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そのⅦ   小川高校下(キハ431)鉾田(後編)





 霞ヶ浦と北浦を画す尾根状の台地の上、鉾田行キハ431 は起伏の多い道筋を進んでいく。縦揺れは厳しさを増すばかりだ。筆者は船・自動車・飛行機酔いをそれぞれ経験した一方、鉄道酔いになった経験皆無というのが秘かな自慢であるが、今日ばかりは酔ってしまうと半ば覚悟しかけたほどである。あと10分余計に乗っていたら、確実に酔っていたところだ。

 借宿前はかつてMATT(現在廃刊)の表紙を飾ったことがある、まるで「秘境駅」のような趣の小駅だ。乗降はなく、淡々と進んでいく。車内に利用者の姿は少なく、その大部分がお名残乗車と思われる。日常の利用者はほんの数名しかいない。

キハ431
鉾田間近のキハ431車内


 巴川は曲線上に立地する交換駅である。上り線が曲線内側に分岐する構内配線はかなり強引で、何故かくも無理な設計となったのか理解に苦しむ。もっと楽に配線できる立地を選べたはずではないか。重箱の隅をつつくような記述を繰り返して恐縮だが、鹿島鉄道の至るところに引っ掛かる点があったことは、どうにも否定のしようがないのである。

 北浦湖畔の平野部に入り坂戸を過ぎれば、終点鉾田に到着する。やはりというべきか、鉾田もまた「街はずれ感」が伴う立地だ。駅前のコンビニエンスストア、バスターミナル内の軽食屋、いずれも廃業している状況はあまりにもさびしい。鉾田駅舎内には蕎麦屋と鯛焼屋があり、かろうじて賑わい感をとどめているものの、駅周辺の雰囲気を塗り替えるまでには至らない。折り返し石岡行にはそれなりの乗車があった一方で、記念撮影だけで引き上げる一団もあって、所詮はお名残乗車にすぎないのではないかと疑いたくもなる。なお、鉾田は鉾田一高・鉾田二高の最寄駅でもある。

 鹿島鉄道全線を乗り通してみたところで、なにを目的としてこの鉄道がつくられたのか、まったく見えてこなかった。存続を求めて中高生がどれほど努力したところで、そもそも鹿島鉄道に社会的価値がなければ、蟷螂の斧に等しい。ただし、以上はあくまでも私見に基づく予断にすぎない。茨城の民営鉄道史に関しては中川浩一先生が優れた研究を著しておられるので、これを読み直せば見解を修正する必要に迫られるかもしれない。もっとも、見解修正に至ればむしろ幸いというべきであって、おそらくはそうなるまいというのが、現在の悲しい直感である。

鉾田駅
鉾田駅で折返し石岡行に乗りこむ利用者





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