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無機質な花〜薔薇のジレンマ〜

 

 ACを載せたリフトがゆっくりと降下していく。深く、深く。下手をすれば閉じた町まで届いてしまうのではないかと思えてしまう。それは、このリフトが施設内ではなく、掘削された洞窟の中に設けられているせいかもしれない。ごつごつとした岩肌むき出しの縦穴は、まるでお化け屋敷のようなおどろおどろしさを醸し出している。

「……………………」

『セイル、いつまでムスッとしてるの? 仕方ないでしょ。クライアントの意思なんだから』

「わかってるよ……わかってる……」

 そんな中、リフトに載せられたチェックメイトのコクピットで、セイルは複雑な表情をしていた。

 

 

mission:旧植物プラント内部探索    client:ミラージュ

reward:50000C  mission cordman eater

 

 

キサラギ社の管轄する地区にある植物プラントへの進入を依頼します。

ここは、数年前にキサラギ社が破棄した施設なのですが、内部にはいまだ稼動している施設があるらしく、無人MTも動いています。

現在わが社は、激化する他企業の進行に備えて、軍備を強化しているところで、少しでも物資や情報がほしい状態です。

そこで、この施設を強奪し、要塞化することが決定しました。あなたには、わが社からの調査部隊を派遣する前に、障害となる敵勢力を掃討し、施設内部のマッピングを行ってもらいます。なお、施設内部は非常に広く、複雑になっているようですので、こちらから寮機をつけさせていただきます。共同で任務を遂行してください

 

「わかってはいるんだが……」

セイルはそう言いつつ、モニターの左側を見る。そこにはグレーに塗られた中量二脚AC、アブソリュートの姿があった。

数日前、ミラージュ車の輸送部隊を襲撃した時に交戦し、惨敗したレイヴン。クライシスの機体。つまりはこれが、ミラージュ社の用意した寮機なのである。

「ついこの前、命のやり取りした相手とかち合うとはな……」

チェックメイトの頭部パーツが視線を向けているのに気づいたのか、アブソリュート

も頭部パーツをこちらに向けてくる。セイルは慌てて頭部パーツをもとに戻し、ため息をついた。

『もう、しっかりしてよ。ザッそれとここから先は無線が通じなくなるから、後はちゃんとしてよ。じゃあね』

「わかってるよ……」

セイルはチェックメイトの戦闘モードを起動する。前回のミッションでコーテックスが報酬を奮発してくれたせいで、チェックメイトも大幅に改装できた。装備は腕部武装をパルスライフルMWG−KP/100高周波ブレードMLB−MOONLIGHTに変え、右肩部には三連装ロケット砲MWR−TM/30も追加した。新型の頭部パーツMHD−MM/003もコンピューターの性能が格段に高く、セッティングが楽だった。

(そういえばあいつも、前とは機体が違うな……)

アブソリュートもまた、以前とはアセンブルが違っていた。右腕にはスナイパーライフルを装備し、腕部はより細いものへと換装されている。共にセイルには見覚えの無いパーツだったが、ミラージュ社の非流通製品なのかもしれない。

やがてリフトが停止し、扉が現れた。ロックがかかっていたようだが、アブソリュートがアクセスすると開いてくれる。通路はやはり岩肌むき出しの洞窟で、床の上に敷かれている太いパイプの上を歩けるようになっていた。

「よし……じゃあ俺が先行する。闇討ちは勘弁してくれよ」

「………………」

 セイルなりにジョークを飛ばしたつもりだったのだが、軽くスルーされてしまう。

セイルはしかたなく扉をくぐり、先に進んで行った。岩肌には所々に、ヒカリゴケの類だろうか、淡い緑色の光を放つ植物が生えている。しばらく進むと、レーダーに赤い光点が映った。その先には扉があり、MTの駆動音らしき音が聞こえてくる。後ろを振り向くと、なぜかアブソリュートは離れたところで立ち止まっていた。

