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MUSEUM PERUMUSAN NASKAH PROKLAMASI
インドネシア独立宣言文起草博物館

所在地:Jalan Imam Bojol No.1 Jakarta Pusat 10310 Tel. 3144743 Fax. 3924259
博物館:正面

由来
1945年8月17日、インドネシアの独立がスカルノ&ハッタによって宣言されました。その宣言文を起草した家が現在の博物館となっています。その家は当時インドネシアを占領していた日本軍の軍人(日本海軍 前田 精(タダシ) 少将)が居住していた邸宅でした。同少将はインドネシア独立に理解を示し、普段から同小将の邸宅をインドネシア独立を願う人たちに使用させていたとのこと。
なお、同小将の名前は、インドネシア教科書や歴史書によく登場しているらしく、インドネシア人の間ではよく知られているそうです。

情報ソース
  The legacy of Maeda's residence
 2000年10月7日付け The Jakarta Post 記事
  この記事の日本語訳 を作成しました。(2007年7月15日追加/2008年5月15日更新)

インドネシアの歴史教科書(2007/04/21追記)
最近、SMA(高等学校)3年生用の歴史教科書「 Sejarah Naional dan Umum 」(Bumi Aksara社刊。2004年版)を読んでいますが、前田少将についての記述が全くありません。しかし、知人のインドネシア人留学生(男性。30歳くらい)に「前田提督を知っているか?」と聞いたところ、「前田提督は知ってるよ。学校の授業でならった」と話していた。そのうち、他の出版社の教科書も見ることにしたい。

▼▼▼2008/03/02追記▼▼▼
SMP(中学校)2年生向けの社会科教科書を読んだところ、前田少将が登場しています。教科書によって扱いが異なるのかもしれません。
「IPS TERPADU」(インドネシア独立準備の過程)
日本の敗戦(1945/08/15)からインドネシア独立宣言(1945/08/17)までをかなり克明に記述しています。こういった内容になると、前田少将についての記述を省くことは不可能だと思われます。上で紹介した高等学校向け歴史教科書では、独立宣言前後の動きについてはごく簡単にしか触れていませんでしたので。
▲▲▲2008/03/02追記▲▲▲

館内展示
2階建ての洋館です。
1階は、スカルノ&ハッタ他が独立宣言文を起草した部屋、清書用のタイプライタールーム、宣言文の下書き(コピー)など。
2階には、日本軍占領下の様子やオランダとの独立戦争時の写真などが展示されています。
独立宣言文草稿
独立宣言文草稿
1945年8月17日の早朝、スカルノが宣言文を作成。(ハッタ及びアーマド・スバルジョが助言)
草稿の拡大写真

独立宣言

我々、インドネシア人民は、
ここにインドネシアの独立を宣言する。
権力及びその他の委譲に関する事柄は、
完全且つ出来るだけ迅速に行われる。

ジャカルタ、1945年8月17日( *1 )
インドネシア人民を代表して

スカルノ−ハッタ

『Jalan Pegangsaan Timur 58 で読み上げられたこの独立宣言文は、全国で数千人のインドネシア人にも聴かれていた。これは、日本の管理下にあったジャカルタ放送局の装置を、インドネシア人スタッフが秘密裏に利用して宣言文を放送したためであった。また、英訳された独立宣言は、海外へ放送された。(「 インドネシアの体制と歴史 」インドネシア共和国外務省編から)』

*1 :独立宣言文が読み上げられた当時は西暦ではなく日本の紀元(皇紀)を使っており、「2605年8月17日」となっていた。日本占領下のインドネシアでは、皇紀の使用・東京時間の採用(これはジャワだけ?)をはじめとした排蘭(脱西欧)政策が行われていた。(参考: オランダ領東インドの日本軍占領とインドネシアの独立
なお、現在のインドネシアでは、このあたりの歴史記述は全て西暦に統一されている。


タイプライター
タイプライター
独立宣言文の清書に使われたタイプライター。後ろの胸像は宣言文をタイプしたSayuti Melik。
タイプライターはナチス・ドイツからの拝借品?(2007/04/21追記)
 上のタイプライターは、当時ジャカルタにまだ存在していたドイツ海軍事務所から借り出したものらしい。独立宣言文(案)のメモを清書するためのタイプライター(アルファベット文字のあるタイプ)が前田少将邸にないため、三島秘書官(*1)の自動車を使ってドイツ海軍事務所へ借りに行ったと次の記事ある。
  Peperangan Hanya Membawa Kesia-siaan (Pikiran Rakyat紙)
 もし、今度行く機会があったら、このタイプライターにウムラウトやエスツェットのキーがあるか、確認しておきたい。(まだドイツ語のタイプライターの実物を見たことはないが。。。)
 さて、ジャカルタに駐在する日本海軍代表者が英文タイプライターを保有していないとは、ちょっと信じられない。同少将の邸宅に置いていなかったのかもしれないが、海軍の事務所にはなかったのだろうか? ともあれ、これでドイツもインドネシア独立宣言への功労者に仲間入りか?

▼▼▼2008/05/15追記▼▼▼
*1:原文"sekretarisnya Laksamana Maeda, Satzuki Mishima"となってます。三島サツキは前田邸住み込みの家政婦でした。「“証言 インドネシア独立革命” 西嶋 重忠 著。新人物往来社(1975) p.221」
▲▲▲2008/05/15追記▲▲▲
新聞
独立宣言を報道する新聞
Soeara Asia(アジアの声)紙(2605.08.18付け:日付は皇紀を使用。上記の注 *1 を参照のこと)
独立宣言後
8月17日の独立宣言に続き、翌18日には「インドネシア共和国憲法」が公布されます。
参考ページ: インドネシア共和国憲法
補足情報
会館時間火曜日~木曜日08:30-14:30
金曜日08:30-11:00
13:00-15:00
土曜日・日曜日08:30-14:30
月曜日・祝日閉館

訪問日:2000年11月11日(土)

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2008年05月15日更新



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