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審判の日~鳴り響く角笛~
不意に聞こえたセイルの声に、アメリアは思わず空を見上げていた。
衛星軌道上の、それも閉鎖空間内にいるジャスティスロードから、ここまで無線の電波が届く筈もない。
しかし彼女は、今の声が幻聴や気のせいの類であるとは到底思えなかった。
「…………っ!」
アメリアは口元を引き結ぶと、視線を眼前の敵へと……生体兵器と融合したクラッシング・ゴーストへとむける。
無数の触手から放たれるレーザーが、ギルティジャッジメントへと向かってきていた。
「…………」
アメリアはマグネイズスラスターの出力を調整し、空中で不規則に動き回りながら攻撃を回避する。同時に、接続された神経を通してコンピューターに指示を送った。
「っ!!」
脳内に意識を集中した途端、左腕を激しい痛みが襲う。ギルティジャッジメントの左腕が破壊されたことによる幻肢痛が、再び襲ってきたのだ。
アメリアは以前、対人ミサイルの直撃を受けて左腕を吹き飛ばされたことがあった。その時は、PLUSの持つ痛覚制御能力によって痛みを押さえ込めたのだが、今はそれが出来ていない。
当時以上に高位のPLUSとなり、実際に肉体が損傷しているわけではないにも関わらず、左腕の激痛はアメリアの思考を阻害していた。
(まだ……まだこんな所じゃ……)
歯を食いしばって痛みに耐え、アメリアは思考による操作を続行する。どんなに痛くても、どんなに辛くても、彼女は自分の罪を償うことを決めたのだ。
それは、彼女の解放を願ったセイルの思いに反するものなのかもしれない。しかし、先ほどアメリアの耳に届いたセイルの声は、そんな彼女の背中を後押ししてくれるものだった。君は自由なのだ、と……
(ごめんね……ありがとうね……セイル……)
歯を食いしばって痛みに耐え、操作を終えたアメリアは、クラッシング・ゴーストの攻撃を躱しながらさらに高度を上げていく。
そして機体を下方へと向けると、コアの装甲を展開し、超重力砲ガブリエルの砲身を露出させた。放たれる重力波が、拡散しながら地上へと降り注いでいく。
(わたしはこれからも、間違えたり迷ったりする……転んだり立ち止まったりもしてしまう……でも……)
局地的に増幅された重力により、クラッシング・ゴーストは動きを鈍らせた。のたくっていた無数の触手は自重を支えることが出来ず、地面に叩きつけられる。
(ちゃんと答えを出すから……自分の力で立ち上がるから……だから……)
攻撃が止んだ瞬間、アメリアはギルティジャッジメントを降下させた。ガブリエルの放射を維持したまま、動きを止めたクラッシング・ゴーストへと攻撃を放つ。
しかしクラッシング・ゴーストは軋ませながら左腕を持ち上げると、装備されているグレネードランチャーを上空のギルティジャッジメントへと向けた。
「——————」
生前のゼロが好んで使用したAC用の携行グレネードランチャー……かつてのアメリアの機体、グラッジにも装備されていたそれの砲門が、まっすぐにギルティジャッジメントを捉えている。
(それまで君は……そばに居てくれるかな?)