「敵機捕捉、撃破するぞ」

クライシスとの会話を諦めたセイルは、簡潔にそれだけ言うと扉を開け、チェックメイトをダッシュさせて中に突っ込んだ。

「ん? ……うおっ! ととと」

扉の向こうは深い縦穴になっており、さっきまで上を歩いていたパイプが通路代わりに張り巡らされているだけだった。セイルは急ブレーキをかけ、チェックメイトを停止させる。

「あぶな………もうちょっとで落ちる所……っ!」

突然の衝撃に驚くセイル。上部にいた浮遊MTのロケット砲だった。セイルは特に焦ることも無くパルスライフルを放ち、MTを破壊する。さらに縦穴の下のほうから上がって来た同型のMTに対し、ミサイルのロックを開始した。

「待て!」

しかしその時、後方から突っ込んできたアブソリュートがチェックメイトに激突し、よろめかせる。セイルは不意の衝撃に操作を誤り、ミサイルのロックを中断させてしまった。

「うおっ!……っ……何のつもりだ!」

セイルがチェックメイトの体制を整えて振り返ると、アブソリュートが右腕部のスナイパーライフルでMTを叩き落したところだった。

「ミサイルは使わない方が良い……データを送った。見ろ」

チェックメイトの戦術画面にメールが届く。開くといくつかのグラフが表示された。

「これは……っ? 何だよこれ、酸素濃度52%!?しかも2気圧って……」

「単純計算でも5倍の酸素だ。こんなところで炸薬系の武装をつかったら、酸素が引火して大爆発が起きる。コクピットハッチも開くな。この量の酸素はすでに毒だ」

「あ、ああ……でも、なんでこんな事に……」

「………………」

クライシスは無言のまま、アブソリュートをチェックメイトの前に進ませた。扉は2つ、左と正面にある。

「二手に分かれよう。三十分後にここで」

クライシスはアブソリュートをダッシュさせ、正面の扉を開けて進んでいった。セイルもチェックメイトを回頭させようとするが、不意に違和感を覚えてチェックメイトを下を向かせる。足元にはチェックメイトの乗っているパイプと、深い縦穴。穴の奥のほうにもパイプが何本も張り巡らされている。

「………………」

自分がさっきまでACを歩かせていたのと同じ、何の変哲もないパイプ。だがセイルはなぜかそれに、説明の付かない恐怖感を覚えた。例えるなら、誰もいないはずの路地で不意に感じた視線。自分以外誰もいないのに何かが、まるで周囲の壁や街灯が自分を見ているような気がしてくるような感覚。そんなイメージが、セイルの脳内に渦巻いていた。

「…………?」

セイルはしばらくパイプを見ていたが、結局違和感の正体を見つけることは出来ず、やがて諦めて奥に進んでいった。

 

蹴りを受けて転倒したMTがスナイパーライフルの直撃を受けて大爆発を起こす。ジェネーレーターは外したつもりだったが、酸素の影響は予想以上らしい。クライシスはため息をついてコントロールグリップから手を離した。

(ここで行き止まり、か……なら奴の行ったほうが正解……)

ミラージュ軍があらかじめ入手した情報によると、洞窟の最深部にある施設はかなりの規模であり、軍事要塞化が成功すれば大幅な戦力強化が望めるらしい。

(激化する他企業の侵攻に対抗、か……フン、一番侵攻が激しいのはミラージュだろうに)

クライシスは口元に手を当てて目を細めた。先日、セイルと砂漠で交戦した時のことを思い出す。軍備の拡張に余念がないミラージュに対する他企業からの妨害。それ自体は特に珍しいものではなかった。しかし、

(なら……何故奴はこのミッションを受けた?)

 

「……駄目か」

セイルは苛立たしそうに舌打ちする。

クライシスと分かれた後、セイルはMTを掃討しつつ先へ進んでいた。MTは少なく、深い縦穴を昇り降りする以外は通路も単純だったのだが、ひとつの扉の前で立ち往生してしまった。対物センサーは反応せず、コントロール装置を探し出しては見たもののロックが解けず、情報知識に疎いセイルにはどうしようもなくなっていた。

「仕方ない、戻るか。クライシスなら開けられるかもしれないし」

セイルはチェックメイトにもと来た道を戻らせる。待ち合わせの場所にはすでにアブソリュートが待機していた。セイルは開かない扉のことを告げる。

「そう言う訳なんだが……出来るか?」

「……やってみよう」

今度はアブソリュートが先行し、コントロール装置のところへ向かう。クライシスがアクセスしてみると、少々時間がかかったものの扉は開いてくれた。

「何だ、随分簡単だな……」

クライシスはあきれているのか、何も言わずに先へ進んでいった。

 二機はその後、何事もなく進んでいた。何度かロックのかかった扉に出くわすが、クライシスがいじると開いてくれる。MTの数も少なく、特に障害も無く進んでいた。

(それにしてもアイツ……こんなに寡黙だったか?)

 エレベーターを使わずにブースターで縦穴を登りながらセイルは考える。

 セイルはすでにまともな会話は諦めていたが、必要事項の伝達などで二言三言、言葉を交わしていた。しかしクライシスは必要最低限の返事をするだけで、特に感情らしい感情を見せようとはしなかった。

(やっぱり前のこと考えてるのか……レイヴン歴は向こうのほうが長いんだろうけど、歳は同じくらいだしな……)

 そんなとりとめも無いことを考えているうちに縦穴が終わり、扉が現れる。

 そこを抜けると、そこは今までとは違う大きな空間だった。天井も高く、アリーナほどではないが、広さもある。床にはACのくるぶしあたりまで水がたまり、壁はやはりヒカリゴケで覆われている。

「何の部屋……? おい、どうした?」

隣を見ると、アブソリュートは床にしゃがみこみ、マニピュレーターでたまっている水に触れていた。

クライシスに習い、セイルもチェックメイトをかがませて水に触れてみる。その水……いや、液体はスライムのようにどろりとしていた。

「何だ? これ……?……!?」

 不意に後ろから視線を感じ、セイルはチェックメイトを振り向かせる。そこには岩肌にパイプが露出しており、穴が開いていた。よく見ると、この部屋にあるパイプのほとんどに穴が開いている。

 セイルはそれから目が離すことができなかった。そう……しばらく前、この施設に入ったときに感じたものと同じ違和感を覚えたのだ。しかもその違和感は前よりも確信のあるものになっていた。

 パイプというものは中に液体や気体を通すものであり、普通穴が開くとしたら破裂する形でだろう。無論、多くの穴はそのような形で開いている。しかしその中には、明らかに外側からの(・・・・・)力よってあけられていた穴があった

(え? ……え? あれ、は……)

 見ていると気持ちが悪くなる。まるで穴の中に吸い込まれていくような感覚、視界がドロリと溶け出し、混ざり合って黒く染まっていく。手はカタカタと震え、まともにコントロールスティックが握れなくなったとき、セイルはすでに闇しか見えない視界の片隅に僅かな歪みを見つけた。

 目を向けてみても見えるものはやはり闇、しかしそこには確かに違和感があった。そしてその歪みが一瞬揺らいだ瞬間、セイルは隣にいるはずのアブソリュートに向かってチェックメイトを飛び掛らせた。

 コクピットが衝撃に揺れ、視界が元に戻る。同時にディスプレイの隅を赤い光が通過し、水が蒸発するジュッという音が聞こえた。そのまま姿勢を戻すのももどかしく、セイルは倒れたままの機体をひねって歪みがあった場所にパルスライフルを放つ。

「貴様! ……何のつもりだ!」

 セイルは問いかけに答えずにパルスライフルを放ち続ける。パルスライフルはパイプに開いていた穴の中に吸い込まれていき、中で激しい炎があがる。するとそこから黒焦げになった何かが水面に落ちてきた。それはACの頭部ほどの大きさをした緑色のカタマリのように見えたが、わずかにビクビクと動いているそれは明らかに通常の機械ではない。

