロビーを出て行く。セイルとスキウレはその背中を、寂しげな瞳で見つめていた。

 

………………数分後、ラプチャー00、宇宙港

『ご搭乗ありがとうございます。当機は、地球発・火星行き連絡宇宙船、126号……』

 クライシスは連絡宇宙船の中で出発を待っていた。ポケットから懐中時計を出して時間を確認すると、出発時刻まではまだ少々時間がある。

 もう少しセイルたちと話している余裕があったかも知れないが、正直あのまま会話を続けるのも苦しい物があった。

「………………」

「相変わらず不器用だな」

「C・B……」

 クライシスが腰掛けている席の隣に、一人の男が腰をおろす。黒髪に緑色の瞳をしたその青年は、地球ではフォグシャドウと呼ばれているレイヴンだった。

「……見ていたのか?」

「一部始終、ね。まったく、人付き合いの悪さは変わらないな。バースト……マーティが気に掛ける訳だよ。そう言えば、彼はどうした?」

 そう言いつつフォグシャドウはポケットからコンタクトレンズのケースを取り出すと、自分の目からレンズを外し、ケースに収める。クライシスは溜息をつくと、彼にならって懐中時計をポケットにしまいこんだ。機内放送は、間もなく船が出発することを告げている。

「あいつは残してきた。お前の代役になるとは思えないが、今は少しでも戦力を減らしたくない。しかし、本当にお前には、昔から迷惑をかけっぱなしだ。世話をかけるな、コルネリウス・ブルストード・グラディウス……」

「今更何だよ、水くさい……まあいい、夕食が来たら起こしてくれ……」

 そう言うと、フォグシャドウはシートにもたれ、緋色の双眸を閉じて眠りについた。

 

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