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【六周年記念記事】〜〜「志学館」アクセスランキング





■まえがき

 平素より拙「以久科鉄道志学館」を御愛読頂き、ありがとうございます。おかげさまで開設以来六周年を迎えることが出来ました。アクセスカウンターは実に八万に達しました。堅い記事だらけなのによくこれだけ読んで頂けるものだと、記事を書く側ながら感心すること大であります。

 今年は筆者にとって、公私ともにさまざまな意味における節目の歳となっております。そこで、「志学館」においてもこの六年を顧みる記事として、このアクセスランキングを提供します。「志学館」ではどのような記事が読まれているのか、という情報の開示は、この「志学館」の性格を明らかにするものになるかもしれません。「志学館」基幹記事のレビューを兼ねて、紹介するものです。

 各記事のアクセス数は、ジオシティーズの移行に伴う機能追加により初めて計測可能となったので、平成16(2004)年10月以降の数字(のべ21ヶ月間)です。よって、開設からみて後半三割ほどの期間における集計ということになります。複数ページが存在する記事では、(中表紙を除く)最大のアクセス数を採っております。

 さあ、どんな記事と数字が出てくるか。御笑覧ください。





【第一位】 「のぞみ」シフトを検証する (7000アクセス超)

 筆者にとって最も強い自負と自信があり、かつアクセス数が最も多い、名実とも揃った「志学館」の看板記事といえる。確度の高い統計資料を基礎とし、新発見が伴ったという意味において、「志学館」随一の質の高さがあると考えている。そういう記事が最も高い読者諸賢からの支持(≒アクセス数)を得ているという事実は、おおいにありがたいし、かつ素直にうれしい。

 アクセス数は第二位の倍以上に達している。計測期間から判断すれば、表紙アクセス数のうち約二割がこの記事を読んでいることになる。ジオシティーズの解析能力では充分な情報が得られないが、月によりアクセス数の変動が極端に大きいことから、掲示板サイトなどに個別記事のリンクを張られることがあると推測される。なんにせよ、読んで頂けることじたいはありがたいことだ。

 ちなみに、この記事は某趣味誌に内容を模倣された履歴がある。かろうじて丸ごと複写という体裁ではなかったため、著作権侵害を指弾できるレベルではなかったが、先行記事はあくまでも当方であることはこの機会に強調しておきたい。

 神戸空港が開港し、航空がさらに攻勢を強めるなか、データを更新した続編を出す必要を感じつつある。すぐには難しいとしても、いつか必ず書くので、御期待ください。


【第二位】 新幹線でスキーに行ってみる〜〜ガーラ湯沢15年ぶり体験記 (3000アクセス超)

 私的経験を強引に交通論的にまとめた記事だったので、第二位につけたのは極めて意外だった(苦笑)。ただし、理由はすぐわかった。昨年12月〜今年 2月、即ちスキーのハイシーズンに、「ガーラ湯沢」をキーワードとした検索で、かなり上位につけたことに起因するらしい。どうやら手頃なゲレンデガイドとなったようだ。筆者の意図を大幅に超えたという意味において、うれしい誤算。


【第三位】 わずか2区間3駅 4.5km〜〜関東鉄道龍ヶ崎線 (3000アクセス超)

 この記事も一日散歩をまとめたライトなものだったので、第三位というのは極めて意外だった(苦笑)。旧字体の「龍ヶ崎線」で検索すると、検索エンジンによっては最上位に出てくることが最大の理由であろう。表紙からではなく、検索から読まれるという意味において、第二位と同じ特性を持つ。


【第四位】 トンネルを抜けた将来(さき)に (2000アクセス超)

 それなり以上の思い入れがあるとはいえ、特段の調査をしていない実体験に基づく記事なので、これほど上位につけるというのは意外だった。やはり北海道新幹線着工が追い風になったのだろうか。その後、写真を撮りに行っているので、折を見て充実させたい。


【第五位】 すでに秋風吹く細道〜〜ちほく高原鉄道 (1500アクセス超)

 足寄−愛冠間及び陸別−分線間を歩くなどした現地踏査に加え、定量的分析を提供した、思い入れの深い記事。そのような記事が多くの方に読まれるというのは、第一位と同様、素直にありがたい。ただし、ちほく高原鉄道の廃止によってアクセスが伸びた面があるので、いささか感傷も伴う。沿線の雰囲気が良かっただけに、残念だ。

 続編の「 夜行オホーツク&ちほく高原鉄道最後の冬 」「 石北本線はなぜ高速化されないのか? 」もそれなり以上に読まれており、今後とも基幹記事になるかもしれない。


【第六位】 川越線いまむかし (1500アクセス超)

 紀行文、というより「読みもの」として書いた記事の筆頭格。味のある文章を書けたという自負はあるし、また偶然撮れた最後の写真が効いているとも思う。多くの方に読んで頂けるのはありがたいものの、この記事だけに関していえば、いささか照れくさかったりする(謎笑)。


【第七位】 在来線の黄金時代〜〜東北本線上野−大宮間 (1500アクセス超)

 この「志学館」ではむしろ少数派の、鉄道趣味色が濃い記事。約30年前の写真集ということで、懐古的に読まれているのだろうか。一時はもっと上位にいたこともあり、根強く息長く読まれるという意味においてありがたい記事。


【第八位】 ローカル鉄道の本質 (1500アクセス超)

