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私の好きなインドネシアインドネシア社会科教科書「第二次世界大戦」  2010年4月17日更新

第2章 第二次世界大戦とそのインドネシアへの影響

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A. ヨーロッパ大陸...B. 太平洋戦争...C. 第二次世界大戦終結...D. 日本の...更新記録

2008年8月5日追加↓

A. ヨーロッパ大陸での第二次世界大戦

既に述べたように、1939年9月1日ドイツはポーランドを攻撃した。この攻撃が第二次世界大戦の開始を告げるものだった。ドイツのポーランド占領はソビエト連邦にとって脅威であった。そのため、ソビエト連邦はポーランドを東側から攻撃したのだ。ソビエト連邦が[ポーランドを]攻撃した目的は、ドイツの脅威、つまりドイツ軍のポーランド東側領土への侵攻をせき止めることであった。結局のところ、ポーランドはドイツとソビエト連邦に占領された。一方、イギリスとフランスは、1939年9月3日ドイツに宣戦布告していたとはいえ、ポーランドを助ける余裕はなかった。

1940年5月10日、ドイツはオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを攻撃した。(図2.1:西部戦線でのドイツの攻勢 を参照のこと)1940年6月上旬、この攻撃はセダン[*1]の町を通してフランスへと継続された。(図2.2を参照のこと)南北から攻撃されたフランスは、ドイツの攻撃を防ぐことが出来なかった。そのため、ド・ゴール将軍はイギリスへ逃れ、ロンドンで亡命政府[*5]を形成した。

<図2.1 西部戦線でのドイツの戦略:ベルギー、オランダ、ルクセンブルク攻撃のため、中央部に配置されたA軍集団[*2]、北部に配置されたB軍集団、南部に配置されたC軍集団という具合に、3つの陸軍部隊の配置に注目すること。>[*3]

ドイツは西部戦線での戦いを継続し、イギリスを攻撃した。しかし、イギリスを支配するというドイツの目論見は失敗に終った。なぜなら、(1) イギリスの領土はヨーロッパ大陸から分離されており、その結果ドイツは直接イギリスを攻撃できなかった、(2) イギリスはヨーロッパ大陸諸国よりも強力な軍隊を保有していた、(3) そしてイギリスはアメリカ合衆国から軍事援助を得ていたからである。このような状態に対し、1940年9月27日ドイツはイタリア及び日本と軍事防衛条約[*4]を締結した。それは、いずれか一つの国が他国から攻撃された場合、相互に援助するという合意内容を含んでいた。

<図2.2 西部戦線でのドイツの攻撃:西ヨーロッパ南部へ向けてドイツが行った攻撃がはっきりと分かる。ドイツの攻撃の目標はフランスだった。>[*3]

[訳注]

※[ ]内は、訳者が追加。他方、( )内は原文に元からある注。

*1:セダン。原文「Sedan」。どこにあるのか不明。継続調査。

*2:A軍集団。原文「Group A」。以下同様に「Group B」「Group C」。なぜか英語表記です。ドイツの電撃戦におけるA・B・Cグループについては、「A軍集団」「B軍集団」「C軍集団」という呼称が一般的なようですでの、ここではそれに従いました。

*3:図について。この教科書に掲載されている地図は、滲み(ブレ?)が酷く判読困難です。

*4:軍事防衛条約。いわゆる「日独伊三国軍事同盟」のことです。

*5:亡命政府。いわゆるド・ゴールの「自由フランス」と呼ばれる亡命政権です。

2008年8月8日追加↓

西部戦線の他、ヨーロッパではドイツとソビエト連邦の国境地域で東部戦線の戦いが発生した。1941年6月22日、ドイツはソビエト連邦支配を目的として東方への攻撃を開始した。(図2.3を参照のこと)この東方への攻撃により、ドイツは非常に不利な状態となった。なぜなら、ソビエト連邦とフランス及びイギリスとの関係をより近いものとしてしまい、ドイツの敵対勢力をより強大なものとしたからである。

<図2.3 東部戦線の戦い:ドイツが東方諸国へ行った攻撃を示す。ドイツの第一目標はソビエト連邦だった。しかし、ソビエト連邦も黙ってはおらず、西方への攻撃を加えたのである。>

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