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続・交通は地図を変える
激甚災害も地図を変える
■讀賣新聞平成24(2012)年 3月 2日付記事より引用
「近い」中学の選択目立つ
今春の私立中学入試は、首都圏では何といっても「近い」学校の選択だった。東日本大震災の影響で、保護者の安全安心志向が端的に表れた。首都圏全域から広く優秀な児童が集まる有名難関校ほど影響は大きかったようだ。例えば早慶の付属や麻布、武蔵などでの難関校での大幅な受験者数の減少は、そう説明すると理解しやすい。
もっとも、これらの有名難関校の多くは、もともとの倍率が3〜4倍以上と高く、前年比10〜15%の受験者数減でも 2倍強〜 3倍台の実倍率を維持している。(中略)
……
親の中学受験熱は、数年前に比べて沈静化したかもしれないが、中核層については、私学への期待が全く衰えていない。その背景には多様な私学の存在があるという事実の重さに、改めて勇気づけられる。
「森上展安の合格知恵袋46」より
■大震災後の心理も学校の勢力圏を変える
十周年記念記事
では「交通インフラが変える学校の勢力圏」と記した。それから二年が経ち、今後はメトロ副都心線全通(東急直通)や東北縦貫線開業が交通地図を変えるかな、とうっすら考えていた。
状況は大きく変わった。原因はいうまでもない、平成23(2011)年 3月11日に発生した東日本大震災である。この日付は平成22年度の最も遅い時期にあたる。中学受験でいえば、進学先が確定し、入学準備真っ最中という段階だ。在籍している小学校の卒業式も目前に迫った、季節の変わり目にあたる。そのため、中学受験においては、大震災の影響は一年経った今になって初めて顕在化した。
森上展安の分析は的確であると筆者は考えている。ただし、森上分析がいくら正しくとも、紹介のしかたによっては塵芥に帰してしまう例がある。引用した讀賣新聞はきわめて正当な紹介をしている一方、例えば週刊ダイヤモンドでは「早慶の付属や麻布、武蔵などでの難関校での大幅な受験者数の減少」や全体の受験者数減少(中下位校での定員割れ)という部分のみをとらえ「中学受験バブル崩壊」などと実状から懸絶した記事を仕立てている。同じ森上分析を基礎にしながら、讀賣新聞は読者のニーズに真摯に応えようとしているのに対し、週刊ダイヤモンドはそうではないと見てとれる。
余談は措くとして、「近い」学校志向は確実に存在する。一例として挙げれば、日能研から輩出した93名の開成合格者のうち、半数を超える47名が同校に進学しなかったという。ではどの学校を進学先に選んだかといえば、筑波大附属駒場(10名)栄光(5名) その他と続くというのだ(首都圏入試分析ブック2012)。解説文から類推すれば、主に神奈川県在住の生徒が、開成より通いやすい「近い」学校を選択した結果と思われる。
この日能研での結果を見て、偏差値序列だけにとらわれていない学校選択がされている現実に、安心するのは独り筆者だけではあるまい。中学受験の中核層は本質的に「我が子」「我が家」に合致する学校を求めている。その要素の一つとして「通学時間の短さ」が急浮上してきた、それが大震災以後の変化といえよう。
我が家においても、「あまり遠くの学校には通わせられない」というのが実感である。個人レベルで見れば、大震災のような激甚災害よりもむしろ、発熱など急病を発する可能性の方が高い。その際に、地理的に遠い学校では、本人が自力で帰宅するのも、保護者の我々が迎えに行くのも、それぞれ大変という事態になりかねない。
激甚災害対策は学校側でも努力を払っている。筆者が平成22年度中に参加した学校説明会で、激甚災害対応に触れた学校は一つもなかった。ところが、平成23年度中に参加した学校説明会では、大部分の学校がなんらかの形で激甚災害対応に言及したのである。私立中学では既に「次なる激甚災害」への準備が始まっている。
なかでも筆者が「素晴らしい」と感じたのは、エレベーターに非常用食糧と簡易トイレを常備して、大地震時の閉じこめに対応しようという某女子中である。激甚災害に備えた生徒への配慮もまた、学校選択の一つの指標になりうるところだ。
………
以上は中学受験における変化である。ほかにも住宅供給において、大震災で浦安などで液状化被害が多発した状況から、湾岸部の人気が落ち、かわって神奈川〜多摩地区の人気が上がってきた、という話もある。住宅供給は、もともと供給過剰でしかも都心回帰傾向があるなかで、さらに変数が増え、複雑な様相を示しつつある。
大震災などの激甚災害は、あくまでもニュートラルな自然現象にすぎない。どれほどの大地震が起きようと、そこが無人の大地であるならば、人間心理には影響しない。人間が住む場所で起こるからこそ、大地震は「災害」となり、「大震災」と銘されるのだ。それゆえ、激甚災害は人間心理に影響を及ぼし、神罰にも天啓にもなりうる。
東日本大震災以来、日本人が記事を書く場合、その冒頭で大震災に触れることが多い。これは大震災のトラウマによるものとはいいきれない。相当数の日本人は、近々「次なる激甚災害」が発生すると予感しているがゆえではないか。少なくとも筆者は確信しているし、確信するに足る材料は数多い。これについては、機会を見て再論しよう。
今年の中学受験では、東日本大震災に関わる問題が大量に出題されたという。某校社会では全問大震災関連という出題がされたと伝え聞く。東日本大震災が、それほど深く日本人の心を穿ち、かつ将来に備えるべき取り組みとなった傍証の一つといえる。
激甚災害は過去に何度もあった。しかし、大多数の日本人にとっては「他人事」にすぎなかった。東日本大震災は、万余の犠牲者を出すだけにとどまらず、千万人単位の日本人に激甚災害を「自分事」として認識させる契機となった意味においても、稀有な激甚災害になった。
表題に掲げたように「交通は地図を変える」のである。しかし、同じものであっても、人間心理が変わってしまうと、別の意味や価値を備える場合がある。交通ネットワークもまた然り。「湘南新宿ラインで渋谷に行きやすくなったから●●中を志望しよう」だったのが、「湘南新宿ラインで渋谷に行きやすくなったが激甚災害時には徒歩で帰れないから●●中は外しておこう」と、評価の視点が一変する可能性がある。勿論、既往の評価軸を変えない層も存在するから、世の価値観はどんどん複雑多様化していく一方だ。
以上までの意味において、ここ数年は「激甚災害も地図を変える」時代、より正確には「近い将来起こる激甚災害の予感も地図を変える」時代になったともいえよう。なんとも嫌な時代になったものだが、日本に住む以上は覚悟を決め「次なる激甚災害」に対応する準備を進めるしかあるまい。
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