放たれるグレネード弾。しかしアメリアはそれを躱そうとせず、ギルティジャッジメントは真正面から砲弾を受け止めた。巻き起こる爆発が大気を震わせ、重力波の放射が止む。
自由を取り戻したクラッシング・ゴーストは、地面に縫い付けられていた触手を再び持ち上げ———それらが中程から切断されていることに気がついた。
「——————!」
回頭するクラッシング・ゴースト。その視界に写ったのは、背を向けて立っているギルティジャッジメントだった。
展開されたスカートアーマーの下から覗くのは、前側二本の隠し腕。セイルが宇宙に行くに当たり、ジャスティスロードの換装を行った際に取り外されたスタビライザー用のレーザーブレードが、青い刀身を輝かせていた。
「リミットブレイク……アームドシステム、オーバードライブ!」
残された一本の腕と、四本の隠し腕、その他にも全身に装備された多数の武装が、一斉にクラッシング・ゴーストへと向けられた。すべての武装は一分の狂いもなく、クラッシング・ゴーストに狙いを定めている。
「——————」
切断された触手を即座に再生させ、攻撃を仕掛けるクラッシング・ゴースト。しかし、ギルティジャッジメントは予想だにしない動きでそれらを回避していった。
放たれるレーザーを二本のブレードで弾き返し、動きを封じようと絡み付いてくる触手を上段蹴りで打ち据える。
地上を滑るような素早い機動でプラズマの本流を躱しきり、クラッシング・ゴーストに接近したギルティジャッジメントは、狙いすまして一発のバズーカを放った。
放たれた砲弾は、ちょうどこちらに向けられていたグレネードランチャーの砲門に飛び込み、装備されていた左腕部ごとランチャーを吹き飛ばす。
「はああっ!!」
「——————ッ!?」
生物として非力な種である人間が、生態系の頂点に立つことの出来た理由。それは武器を扱えるということだった。
状況に応じた多様性を持ち、異物でありながら自分の体の延長として扱える武器という存在。その真髄を極めたのが、このアームドシステムなのである。
強力な火器と推進装置、そしてそれらを制御する多数の腕が、使用者の体の延長となって稼働する。アメリアは今、人類最強の武器を手にしているのだ。
「——————!」
咆哮し、攻撃を再開するクラッシング・ゴースト。しかし、既にアメリアの意識と寸分の狂いもない動きを見せるギルティジャッジメントに、大雑把な攻撃はかすりもしない。
逆にギルティジャッジメントの放つ攻撃は、触手の一本一本、火器の一門一門を正確に捉え、破壊していった。
(いける! このまま……っ!!)
躱し損ねた一発のレーザーが、ギルティジャッジメントの右肩をかすめて通り過ぎる。同時にアメリアは銃撃を受けたような激痛を覚え、右肩からは血が吹き出した。
(くっ!!…………これが、オーバードライブの弊害!?)
最高レベルの神経接続により、ギルティジャッジメントは既にアメリアの体の一部となっている。あまりにもリアルすぎる幻肢痛を脳が現実だと錯覚し、肉体の損傷を引き起こしたのだ。
アメリアは思わず、ポケットの中の注射器へと手を伸ばす。しかし寸前でその手を引き剥がすと、コントロールスティックを握り直した。右腕の出血は、パイロットスーツの止血機能によって既に止められている。
(上等……こんな痛み、昔はしょっちゅうだったじゃない……)
レイヴンになって間もない頃、彼女は復讐を果たすために、なりふり構わず成り上がろうとしていた。生身での銃撃戦や白兵戦は日常茶飯事であり、傷を負うのは珍しいことではなかった。
それが、いつからだろう。痛みを感じなくなってしまったのは……
「わたしは道を引き返すと決めた……奪うための痛みに耐えられたなら、償うための痛みにも耐えられる!」
アメリアは攻撃の手を緩めることなく、さらにクラッシング・ゴーストに接近してゆく。
敵本体の武装は既にマシンガンのみとなり、支配している生体兵器の触手もあらかた破壊されていたが、時折機体をかすめてゆく敵弾は、着実にアメリアの体を削っていった。
「うっ、く! ああああぁぁ!!」
体のあちこちから血が吹き出し、片方の目が霞んでくる。それでも彼女は怯むことなく、痺れた指でトリガーを引き続けた。
敵に張り付いた状態での集中砲火こそが、彼女の最も得意とする戦法なのである。
「うおおおおぉぉ!!」
スラッグガンの弾幕が敵の触手を撃ち落とし、すれ違いざまに振るわれるレーザーブレードが生体兵器のボディを薙いでゆく。
至近距離から放たれたバズーカがクラッシング・ゴーストのコアに直撃し、細身のボディが大きく揺さぶられた。
「貰った!」
隙を突いて飛び上がったギルティジャッジメントは、再びガブリエルを展開する。機関部のチャンバー内では超重粒子が激しく振動し、砲門に陽炎のような揺らめきが収束していった。
「喰ら…………がっ!」
しかし、トリガーを引こうとした瞬間、彼女はまたも激しい痛みに襲われた。痛みの出処は胸。人工筋肉で作られた強靭な心臓が、狂ったように激しく拍動している。
「あ! かはっ、ぐ……ううぅ……」
アメリアは思わずコントロールスティックから手を離し、暴れる心臓を抑えようと胸を押さえ込んだ。
狂った心臓から吐き出される大量の血液が、濁流となって血管を流れていく。閉じかかっていた傷口が再び開き、パイロットスーツが赤く染まっていった。
(これは……まさか、ガブリエル?)
超重力砲ガブリエル。
ギルティジャッジメント最強の武装であるそれは、本来人工重力を発生させる際に使われる超重粒子の微細振動に方向性をもたせ、重力波を一方向に収束して放つものである。
しかし、クライシスが考案したこの機構には作製技術が追いついておらず、重力波の閉じ込めが不完全だったのだ。
チャンバーから漏れだした重力波はコア内部の他のパーツに干渉し、ガブリエルが発射されるたびに歪みを発生させていたのである。
その歪みはコクピット内部にまで及んでおり、アメリアは以前からそれに危惧を抱いていた。
それが今回、アームドシステムのオーバードライブによってアメリア自身に伝わり、心臓の制御に異常をきたしたのだ。
「いっ、ぐう……あああっ!」
アメリアの心臓に同調するかように、ガブリエルもまた異常動作を起こしていた。チャンバー内の超重粒子が狂ったように振動し、中途半端に収束された重力波が勝手に発射される。
既に体勢を立て直していたクラッシング・ゴーストは易々とそれを回避し、陽炎の帯は地平線の向こうへと抜けていった。
「はぁ、はぁ……っく、はぁ……」
異常をきたしたガブリエルが強制的にシャットダウンされ、重力波の暴走が終息する。同時に心臓の拍動は正常なものに戻り、アメリアは落ち着きを取り戻した。
だがパイロットスーツは大半が赤く染まり、額から流れだした血が視界を遮っている。
「…………わたしは……罪を償うことすら出来ないの?」
アメリアは全身の激痛に耐えながらコントロールスティックを握り直す。彼女の表情には、苦痛よりも悔しさが色濃く浮かんでいた。
ギルティジャッジメントのエンブレムは、角笛を吹く天使と復活した死者たち。タロットカードの『審判』である。だが、本来三つの内二つが開かれているはずの棺は、三つとも固く閉じられていた。
それは、到底償いきれないであろう罪を背負い、贖罪の手段としてさらに誰かを傷つけるしかない彼女の、諦観めいた思いを表しているのだ。
「…………」
赤く染まった視界の中、アメリアは眼前の敵を……自らの起源となった男の機体を睨みつける。
ACにして数十機分にも及ぶ大火力を叩き込んだにも関わらず、クラッシング・ゴーストは未だ健在だった。
生体兵器の自己修復能力は本体であるACの方にも及んでおり、ゆっくりとではあるがダメージを回復しつつある。
(ガブリエルはもう使えない……こんな状態でこいつを倒すなんて……)
「そう……許すつもりは無いってことね……」
口元まで流れてきた血を舐めとり、アメリアは自嘲的な笑みを浮かべた。
ガブリエルの名前の由来となった大天使は、懐妊や復活を告げる慈愛の天使である反面、堕落した都市を一夜にして滅ぼす断罪の天使でもある。
「なら……せめてこの
彼女は展開していたレーザーブレードを消滅させ、隠し腕を全て格納すると、再びコンピューターに思考を飛ばした。
「——————!」
自ら隙を見せたギルティジャッジメントに、クラッシング・ゴーストの触手が殺到する。触手はギルティジャッジメントの四肢に巻き付いて縛り上げ、宙へと持ち上げた。
「くっ! ぐ、ううう……」
まるで本当に手足を縛られているかのような激痛に、アメリアは表情を歪ませる。それでも彼女は途切れることなく、コンピューターに思考を送り続けた。
「——————」
生体兵器は口器のような器官を開き、宙吊りにされているギルティジャッジメントに狙いを定める。口器の内部には、一撃でACを融解させられる程の濃密なプラズマが渦巻いていた。
「っ!!」
その瞬間、ギルティジャッジメントのコアパーツが展開し、ガブリエルの砲身が露出する。砲門には、既に重力の陽炎が揺らめいていた。
「うおおおおぉぉ!!」
再び心臓を襲う重圧に耐え、アメリアは絶叫する。ガブリエルが使えないのは、アメリアが生還することを前提とした場合の話である。彼女の生命を無視すれば、暴走する重力波を無理やり制御して撃ち出すこと自体は容易いのだ。
「——————ッ!!」