 セイルは機体の姿勢を立て直すとクライシスに尋ねた。

「クライシス……これは……」

「……っ! くそっ、何故気付かなかった……戻るぞ!」

「どうした? こいつは一体……」

 クライシスは扉に向かってアブソリュートをダッシュさせる。しかし、アブソリュートが扉に到着する寸前に、扉のランプが白から赤に変わり、ロックがかかってしまった。

「ちっ!」

 クライシスが悪態をつき、歯をかみ締める音が聞こえる。同時に、部屋中のパイプに開いている穴という穴からさっきのカタマリが飛び出してきた。

「何だこいつら……ロックオンできない! レーダーにも映ってないぞ!」

 セイルはFCSとレーダーを確認するが、異常はない。しかし十体はいるカタマリの群れにFCSは反応せず、レーダーにはアブソリュートしか映っていなかった。

「騒ぐな! 目視でもなんとかなる!」

 アブソリュートはカタマリにスナイパーライフルを撃ち返す。こちらはロックオンできるのか、狙いをあまたずにカタマリを落としていった。セイルもチェックメイトを駆り、パルスライフルを連射するが、的が小さいだけになかなか当たらない。

 接近してブレードを振り、なんとか叩き落していくが、カタマリの群れは四方八方から次々とレーザーを連射してくる。チェックメイトの装甲は徐々に削られていった。

「くそっ、数が多い……」

 セイルが悪態をついたときチェックメイトが、いや、正確には地面が激しく揺れた。反射的にチェックメイトをステップさせる。今までいたところを赤い光弾が通り過ぎていった。

 チェックメイトを振り向かせると、そこにはACほどもある巨大なカタマリが鎮座していた。小さなカタマリと同じ緑色の体をしているが、それがいびつな楕円形をしているのに対して、この巨大なカタマリは縦に縮められた芋虫のような形だった。

「っ、反応が強い。時間は少ないか……扉のロックを外す。そいつを押さえ込め」

「え? ……おい、押さえ込めって……うおっ!」

 巨大なカタマリはプラズマ砲を放ってきた。しかも同時に2発、威力はACのそれに匹敵するだろう。セイルはチェックメイトを上下左右に激しく動かしつつ、攻撃を加えてゆく。的が大きくなった分、ロックオンできなくても攻撃は当たりやすい。しかしパルスライフルの着弾によってできる焼け焦げは、しばらくすると消えてしまっていた。

(何なんだよこいつら……装甲の自動修復? そんな事可能なのか?)

 セイルはカタマリの頭部と思われる部分に、レーザーブレードで斬りつける。今までに比べればはるかに大きな傷がついたが、それすらも見る間にふさがってしまう。

 と、突然カタマリの上部にある突起が左右に分かれて開き、中からは金属製の砲門が現れた。背筋を走る悪寒に、セイルはチェックメイトを飛びのかせる。そのすぐ横を一条に束ねられた無数のプラズマ砲弾が通り過ぎていった。それは射線上にあった小さなカタマリを巻き込みつつ進み、壁面の岩を一瞬で蒸発させて巨大な穴を開けた。

「なんて威力だ、あんなもの、ACだってひとたまりも……」

セイルはごくりとつばを飲み込む。そのとき、

「開いた! 来い!」

 クライシスの叫び声が聞こえる。セイルはカタマリに三連ロケット砲を撃ちこむと踵を返す。アブソリュートはなぜか来た時とは別の扉のところにいた。

「おい、こっちは出口じゃ……」

「いいから急げ!」

 追って来た小さなカタマリを撃ち落とし、扉を閉めた二機は全速力でパイプの上を滑る。しかし、足元のパイプに次々と穴が開き、中から何体ものカタマリが飛び出してきた。

「っ!……こいつら、パイプの中を移動して……さっきからの違和感はこの……」

「しゃべってる暇があるなら攻撃しろ!」

 アブソリュートはスナイパーライフルを連射し、チェックメイトはブレードを振り回しつつ奥へ進む。だがカタマリは倒しても倒してもパイプや壁の穴からどんどんあふれてきた。

