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3月9日

お日様はまだ上がっていなかったが、朝方、ようやく眠った。
けれど、朝起きてもそんなに寝不足感はなかった。
朝食はパン食だったので、コップに入ったスープ以外は全部食べた。

朝食後、前日分に書いた通り、執刀医の先生が来た。
結構がんばってたんだね、この体。
思い起こせば、秋頃から手を尽くしてきたもの。

鍼治療にも行ったし、整骨医も3カ所くらい回ったかな。
怪しい気功にも通った。
こういうのを、藁にもすがる思い、というのか、と思った。
けれど、ことごとく、だめだった。

改善の兆しどころか、ひどくなるばかりだった。
「二度と手術は受けるものか」
一回目の時、そう心に誓っていた。
つらい入院生活、かかる迷惑、ましてや、今回は家庭もある。
自分だけの話ではない。
なんとか短期間で、なんとか負担のないように、あらゆる情報を集めた。

うちの職場には腰痛持ちがたくさんいた。
腰痛になりやすい職業なんだ、きっと。
症状も、治療法もそれぞれ違うので、試せるものは全部試そうと思った。
忘れもしない、12月25日。
日本一のレーザー治療の実績があるという某クリニックへ。
事前にメールでのやり取りをしていて、
前回レーザーをしたことがあり、
それが効果なく切開手術に切り替えた旨を伝えると、
無理かも、という返答もいただいていた。
でも、レーザーなら日帰りもしくは一泊で終わるというのだから、
最も魅力的な手法であることには変わりはなく、
たとえ保険が効かなくて多額の治療費がかかろうとも、
行ってみようと決心したクリスマスの日。
ドキドキしながら入ったクリニック。
早速、MRIをとる。
さすが最新設備。
MRIは開放型だった。
45分くらいのMRI撮影。
その後、診断がある。
そして、その診断の結果は、
「不適応」
だった。
治療は5%のデータしかないらしい。
しかも、ヘルニアの出ているところは、前回と同じ場所。
つまり、再発である。
その日のうちに症状が改善される、
ということだけを考えて行っていただけに、ショックはかなり大きかった。
「やってもいいんですけど・・・」
5%のわらではさすがに沈むことはわかっていた。
すぐに手術に切り替えるなら、いい病院を紹介します、
とは言ってくれたが、東京で、誰もいない状況で、
入院の準備もできていないのにできる訳がない。
おまけに、そのクリニックは
1月15日でつぶれてしまうことになっていた。
「1月15日までなら、紹介状を書けます」
嬉しいやら、悲しいやら。

茫然自失で、その日のうちに帰阪した。
一応、関西で信用のおけるレーザー治療をしている病院や、
入院期間の短い内視鏡手術をしている病院を教えてもらって帰ったが、
レーザーはもはや、諦めなければならなかった。

帰ったら、年末、湯治に行こうと城崎への旅行を予定していたのだが、
運悪くコヘ太郎が高熱を出してキャンセルせざるを得なくなった。

こうして、腰痛に悩む正月を迎えたのだった。
年が明けて、再び職場の同僚から情報を集めだした。
今度は硬膜外ブロック注射
何でも、ものすごく痛いそうだが、
一発で効くよ
と言われてしまえば、その痛みには我慢するしかないじゃないか、
と、その人が行っていた整骨医に行ってお願いした。
すると、指で押さえて、
「どこ?この辺?」
という始末。
場所が分からないから注射は打てないとか。
あぜんとしながら、痛み止めの薬をもらって帰った。

しかしまた職場には別のブロック注射経験者がいたので、
ちゃんとした病院で受けようと決意。
何でも、ペインクリニックというのがあるというのだ。
で、東京のクリニックに電話をして紹介状を送ってもらい、
近くのちゃんとした病院に行ってみた。
横向きに寝て腰を丸める。
そこへ、注射針を入れる。
ズッキューーン!
激しい痛みが走る。
例えようもない。
だが、あえて例えてみよう
虫歯になって神経が丸出しになった時、
その神経を触るとズキーンと神経の付け根の方にまで痛みが走る経験があるだろうか。
その痛みが、注射を射した腰部から、神経の先、つまり左足の先にまで痛みが走るのだ。
それも、神経を圧迫したままだから、ずうーっと。
久しぶりに痛さで泣きかけた。
そこで、お医者さんが一言。
「今、まだ圧を加えているだけで薬は入っていないんだけど、どうします?」

ど、ど、ど、ど、どうしますって言われても・・・。
「これでやめてしまうか、違う、少しずれたところから薬を入れるか」
今は神経を圧迫しているその場所に射しているらしく、
そこに入れたらもっと痛くなるけれど、薬の効き目はいい。
ずらして入れると、こんなに痛くない代わりに、効き目は落ちる、というのだ。
できれば効き目を優先したいところだが、
もう、本当に耐えられない痛さなのだ。
しかたなく、ずらして入れてもらうことにした。
薬が入ると、足にしびれが出てきた。
麻酔が効いてきたということだ。
しびれが左足全体を包み込んだ時、痛みがなくなった。
おお、これでヘルニアの痛みともおさらばできるのか、
としびれが引くのを期待して待っていた。
2時間後、しびれは徐々になくなって行った。
が、なくなって行くと同時に、痛みが復活してきた。
硬膜外ブロック注射は、
一時的に痛みをしびれで隠しただけで、痛みを取ることはなかった。
これは、個人差があるので、効き目のある人はあるのだ。
今考えてみると、
この体は既にもう手術しか受け付けないひどい症状になっていたのだろう。
そこでも痛み止めの薬を出してもらい、ついに手術を決意することとなった。

今度はどこで手術をするのか、を検討しなければならない。
三たび職場のいろんな人から情報を集める。
保育園の父母からも情報を集める。
いろんな病院を紹介された。
いろんな医師も紹介された。
本当にみんな、優しい。
いい人たちに囲まれるって、幸せですなあ。

で、選んだのが今回の病院。
年間の手術例も多く、評判も高い。
紹介状を書いてくれる先生も教えてもらえた。
すべての条件が揃った訳だ。

では、いつ手術するかだ。
職場の問題、家庭の問題、保育園の問題、複雑に絡まっている。
まるで、癒着したこの体のように。

そんなことよりも、まず受診しなければ話にならない。
最近のヘルニアは、安静加療が主流だそうだからだ。
手術を決意したにもかかわらず、
受診したら安静加療で痛みに耐え続けろ、ということだったら、
痛みでもう狂ってしまいそうだった。

とりあえず、紹介状ももらってから、受診してみた。
その病院の、整形外科部長さん宛の紹介だ。
その先生は、一人ひとりを丁寧に見る先生だそうで、
なかなか受診の順番が回ってこない。
だから、いったん職場に戻って、それから再び病院に行ったこともあった。

驚いたことに、最近の入院期間は驚くほど短くなっている。
ヘルニアに至っては、術後一週間で退院するのだそうだ。
術後一日で歩かされるのだという。
これを聞いて、気持ちがかなり軽くなった。
前述した諸問題をおおむねクリアできるからだ。

先生自身もヘルニアの手術経験者で、先生の場合は3日で退院したそうだ。
院内感染などの心配が、先生の場合は職場が同じところなので無用の心配だからだそうだ。
つまり、3日後には働ける体になるということだ。

一回目の受診で手術は決まった。
日程はまだ調整がつかず、今のところでは3月の末になりそうとのことだった。
2回目の受診で、3月の8日になってしまった。
「つらそうやったから、ここに入れといたし」
とは先生の弁。
やはり人気のある先生で、その機を逃すととんでもないことになってしまう。

そうしてたどり着いた今。
えらく回想シーンが長かったけれど、
ようやくここにこぎ着けた、という安堵感は、言い表しようがない。

午前中に、血の管を抜いた。
抜いた時、管が神経に触れたのか、知覚過敏な痛みとともに、
左足太もも付け根あたりに神経痛が発生した。
発生した当初はそうでもなかったが、
時間の経過とともに徐々に痛みを増していた。
寝返りをうとうとすると、強烈な痛みを発し、
とうとう片側だけしか寝返りをうてなくなってしまった。

体を拭いてもらった。
体よりも、髪の毛をなんとかしてほしかったが、普通は体を拭くものだった。
窓際に移されたのはよかったのだけど、
カーテンをフルオープンで素っ裸にされて拭かれていたのは情けなかった。
おまけにカテーテル(尿管)はまだついたままだったし。
目の前は大きなマンションがあるのに。
ま、いっか、と思ってなされるがまま、拭かれていた。
拭いたあと、尿管を抜いてもらたった。

7年前は、そのあとも寝たきりだったので、
寝たまま尿瓶に排尿するのがなかなかできずに苦労した思い出がある。
出なかったら、再び尿管をさすというのだもの。
初めの尿管は、麻酔の効いているときだから、意識がない。
抜く時の痛さだけしか知らないが、当然入れる時の方が痛いに決まっている。
寝ている姿勢では脳が排尿指令を出さないので、必死で出したものだった。

それが今、もう歩けるのだ。
当然、立ってトイレに行ける。

こんなに嬉しいことはない。
ララァなら、わかってくれるよね。

喜び勇んでトイレに駆け込んだ。
いや、駆け込むことはできない。
歩行器でなんとか行った。
違和感のある出方。
でも、出た。
何の苦もなく、出た。
出た出た。

二度目に行った時、尿の最後に空気が出た。
何じゃこりゃ?

なんとか歩行器を使って歩くことができる。
依然すり足状態で、あげるのはちと怖い。
リハビリセンターの人が来たが、まだそれどころはない。

午前中からお昼にかけて、母が来た。
イチゴを持ってきた。

午後になると、再びリハビリセンターの人が来たが、まだ痛い。
新しく感じられるようになった左太股の痛みは、新しいだけにちときつい。

レントゲンを撮る段取りになっていたので、
リハビリセンターの人が付き添いで送ってくれた。
レントゲンの場所は、玄関近くにあるのだが、
玄関までがこれほど遠く感じたことはなかった。
座って待つのもつらいので、立って待っていた。

外来患者もいるので、人が多い。
痛いから、短時間でも長く感じる。
名前を呼ばれた時、ほっとした。

胸部レントゲンを撮るのだそうだが、
立位とはいえ歩行器を置いて立つのはとても不安定だった。
機械にあごをのせると、両手を外側に向けて挟み込まなければいけない。
あごで全体中を支える感じで、倒れるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていた。
その後、横になって腰部のレントゲンを撮る。
ベッドから立ち上がる時もベッドの上半身を起こしてから立つのに、
いきなりペタンコのところに横になるのは勇気が必要だった。

なんとか横にはなったものの、傷口が痛くて真上を向けない。
外では外来患者がたくさん待っていると思うと、
早くしなければと気持ちだけが先走る。
でも、体はいうことをきかない。

時間をかけてやっと真上からと横からの写真を撮った。
仕上がり前に、点検があったのだが、どうも立位の写真が歪んでいるらしい。
詳しく見てもらって、取り直しもあるかもしれませんと告げられた。
が、外に出てから、歪んでいるけれど、
ま、先生に大目にみてもらいましょう、ということになった。

帰りの道は一人である。
やはり足取りは重い重い。
横になると傷口よりも太股が痛い。
これ以上動かすと痛くなるぞ、というサインが出る。
まるで、もうすぐつるぞ、というサインに似ている。
つる時は一瞬快感がある(マゾ?)。
だが、この太股痛はそれがないから怖くて怖くて仕方がない。

立っている方が楽と思う時もある。
依然座れないからコンピュータは触れない。
必然的に読書かテレビ視聴、iPodのいずれかになる。
テレビは極力避けていた。
職場復帰をにらんで、普段の生活の時間帯にしか見ないことにしている。
となると、ほとんどが読書タイムになる。
ものすごい勢いで読み進む。

夕食前、ヘコえもんが職場からやって来た。
保育園のお便りや、前の晩にコヘ太郎やココ次郎がかいた絵や字を持ってきてくれる。
コヘ太郎は字に興味をもちだして、いろいろなメッセージを絵に添えてくれる。
「コヘはまいにちおとおさんがすきだよ」(泣)
なんて書かれると、涙が出てきそうになる。

会えないのは本当につらい。
体なんか壊すものじゃない。

ヘコえもんは見舞いのためにも来るが、日頃の愚痴のためにもやってくる。
話す相手がいないから、ここで思いの丈を発散させて帰って行く。
やはりそれなりにいつも通りのにぎやかさが懐かしい。

太股痛のための痛み止めの薬を夕食後に飲んだ。
これのおかげか、この日の夜は熟睡できた。
新しい部屋に来て、いびきがないのが嬉しい。
若いお兄さんは消灯後も少しだけ延長してテレビをつけていたりするが、
全く気にならない。
規則を守るのも大事とわかるが、
いびきサンドイッチ攻撃から考えると大きな問題でもないし、
そんなもんだ、と思ってしまう。
これって、テレビ世代とそうでない世代の違いなのかしら。

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