 筆者はこの記事を書くために「志学館」を始めた、と言い切ってもよいほどの思い入れがある記事。現代的観点からすれば成り立つはずのないローカル鉄道が多々つくられたのはなぜか、当時の社会的状況と、鉄道の物理的機械的特性からアプローチした。ただし、残念ながら、立論の主要な部分を仮定に依ったままとなっている弱さがある。これを立証するだけの能力(と時間)は、残念ながら今の筆者にはない。

 子記事の「 『昭和史』につながる鉄道史として 」、元記事「 鉄道は衰退したのか?〜〜信州の鉄道を例として 」「 『鉄道衰退説』再論 」もそれぞれ上位につけており、読者諸賢の関心の高さがうかがえ、書く側としてもおおいに心強かった。


【第九位】 札沼線〜〜刹疎と颯爽の二面性 (1500アクセス超)

 いわば「見てある記」をそのまま記事にしたものなので、これだけのアクセス数があると、正直なところ面映ゆい。札沼線を採り上げた記事など世の中には少数派であろうから、それゆえ読まれているのだろうか。新十津川から札幌に近づくアプローチは、あまり類例がないと思われ、その点は胸を張れる。


【第十位】 中古車市場にも世代交代の波〜〜長野電鉄8500系 (1500アクセス超)

 速報(ニュース)が読まれ続けているという意味で稀有な記事。長野電鉄に対する関心がさして高くないことは関連記事のアクセス数から読みとれるので、東急8500系への関心が高いことに起因すると判断できる。個人的には嫌いな車両なので、複雑な思いもないではないが、地方鉄道の車両更新が進むことじたいは好ましい。




【次点】 過渡期のスタイル〜〜改造気動車特急「エーデル」シリーズ (1000アクセス超)

 車両論における筆頭格の記事。この記事を書くことによって、自分なりの車両技術観を展開できるようになった。搦め手から書いた「 『悪魔のハンマー』で示されたアイディアが現実に!〜〜DMVの登場 」はいわば派生記事、「 夜行寝台列車衰勢に示される鉄道の構造的課題 」なども展論の一つだ。現時点での車両観の集大成は、「 長距離電車略史〜〜『湘南電車』と新幹線 」にまとめてある。


【次々点】 長い長いトンネルの先に〜〜北神急行 (1000アクセス超)

 この記事は、鉄道ごとの略史のなかで最もアクセス数が多かった。内容的には「 生まれ変わる悩み〜〜能勢電鉄に見る近代化投資の重さ 」、そして「 鉄道経営の課題〜〜北大阪急行略史 」の方がすぐれていると思うが、読みやすさではこの記事が勝っているだろう。北神急行に関する記事が少なく、検索にかかりやすいことも、アクセスが伸びた一因か。






 以上まで見渡してみると、意外な記事も食いこんでいるものの、筆者の思い入れが強い記事は概ね上位に入っている。筆者の思いと読者諸賢のニーズがマッチしているといえ、幸せなありがたい関係だと実感する。このほかの特筆したい記事としては、以下の一編を挙げておこう。



【第二十六位】 ローカル鉄道の典型〜〜茨城交通茨城線 (900アクセス超)

 偶然にも船橋市立図書館で「茨城交通株式会社三十年史」を見つけたことを契機として手がけた記事。実は筆者は現地に行ったことがない。勿論、現地調査が出来るのであればそれに越したことはないとしても、質の高い参考文献があれば相応の記事は書けることを実証したかった。推理小説でいう「アーム・チェア」を狙ったもので、筆者自身の力試しでもあった。また、結果的には「 ローカル鉄道の本質 」の底流になっており、「志学館」のターニング・ポイントとなった。対象が地味かつローカルなので、最上位にこそつけていないものの、相応以上のアクセスがあるのは素直にうれしい。

 もう一点いえば、正史に書かれた記述と事実関係との間には齟齬があることが判明し、どのように内容を編むか呻吟した記事でもある。そのため、「志学館」では唯一、改稿版を著す記事となった。同時に、JTB「廃線跡」シリーズの内容には粗が多すぎることを発見するきっかけになった。同シリーズは既に「古典」の域にある。一部著者による記事は丹念に記されており、資料価値が高い部分もあることはしっかり認めなければならない。その一方で、思いこみや推測をあたかも「史実」であるかのように記す著者が多く、問題のある記述が随所にあることも確かなのだ。同シリーズに対しては個別の記事ごとに公平な評価が必要であろう。






 最後に、アクセス数がまったく伸びていない記事を挙げておこう。全般的には、信州・北海道関連を中心としたローカルな記事が読まれていない傾向にある。海外の記事も同様で、「 あかるくのどかな汽車旅〜〜タイ国鉄南東線 」などが読まれないのは対象があまりにもマイナーだから仕方ないかと諦めもつく。しかしながら、思い入れが深く、自分では基幹記事の一つと信じこんでいた記事が読まれていないと、さすがにめげる。以下にその一編を紹介する。



【最下位から第十二位】 グルノーブルへの旅 (100アクセス超)

 偶然グルノーブルへ行く機会があったことから書き上げた記事。体験記と紀行文を折衷したような記事にあしらったものの、実質的には論説記事に近いレベルにしたつもりだ。それというのも、自分のLRT観が大幅に転換してしまったからだ。それゆえに思い入れが深くなっている。茨城鉄道の記事とは矛盾する表現になるが、現地に行ってみて初めてわかることもある、と痛感したものだ。そういう記事がぜんぜん読まれていないというのは、さびしいものだ。「志学館」最初期の記事ゆえに既に飽きられた、ということならばまだしも納得できるのだが(苦笑)。




 読まれている記事、読まれていない記事、いろいろな記事があるものの、ともあれ今後とも「以久科鉄道志学館」を御愛読頂ければ幸いです。







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