「くそっ……キリがない。おい、なんで元の扉に行かなかったんだよ!」

 エレベーターの縦穴をブースターで昇りつつ、クライシスに呼びかけた。カタマリはそう高度が取れないらしく、登っては来なかったが、登りきった所にもカタマリが待ち構えているのが見える。

「戻るのは自殺行為だ。元の扉の向こうはすでに光点で埋まっていた」

 待ち構えているカタマリを叩き落しつつ、クライシスが答える。

「光点って……あいつらレーダーには映っていないぞ」

「お前の機体にはバイオセンサーが無いんだろう。そのせいだ」

「……! じゃあ、あいつらって……」

「レーザー発振機をもつ生体兵器かもおそらく植物だ。施設内の酸素濃度が高いのもこいつらの……っ

 縦穴を登りきり、扉を開ける。そこは今までの岩の壁とは違い、多少腐食してはいたが、金属とコンクリートでできた通路だった。そこにも多数のカタマリが待ち構えていた。

「くっそ……やっとまともな施設に辿り着いたのに…………おい、どうするんだ? このまま奥へ進んだって、逃げ場があるわけじゃ無いんだろ? 無理にでも入り口に戻った方が……」

「駄目だ。敵の数は百や二百じゃ足りなかった。あれでは物理的に通路を通れない」

「だからって、このまま進んでもしょうがないだろ? どこか、隠れられる所でも探して……?……」

 不意に何かが目に留まり、セイルはチェックメイトを停止させていた。周囲のカタマリは容赦なく攻撃してくるが、セイルは施設の壁を凝視したまま動かない。クライシスがそれに気づいて引き返してくるが、セイルはじっと壁の一点を見つめていた。と、不意にセイルはチェックメイトのミサイルポッドを起動した。

「馬鹿! 何をする気だ!」

 クライシスの静止も聞かず、セイルはミサイルを発射する。ミサイルは壁に着弾し、濃密な酸素に引火して大爆発を起こした。爆風がチェックメイトやアブソリュートの装甲を傷つけ、周囲のカタマリを吹き飛ばす。

「っ!……貴様、何を……!」

煙が晴れた時、チェックメイトが攻撃した壁には大きな穴が開き、そこからは奥に通路が延びていた。

「……当たり」

 チェックメイトは瓦礫を弾き飛ばして中に進んでいく。クライシスも、カタマリ達を牽制しながら後に続いていった。通路はやはり金属でできていたが、コケやツタはなく、ほこりをかぶっている以外は真新しいように見える。

 チェックメイトがつきあたりの扉を開いて中に入ると、そこは小さな空間になっており、カタマリや、それが出てきそうな穴はなかった。遅れてアブソリュートが滑り込んでくると、アブソリュートは扉にアクセス始める。

 やがて扉のランプが赤く変わるとこちらを向いた。途端、アブソリュートは床にひざを着いたと思うと、頭部のカメラバイザーから光が消え、体中の排熱口から蒸気を噴出し始めた。

「!? おい、どうしたんだ?」

「……問題ない。機体の負荷を、修復しているだけだ……」

「負荷って……何か深刻なダメージが?」

「問題ないと言っている……それより、ここは? 何故こんな空間に気づいた?」

「ああ、逃げているときに、壁に人間用の扉が見えたんだ。もしかしたら侵食されてない区画があるのかもしれないと思って……」

 セイルは周囲の酸素濃度が正常なのを確認すると、チェックメイトの戦闘モードを解除し、コクピットハッチを開けた。ヘルメットを脱ぐと、冷えた空気が顔に心地よい。さっきまでの戦闘で、セイルは随分汗をかいていた。

「とりあえず安全は確保出来たし、この部屋調べてみよう。手伝ってくれ」

「……ああ」

アブソリュートのコアの中央部が開き、ミラージュ社特有のシリンダー型のコクピットがスライドして外に出てきた。セイルはオートラダーで下に降り、ほこりをかぶった床に着地する。クライシスもやがてACから降りてきたが、床についた途端に崩れ落ちるように腰を下ろし、壁にもたれこんでしまった。

「どうした?だいじょうぶか?」

駆け寄ってくるセイルを手で制し、クライシスは荒い息で言った。

「大丈夫だ……すぐに息を整える……」

 クライシスはヘルメットを脱ぐと、額を手で抑えながら目を閉じた。端正な顔立ちを引きつらせ、息を整えると言うよりまるで眠気をこらえているかのように口を引き結んでいる。

ACの操縦というものは、急激な速度変化や衝撃が多く、予想以上に体力を消費するものである。レイヴンとしては華奢な体つきのクライシスは、他のレイヴンよりもそれが顕著なのかもしれない。

やがてクライシスは目を開けると、パイロットスーツについた埃を払いながら立ち上がった。

「……とりあえず、現状を確認しよう。機体の残APは?」

「……4000弱だ。余裕は無い」

「こちらは5000強……奴らと正面からやり合うには充分ではないな……」

「ああ……にしても、あの敵……生体兵器って言うのは確かなのか?」

「おそらく間違いない。キサラギ社がこの施設で開発したものだろう。ここは植物研究所に偽装した兵器工廠だった訳だ。お前の言うとおり、情報を集めよう。場合によってはミッションの途中放棄も考えておく必要がある」

クライシスはそう言いつつ頭に手を近づけ、メガネを外して顔をぬぐった。

「?……あ、おまえ、その目……」

「……ふん……いつになっても……コレはやはりいいようには見られないか……」

 眼鏡を外したクライシスの目は赤かった。だがPLUSのそれのような、見ていて気持ち悪くなるような『紅』とは違う、まるで鉄が錆びたような、暗く黒い『緋』。クライシスはポケットから出した布でメガネの水滴を取ると、顔にかけなおした。

「火星移住民?」

「ああ、世代はかなり長い」

 火星移住民旧世紀、すでに真っ当な記録も残っていないほどの昔に、テラフォーミングされた火星に移住した人たちである。火星は、大規模なテラフォーミングが行われたとはいえ、レイヤードに比べて遥かに過酷な環境であり、火星移住民達は世代を重ねるごとに急速な体質変化を遂げる。火星の赤土や弱い太陽光に順応し、赤く染まった眼はその最たるものだった。

他にも、地球人に比べて筋肉が強靭になったり、脳の機能が優れていたりする。個人差はあるものの、全体的に地球人に比べて高い身体能力を持っていた。

「そうか……もしかして、俺や奴らの動きにすばやく対応できてたのは……」

「そうだ。俺は他の人間に比べて、神経の反応速度が異常に早い。体力面で劣る俺が今までレイヴンをやってこれたのはこの能力の………………」

 不意にクライシスが口をつむぐ。セイルが怪訝そうな顔でどうしたのかとたずねると、クライシスは口元を歪めて笑みを作った。

「いや……お前は不思議な奴だと思ってな…………俺はこの通り、人付き合いがうまいタイプではない。よほど付き合いの長い奴でなければ、無意識のうちに距離を置いてしまうが……どうやらお前は例外らしい」

 そう言ってクライシスは、セイルのほうに向き直った。

「お前のおかげで助かった。正直言うと、さっきまでは無策で戦っていたからな。礼を言っておく。ありがとう、セイル」

 クライシスは手をさし伸ばして来る。セイルも立ち上がってその手を握り返した。

「ああ、こっちこそよろしく。ところで……」

「どうした?」

「いや、さっき顔見たときに気になったんだけど……お前、何歳だ?」

「……19だが、どうかしたか?」

「…………いや、何でもない」

 セイルは顔を逸らしながらそう言った。セイルは現在20歳。てっきりクライシスは年上だと思っていたが、どうやらレイヴンの能力は年齢では測れないようだった。 

 

  

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