このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





そのⅥ   浜・玉造町・榎本





 TAKA様と鹿島鉄道を訪れた直後、実は家族ともこの付近に出かけている。ただし、家族には鉄道趣味などないから、「日本で二番目に大きい霞ヶ浦を見に行こう」という名目である。昼食をとった後に自宅を出発したため、日没との勝負になったが、かろうじて陽があるうち桃浦付近の浜辺に着いた。晴れわたる空のかなたに陽が沈み、細波たゆたう湖面に金色の陽光が踊るさまは、まさに絶景だった。

 一通り湖岸の風景を堪能してからは、趣味の時間である(笑)。まずは浜。一時は終点だった履歴がある駅と思えないほど、さびしい風情だ。駐車場が用意されているものの、P&Rは形だけのサービスとしか思われない。妻は南部縦貫鉄道の最末期を目にしているため、それと比べれば感動が薄い様子であったが、こどもらには新鮮な印象が伴ったようだ。

浜駅
かつては終点だった浜駅


 続いて玉造町に行く。こちらは駅員が配置され、駅舎内に軽食店もある構えの大きい駅ではあるが、常陸小川と同様「街はずれ感」が伴う立地であることは否めない。駅が地域拠点に育っていない現状こそが、鹿島鉄道の本質を鋭く示しているといえまいか。敢えて重ねて記そう。鹿島鉄道が駅を中心に新市街地を発展させるほどの影響力を持たなかった、という事実が持つ意味はきわめて重いのである。

 有力な交通拠点は、そのまま地域拠点を構成する場合が多い。例えば成田空港は、国際物流・機材整備などの「城下町」を形成している。例えば新横浜駅は、開業当時は未開発地であったが、今日では横浜の副都心となっている。例えば高速道のインターチェンジは街はずれに立地する事例が多いものの、工業・流通団地の開発とセットになっている事例もまた多い。これらと比べ、ローカル鉄道の駅が地域拠点になった事例がどれだけあるか。少なくとも筆者には思い起こすことができない。

玉造町駅
町はずれに立地する玉造町駅


 宵闇の許、石岡行キハ600 が到着する。筆者はフィルムを既に使い果たしており、撮影せずに見送るだけである。その一方、条件が厳しいにもかかわらず撮影に励む方々がまだ多数おられたのには驚いた。今日の主流デジタルカメラならば、光量不足を機械的に補正できるということなのだろうか。

 すっかり陽が沈み、真っ暗な道筋を迷いながら、榎本にも行ってみる。妻の知人に榎本出身で鉾田の高校に通った経験を持つ方がいて、メールをやりとりしながら盛り上がっていたものだから、せっかくだからと足を伸ばしてみた次第。ところが、榎本はまさに漆黒の夜の底にあり、周辺の様子がほとんどわからないのであった。かつて百里基地への航空燃料輸送を担った施設も、夜の帳の向こうにうっすら窺えるだけだ。なお、榎本は玉造工高の最寄駅でもある。

 石岡行KR-503がやってくる。電飾が施されている車両で、造作としては面白いものの、 4歳の娘は容赦なく「変な電車!」と言い切った。もっとも、冷静に考えればその通りというしかなく、夜間の見た目が少々楽しくなるだけで、サービスの本質にはなんら変わる点がないのは苦しい。所詮は表面のみをいじる弥縫策でしなかい、としては酷評にすぎるだろうか。

榎本駅
榎本駅全景(鉄条網に囲まれた航空燃料荷役設備が見える)





先に進む

元に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください