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3月8日

朝はいつも通りの起床。ただし、朝食はない。
昨日から尿をためている。
ためているといっても、今はハイテクノロジーが導入されている。
自分の名前のボタンを押すと、蓋が開き、そこへカップで受けた尿を流し込む。
蓋が自動的に閉まると、量やら比重やらを機械が勝手に調べ、
尿はためずにデータを蓄積してくれる。
おかげでトイレは尿がたまらず、臭くならない。
関心だ。

さてさて、手術は午前の2番目なのだが、1番目が長くかかるという。
時間が読めないというのはつらいねえ。

うちの両親が来て、後からヘコえもんが来た。
昼を過ぎた。
昼食を配る放送が聞こえてくる。
むなしい

そのうち、胃液を抑える注射をした。
30分後くらいに、落ち着かせる筋肉注射とほか一本。
7年前はこの肩の注射以後、すぐに眠ってしまった。

今回は、まだまだ。
きっと前のは成分に睡眠導入の薬も入っていたのだろう。
今回は、手術室で点滴で入れるとのことだった。

ストレッチャーに乗り換え、次の注射を打った。
痛い注射はこれで終わりだったが、次にもっと痛いのが待っていた。
事前に聞いてはいたが、
こんなに痛いものだとは夢にも思っていなかった。
鼻チューブ(勝手に命名)だ。
鼻から胃に向けてチューブを差し込むのだ。

まず初めに、痛さを和らげるための粘液状の薬を鼻から入れる。
「鼻水をすするように」入れるのだが、その感触はまさに青っぱな
それも、とびきりねちょ〜っとしたやつ。
ズビズビと吸い込む。
これでチューブと粘膜がこすれるのを防ぐって訳なのだろうが、
どこまで吸い込めたのか、よくわからない。
きちんと吸い込めていなければ、
これから差し込んだら痛いのがわかっているから、
不安で不安で仕方がない。
のどの方から痰状のものを感じる。
おそらくその薬なのだろう。
それを感じたらいいよ、とのことだった。
で、次はいよいよチューブだ。

体が受け付けたのはほんの数センチだけだった。
のどに達する時は、もう二度とこんな経験は嫌だと思った。
ヘルニアの手術自体が、短期間に退院できるようになったことは喜ばしかったが、
この鼻チューブのおかげで、再々手術は金輪際あり得ない。

異物を混入されると体は拒否反応を起こす。
「つばを飲み込む要領で」とはいわれるが、体は聞いてくれない。
オエッと何度言っただろうか。
体が勝手に暴れだす。
勝手に暴れるものだから、動かせちゃいけないところも動く。
で、ヘルニアの神経痛が体を襲う。
全くひどい仕打ちである。

「もう大丈夫。もう大丈夫」
と言われてからもまだまだ入れられるチューブ。
もう、なんだか、胃を通り越して肛門から出てきそうな勢いだ。

ようやく入れられたチューブは、違和感ありあり。
もう少し柔らかければ、体も受け入れたかもしれないが、
喉にストローが刺さっている感じだった。
おそらく、ストローに比べると本当はかなり柔らかいのだろうけれど、
柔らかすぎたら胃に届かない。
反対の鼻からなかなか息ができない。
口でしていると、すぐに喉が渇く。
水分ももうとっちゃいけないから、
このまま乾かしてしまってはきっとつらいと思い、
なんとか鼻で息をしようとがんばった。

準備は整った。
いよいよ出発だ。

部屋を出る。
エレベータに乗る。
ここで家族とはお別れだ。
手を振って別れの挨拶。

手術室へ一直線。
途中、麻酔科の先生から声をかけられる。
第9手術室へ入る。
執刀医の先生に声をかけられる。
カチャカチャと準備の音が周りでしている。
点滴が始まる。
その点滴に、睡眠剤入りの点滴が加えられる。

「少し痛くなりますよ〜」
の言葉通り、点滴を受ける右手が痛くなる。
冷たく感じていく。

いてて、いてて、
いててててててててててて〜!

と思っていると、急に痛くなくなった。
ただ、周りのカチャカチャという音だけが、ひっきりなしに続いている。

と思っていたら、
実はもう手術は終わっていた
このカチャカチャは、もう片付けの音に変わっていたのだった。

恐るべし、全身麻酔。

ただいま、異次元空間から帰ってきましたよ〜。
まさにタイムトリップ。

意識はかなりしっかりしていた。
7年前は、しばらくボ〜っとしていたが、今回は違っていた。
単に手術室から出るまでの時間が違うだけかもしれないけれど。

電気毛布を入れてくれていたおかげで、寒くなることもない。

事前にお願いしておいた、椎間板のホルマリン漬けももらった。
思った以上に多かった。
また、汚らしかった。

翌日、執刀医の先生に聞いた話だと、
MRIで見たよりも状況はひどかったらしい。
椎間板が膜ごとかなりの量が出て、
癒着部分にドロリと入り込んでいたのだそうだ。
もともと先生は、今の流れ同様に安静加療を勧めていた。
痛みだした時期から考えて、手術を使用ということになったのだが、
「手術しといてよかったわ。
  ほんま、ようここまで耐えてきてたなあ」

と先生。
ひょっとして、これまですごい我慢をしていたのか?

切開部分が腰にあり、仰向けに寝るのはかなり痛い。
寝返りをうとうにも、縫ったところがはがれそうで痛くていたくてたまらない。
おまけに、手術で癒着した神経をはがしていたので、
神経への刺激がかなり残っている。
今の痛みでは成功かどうか自分では全くわからない。
先生は自信満々だ。

ま、とりあえず成功だということで、父母は帰っていった。

夕食には間に合った。
その日はたまたま牛肉のステーキ。
まあ、病院食だから、たいしたものではないだろうけれど、
メニュー表に燦然と輝く「牛肉」の文字
逃したくはなかった。
術後のメニューの内容は、基本的には変わらないと聞いていた。
ただ、ご飯がおにぎりになったりと、
寝ながらでも食べられるようにしてくれているのだ。
ステーキはなんだか寂しい細切れになっていた

それよりも、ご飯がおいしい。
いい銘柄なの? それとも、味覚馬鹿?

その夜は、ナースコールを何度もした。
自分で寝返りをうてないからだ。
寝返りはいっぱい打たねばならないそうだったので、
やや痛みが続くと、ナースコール。
あっち向いたり、こっち向いたり。
上向いたり。

麻酔で手術中に眠っていたからか、
痛さで忘れていたからかはわからないけれど、眠さは不思議となかった。

点滴のつけ替えなど、すぐにいろんな対応ができるように、
足元灯(なぜか足元灯)を頭上につけてくれていたので、起きていても不安はなかった。

尿管がつながっていると、尿意も何も関係なく垂れ流されていく。
圧迫されるのか、上向きの時はなかなか流れないようで、
横に向き直したとたん、滝のごとく流れていく
足を開いたり閉じたりすると、まるでポンプのように出て行く
尿はそうやって
無制限に出て行く(点滴をしているから水分についてはほぼじゃじゃ漏れ)のだが、
ガスはなかなか出なかった。
そのうち、体内でガスが発生しているのを感じるようになってくるのだが、
体外に出て行こうとしない。
肛門括約筋はずっと閉じたままだった。
やっと出たのはかれこれ何時だったのだろう。
一度出始めたら、あとは堰を切ったようにプップカ出て行く

前の部屋で、あちこちの人がこきまくりだったのは、これか!
と思いつつ、自分だけは音を鳴らさないように、
と心がけながらプップカプップカとこいていた。

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