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  仮想対談シリーズその1 では、黒部電源開発を取り上げた。今回のシリーズその2は、阿賀野川電源開発を復刻した。対談の相手は、シリーズその1と同じ、電源開発にたずさわる技術者のE 氏である。

文中の( )書きは、注釈として追記した。

阿賀野川電源開発-仮想対談シリーズその2

昭和38年(1963) 9月-記

記者:しばらくです。大分黒く焼けましたね。前回は対談の直後に黒部の全貌がNHKのテレビで放映されまして、感激も一入だったでしょう。

E 氏:長年の努力の結果が、ああして皆さんの目の前に披露できたときには、それまでの苦労がいっぺんに吹っ飛んでしまいますね。

記者:今回は北に飛んで、福島県と新潟県にまたがる阿賀野川についてお話をうかがいたいと思います。先ずは大ざっぱにかいつまんでお聞かせください。

E 氏:記者さんの一番身近な所から、まず猪苗代湖と裏磐梯3湖を中心とした発電所群ですね。わが国有数の自然の大貯水池をフルに利用して、おります。二番目が大川ラインのグループ、三番目に全国有数の大発電所を抱えた只見川、最後に以上の三つの川を合流した最下流の阿賀野川筋となります。

記者:猪苗代周辺には、ずい分多いんですね。日橋川には六つもありますし、安積疏水(あさかそすい)には、沼上、竹ノ内、丸守と三つありますね。

E 氏:安積疏水は灌漑が主目的ですね。本来ならば日本海に注ぐべき水を、太平洋に変えているわけです。これを流域変更と呼んでるんですが、その途中で200mの落差を利用して発電しているわけです。

記者:今の沼上発電所は、聞くところによると私達の会社がタッチしているそうです。歴史的にも意義のあるものだそうですが、ご存知でしょうか。

E 氏:勿論知ってますとも。電気事業にたずさわる者にとっても、建設当時は注目に値するものでした。明治32年の6月に郡山絹糸株式会社(現日東紡績)が、沼上滝の落差を利用して完成したもので、当時、300kwに過ぎなかったんですが、我国では二番目に古く、また郡山市に11,000vで送電したことは、日本最初の特別高圧長距離送電として有名なんです。

記者:結局、猪苗代の周りには、15の発電所があるんですけれども、全部あわせて30万kwですから、これに比べると只見川田子倉発電所が38万kw、奥只見が36万kwというのは大分大きいわけですね。

E 氏:阿賀野川水系といえば、すぐ只見川が浮かんでくるくらいですから、まさに電力の宝庫ですね。現在工事中のものや、計画中のものが、只見川には沢山ありますから、私達の話題も、当然そちらに移るわけですね。

記者:では大川ラインや阿賀野川下流は割愛して、一挙に只見川上流に飛びましょうか。只見川はなぜそんなに大きな発電所が出来るのでしょう。

E 氏:なんと言っても水量が豊富なことです。水量が豊富だとうことは、雨や雪が沢山降るほかに、流域面積が大きい。河川が複雑多岐にわたっているということですね。

記者:端的にいうと山が深くて大きいということでしょうね。

E 氏:そういうことです。山屋さんと開発屋とは表裏一体をなしているわけです。登山家が未開拓の山と呼んでいるところは、同時に電力の宝庫となる場合が多いんですね。そういうところは地形的に人里遠く離れている上に険しいから、登山道を開くのも困難だし、私達にしてみれば、ダムや発電所を造るのも難しいわけです。ところが戦後の復興めざましく、電力の需要が急激に伸びて、大容量の発電所の建設が急務となったんです。それと相まって、土木技術の著しい進歩、この二つが大発電所の出現をもたらしたということでしょうね。

記者:それでは国民の熱望に応えてくれた、只見川開発の歴史についてお聞かせください。

E 氏:日本はあの忌まわしい大戦でメチャクチャにやられましたね。その混乱期に一条の光となって国民の心をなぐさめてくれたのは、フジヤマのトビウオと、リンゴの歌でしょう。はばかりながら私達エンジニアもめめしくはありませんでした。
 今日の隆盛を予期して疑わなかったんです。昭和21年の夏、日本発送電(日発)が只見川の電源開発計画と調査に着手しました。それから七年、各種の計画案が比較検討された結果、昭和28年に至り、只見川本流筋の開発を主幹とする最終開発計画が決定されたわけです。この計画は只見川筋21ケ所、黒又川筋6ケ所でした。

記者:黒又側は、阿賀野川水系ではありませんね。

E 氏:ええ、信濃川水系なんです。けれども、只見川と同じ地域を水源としているので、仲間に入れときましょう。それに奥只見ダム(銀山湖)からも流域変更によって水を引いてますから、実質的にもおかしくはありませんね。

記者:只見川は名にしおう豪雪地帯ですね。奥会津の山は全山ブッシュですから積雪期でないと歩けません。浅草岳や駒ヶ岳はよく登られている山ですが、その他はまだまだ未開拓といえるんじゃないでしょうか。雪が多いというのは発電の上でも有利なんでしょうね。

E 氏:そのとおり。東洋最大の田子倉は一秒間に420トンの水を使います。そのスケールがご想像できましょうか。それから黒部と同じように、雪の被害を避けるために奥只見発電所は地下90mに作ったんです。なんといっても、雪は6mも積もる上に、雪崩れは四六時中絶え間がありませんからね。

記者:ところで只見川が一貫開発されて膨大な電力エネルギーを生み出したのは結構なんですが、尾瀬ヶ原にまで手を伸ばしたのは勇み足の感がしますね。世人がこぞって反対したのは当然で、電力側でさえ慎重論が出ているんじゃないでしょうか。あの広大な湿原を水底に埋めるなんてのは、無鉄砲の一語につきると思うんです。

E 氏:尾瀬に関しては、34,5年頃さかんに論争されました。電力三社が三つ巴となって各自の案を主張して譲らなかった。福島県と新潟県が尾瀬の水をそれぞれ自分の県に引こうとして、いがみ合ったのです。お互いに県知事や、県会議員の陳情合戦で政治的なかけ引きもあったんです。

記者:尾瀬の学術的な価値を全く無視した無茶なやり方だったと私なんかは思っているんです。中には植物の死滅を恐れていた人もいたらしいんですが、その対策たるやまるでピントが外れてますね。尾瀬の湿原植物をどこか適当な場所を選定して移植すると言うんです。雄国沼(福島県磐梯山西部の沼)も候補に挙がったらしいんですが、だいたい尾瀬とは気候的にもスケールから言っても相当無理がありますよ。あの無尽蔵の植物はとても移しきれるものじゃありません。やはり尾瀬には尾瀬の自然的特質があると思うんです。

E 氏:思えば終戦このかた長いこと論議されているんですが、いまだに結論は出ておりません。新聞なんかでもずい分騒いだことがありますが、あれはたしか35年の夏だったと思いますが、東京電力と電発から出されたダム建設案を検討するために文化財保護委員会から特別調査団が派遣されたんです。その結果、全員が条件をつけるまでもなく尾瀬はそのまゝの形で残すべきだとして強い態度に出ました。文部省と建設省がもめたりしましたが、とにかくそれまで日光国立公園の特別保護地域になっていたものを、特別天然記念物に格上げしましたね。ボーリング調査も許さなかったのです。

記者:割と一般の人達は気がつかないんですけれども、尾瀬沼などまことに神苑な佇まいという感じがするんですが、あれですら水門を作ったために、水位が上がって植物を死滅させてますからね。

E 氏:水門を作ったのは、昭和25年です。ごく小規模なもので水位は1mの上昇ですが、湖岸の樹木は多少枯れました。尾瀬は東京電力の私有地なんですが、手厚く保護するためには、国で買い上げるべきだという熱心な登山家など出たりしまして、私達もしばらく研究を続けることにしたわけです。

記者:私は尾瀬は完全に守られたものと、たかをくくっていたんですが、8月9日のNHKのニュースを聞いてびっくりしたんです。詳しい内容は分かりませんが、今まで東京、東北の両電力会社と電源開発会社との三社が別々に出していた案を、意見調整して、一つの案にまとめるそうで、来年中には具体的な結論を出すそうですね。寝ていてへそをつねられたようなもんですね。

E 氏:ええ、まあ、現在のところは企画の段階なんで、どうとも言えませんが、以前からの案とそう変らないんです。ただ尾瀬ヶ原を埋没するというのは積極的なものじゃないんです。大ざっぱには、東京電力案は、尾瀬の水を流域変更して楢俣川(群馬県の利根川支流)に落とし、発電すると共に、東京の水不足を補おうというもの。そして東北電力と、電発の案は、只見川下流の発電を増加させるためのもので、いずれにしても平滑ノ滝の上部にダムを造ることになるでしょうか。

記者:この三社は只見川調査団を編成して、六月に現地調査を行なってますね。やはり尾瀬ヶ原が焦点になったんでしょうが、私の見るところ、来年といわずこの10月には統一された案が出るような気がするんですが。

E 氏:遅くてもそうなるでしょう。私達も自然の保護ということには相当神経をつかっております。今度出す案も、一方的独断的に通そうというんじゃなくて、やはり大局的な立場から判断しますから、いずれご批判を仰ぐことになります。

記者:最後にダム建設には付き物の、観光開発についてお聞きしたいんですが。

E 氏:ダム建設の資材運送道路や鉄道は、当然、観光のために利用されます。会津線只見線などそうですね。去る8月20日にも会津川口から只見まで営業運転が開始されて、地元の人達の喜びようが報道されましたね。

記者:道路では新潟県の大湯から、奥只見の発電所まで、33kmが素晴らしいハイウェイですね。昔は枝折峠を越して銀山平や、波拝の露天風呂にあこがれて、尾瀬までの旅を続けたんでしょうが、それも今は奥只見ダムの湖底に没し去ってしまったんで、新道路の建設は当然あると思うんですが。

E 氏:まだ湖岸道路は開通しておりませんので、もっぱら水上交通でやっております。将来は全通するでしょう。栃木、群馬、新潟、福島の四県にまたがる一大観光ルートの青写真はすでに出来上がっているのです。

記者:それはどんな構想なんですか。

E 氏:日光から金精峠、菅沼、丸沼を経て、片品川に沿い、尾瀬沼に達し、これより燧ヶ岳を半周して、尾瀬ヶ原および、尾瀬ヶ原発電所に達する道路を開発して、あとは只見川の湖岸道路に結びつけるわけです。(文末-注)

記者:燧裏林道が尾瀬ヶ原の賑やかさに比べて、全くの静寂を誇っていたんですけれども、それもトラックが走るようになって、今となってはもう昔の夢でしょうか。

E 氏:人ごとのような言い方ですが、やはり時代のすう勢というものでしょう。山は岳人だけが独占すべきではないと思うんです。年寄りや身体の不自由な人達にも自然の美を味わわしてやりたいですよ。

記者:ところが、そうした観光開発をやる一方、自然を汚さないという公衆道徳の高揚に関しては、あまり力を入れてないようですね。神苑尾瀬もたちまち紙くずと空缶の山と化すような気がして心配です。
 話が主題からそれてしまいましたが、ちょうど紙数もつきましたので、またこの次お伺いいたしましょう。どうも有難うございました。

E 氏:どういたしまして、ご機嫌よう。

(終り)

<ダムの満水標高:五万分の一地形図を修正するのに便利である。>

尾瀬ヶ原       1,416.5m
大津峠950.0m
奥只見750.0m
大鳥557.0m
田子倉510.0m
内川710.0m
黒又第三600.0m
  〃 二450.0m
  〃 一335.0m

(注)
 いったんは尾瀬の近くを通る林道工事が開始された。その頃、環境庁が新しく新設されて初代の長官に大石武一氏が就任した。当時、長蔵小屋の主人であった平野長靖氏が中心になって、林道工事による自然破壊や、林道開通後の観光客による破壊を憂慮して、大石長官に工事の中止を陳情したのである。
 長官は現地を視察し、昭和46年(1971)遂に工事中止を決断したのであった。
 

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