クラッシング・ゴーストが状況に気づいた時には既に遅く、ガブリエルはチャージを完了していた。即座にギルティジャッジメントを投げ捨てようとするも、四肢に絡みつかせた触手が動かない。
あまりにも高出力化した重力波が擬似的な特異点を形成し、ギルティジャッジメントは小規模なブラックホールと化していたのだ。
「……ゼロ……聞こえているか?」
「——————」
自らが発する重力に耐え切れず、内側へ向かって崩壊していくギルティジャッジメント。そのコクピットの中で、今にも破裂しそうな心臓を必至で押さえ込みながら、アメリアは話しかけた。
ゴーストと化した人間は意識と感覚を奪われ、自我を失ってしまっている。それでもアメリアは、言わずには居られなかったのだ。
自らの人生を狂わせ、復讐へと駆り立てた男への、最初で最後の一言を。
「くたばれ……こんちくしょう……」
「——————ッ!?」
最後の悪あがきとばかりに、クラッシング・ゴーストは一本の触手を差し伸ばす。
しかしそれより早く、生体兵器の口器へ向けて陽炎の帯が放たれた。小惑星のそれに匹敵する程の膨大な重力が体内へと侵入し、生体兵器は体を内部から破壊される。
本体であるクラッシング・ゴーストもそれに巻き込まれ、全身を崩壊させながら吹き飛ばされた。
蓄積されていた膨大なエネルギーが爆発を起こし、爆風に煽られたギルティジャッジメントは地面へと落下してゆく。そのコアパーツに、生体兵器の放った一本の触手が突き刺さった。
「がはぁっ!?」
触手はガブリエルの機関部とコアパーツの装甲をまとめて貫き、コクピット内のアメリアへと到達する。心臓を穿たれたアメリアは衝撃と激痛に息をつまらせ、傷口から鮮血を迸らせた。
「て……めぇ……」
「ナラ———オマエハ、イキロ———」
「!?」
突き刺さっていた触手が引きぬかれ、四肢を縛っていた触手からも開放されたギルティジャッジメントは、瞬時に体勢を立てなおして着地した。ガブリエルの暴走は止まっており、機体も何とか形を保っている。
「な、何が……わたしは……」
アメリアはヘルメットを外すと、パイロットスーツをはだけて自分の体を確認した。
しかし、心臓に達するような深い傷はどこにもなく、代わりに何かで貫かれたような大きな傷跡だけが残されている。
恐る恐る胸に手を当ててみると、そこにはしっかりとした規則正しい拍動が息づいていた。
「どうして……さっき確かに……」
アメリアは先程、確かに心臓を貫かれたのだ。
しかし、傷口は一瞬にしてふさがってしまい、暴走していた心臓も元通りになっている。また、胸以外の全身に負った傷も治癒しており、気が狂うほどの幻肢痛も無くなっていた。
「…………っ! ゼロ!」
アメリアは慌てて視線を上げた。触手によって開けられた大破孔からは外の景色が見えており、少し離れたところにバラバラになったクラッシング・ゴーストの残骸が転がっている。
念の為に生き残っているセンサーを確認するが、エネルギー反応は認められなかった。
「…………はっ」
アメリアの口元に笑みが浮かぶ。あの時のセイルの声が幻聴でなかったのなら、先程のゼロの声もまた幻聴ではないのだろう。
どういう訳かは分からないが、ゴーストになっていた筈のゼロは死の寸前に自我を取り戻し、暴走していたガブリエルとアメリアの心臓を、正常な状態に戻してしまったのだ。
「あの野郎……どこまでわたしの人生を狂わせるつもりだ!……ははっ、はははっ!……」
アメリアはコクピットに体を沈め、声を上げて笑い始めた。何も可笑しくなどないのに胸の中から笑いがこみ上げ、涙が溢れてくる。
「…………」
アメリアはなんとか笑いを堪えると、左手を宙に差し伸ばした。その手の指に、既につけ爪は付けられていない。
「終わったよ……セイル……」
今までに無い程穏やかな笑みを浮かべ、アメリアはそう言った。
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