このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

トップページ

山行記録復刻版

 登山ブームは昭和20年代後半から始まった。私は31年に社会人となり、福島県の紡績工場に就職した。そこは各種部活動が盛んで、安達太良山の集中登山が行なわれ、それに参加したのが切っ掛けで山岳部に入部した。当時は、労働運動の盛んな時期で、若い労働者のエネルギーが満ち溢れていた。芸能・音楽・スポーツ等あらゆる分野で若者が巷にグループを作って活動した時代である。
 今、登山は高年組みの世界となったが、当時は若者の世界であった。私が所属した山岳部は女性も多かったので、ロッククライミングのような危険なものではなく、非積雪期の尾根歩きが多かった。

 最近、たまたま押入れを整理していて、その頃の山岳部の部報が目にとまり、懐かしい想いで拾い読みした。そして気がついたのは、ページの随所に今となっては時代の証言的な記述が見つかったことである。我ながら興奮を覚えて読みふける結果となり、当時の記憶が連鎖的に蘇ったのである。

 もしかしたら、この部報を山好きな人に読んで貰ったら、昔を懐かしむシルバーや、昔を物珍しく覗いてくれるヤングがいるかも知れないと思ったのである。そこで復刻版としてここに紹介することにした。今でもそうだが、昔の僕は更に文章が稚拙である。いささか恥ずかしいのであるが、文献的な価値があるという気持ちが勝ったので、勇気をもってここに掲載する。

文中の( )書きは、注釈として追記した。


山岳部の部報

目次

信濃川源流 昭和27年(1952)/1959年追憶記
魚沼三山縦走記 昭和34年(1959)9月
七ヶ岳 昭和35年(1960) 8月
会津駒ヶ岳・尾瀬 昭和36年(1961)
奥鬼怒撤退記 昭和36年(1961)5月
黒部電源開発-仮想対談 昭和38年(1963) 1月
救助隊員への補償 昭和38年(1963) 3月
阿賀野川電源開発-仮想対談 昭和38年(1963) 9月

トップページ

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください