このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


気がつくと進行方向が変わっている。目が覚めたら4:08。どうやら路面がぬれているらしい。前方からの音楽がうるさい。(大陸系のゆったりした音楽であった)
↓ホームに留置中のキハ52 以前は白と緑の装いであった ↓夜明け前の糸魚川駅
200843.jpg.jpg2008431.jpg.jpg
糸魚川で予定通り下車。さて地形図で目星をつけたところへ向っていく。しかし着いてみて落胆。河畔林が貧弱で倒木が無い!これでは来た意味がなくなってしまうので、もうチョイ遡ってみる。橋を超えた所には倒木が多数あり、期待できる。1本目に手をつけていると、地元のおばさんに話しかけられる。マイマイカブリはご存知ではないようだ。

さて、結果はどうなったかというと、音沙汰なし。倒木が多々あるとはいっても、あまりよろしい状態ではなく、だのにハラビロアカコメツキは随分沢山見られた。クワガタの幼虫も普段よりも確認できた。総じてゴミムシの種類は少ない。また、出てくるものも関東でもおなじみのヤツらが多い。

とりあえずコアオは早々と諦めて、ヒスイ探しに転じる。私が最初に糸魚川を訪れたのは中2の夏であるが、当時の主たる目的は海岸でのヒスイ採集だというのだから(他の場所で昆虫採集ももちろんしていたが)この余った時間を有効に使わねば。1つ、1kgくらいで私のイメージするヒスイの状態に近い石を採取。頼むから本物であって欲しい。でないと、ただでさえ重い荷物なのに余計なものを運んでいるとすれば...

それにしても土手一帯はものすごい数のツクシで覆われている。六郷土手ではまずありえない光景が、ここではそこかしこに当たり前のように存在する。いや、田舎っていいなぁと思える風景でもある。ただ、川の周りは里山という感じはしない。急流が一気に山肌を削ったが如し。

予定より一つ先の頸城大野から乗車することになる。無人駅とはなっているものの、S9年建設の駅舎が現役だ。待合室でおにぎりとチョコ、八つ橋の和洋折衷とはいいがたいカオスな朝食をとり、ノートに旅行の感想を逐一メモする。その時、火災が発生したので消防団の出動を要請する放送が入った。いやこんな放送を聴くのは初めてだ。備え付けてあった駅ノートにも記入。”日比谷動物園”というペンネームを使わせてもらう(2年生のクラスにはどんなあだ名がつけられるのだろうか)
↓頸城大野駅舎 歴史を感じさせる佇まい          ↓上り列車 乗客は数名
2008432.jpg.jpg2008434.jpg.jpg
大野で乗ったキハ52(朝糸魚川で撮影した車両)の車内は、3名のおばあちゃんのみ。シーズン中はML信州をつかった18キッパーでにぎわうこの車内も、オフシーズンの日常光景はこんなものだ(ちなみに、少し前に平岩発の列車が通り、撮影したのだが乗客はゼロ!もう少し早く採集を切り上げていれば乗れたのに...)1BOX余裕で占領し、しばし車窓に目をやる。ディーゼルエンジンの響きが心地よい。

糸魚川で乗り換えた電車は419系。583ゆずりの原型顔だが、3度北陸本線に乗車してきて未だにこの形式にしか乗車できていないのは少し残念。新型に置き換えられる前にぜひとも475・453系に乗っておきたい。これらの中には45年選手もいるというから驚きだ。

水橋に向うまでに、英語の春季課題をする。しばし日本海の絶景に見とれる。東海道線の113系と同じような音の419系のモータ音を録音。しかし途中からすごい雨に。先が心配だ。
↓419系 右が原型顔  こちら (中2のときの訪問記録)もご参考までに

水橋に着いたころには小ぶりになってきたものの、地面がぬれてしまっているだろう。駅売店のおばちゃんの威勢のよさにしばし圧倒される。

水橋駅はM41.8の開業以来の駅舎で、何と今年で100年を迎えるというわけなのだが、頸城大野にはあったプレートが見つからない。改札の内側にあるのか?とりあえず、必要な荷物以外は待合室においていくことにし、おばちゃんにその旨を伝えておく。まあ盗もうにも、こんな重いもの...
↓水橋駅 開業以来変わらぬ風格
2008435.jpg.jpg
15分ほどで常願寺川に着。磯ぐつに履き替え、探索を始める。しかし倒木が全く見当たらない。地面はイバラだらけで枯れ草も厚く積もり、進むのにも一苦労。なるほど人の踏み入った形跡も少ないわけだ。ほどなく、ここでもボーズだろうなあと感ずる。アオゴミとアオヘリホソゴミを発見。

訪問2箇所目で早くも疲れてしまい、ここでムリをするとあとに影響するかもしれないので、早く切り上げてきたつもりだったが、結局は予定通りに水橋を出発。売店のおばちゃん曰く、常願寺を上っていくと大きな森があって、鳥がたくさんいるらしい。

富山行きの電車はやっぱり419系。まあ2駅しか乗らないのでそんなに残念がることは無く、かえって475系でなくてよかったと思うようにする。僅かながら後面展望を愉しむ。

富山では豪快に降っており、風がまあすごいこと!行くとこ行くとこで雨に当たるのは、我が移動ルートと前線の動きが同じだといわざるを得ない。お先真っ暗か。 (※後から考えると、やっぱ雨男なんだなぁと、しみじみ思われるのです。 盛岡 でも雨だったなぁ...)
↓富山は越中繁華の地 こゝより起こる鉄道は 加賀越前をつらぬきて 東海道にであふなり(鉄道唱歌北陸編 50番)
2008436.jpg.jpg

ここで奮発して”ますのすし”を食べても良かった(というより未だ食したことなく、折角なので本場のものを食べてもいいなぁ)のだが、できるだけ食費を抑えることは今回の旅の決まりとなっているし、また寒くなったのでホームで天ぷらうどん¥370を食す所に落ち着く。

次の電車は1日1本しか設定されていない(今はどうだか知らない:下り)貴重な大聖寺行き、でもやっぱり419系。車内では宿題をすすめるが、どうしても眠気には勝てず、少し寝て、事前に配られた提出用プリントに、通学の電車内で印をつけておいたtextを見て猛烈に書きなぐる。特定の番号がいつもない(26.38.56)のだが、表計算ソフトを用いればこのようなミスは無いと思うのだが...印刷前にちゃんと確認しておいてもらいたい。分からない所以外は一通り終わる。
↓武士が帯びたる大聖寺(同上 62番より)
2008437.jpg.jpg
美川について、¥200のコインロッカーに(大)リュックを入れ、手取川に向けて歩み出すも、その惨ゝたる光景に全てのやる気を奪われる。河畔林があるはずの場所が不毛の砂地になってしまっていては!

とりあえず、遠くに見える林で何とかしてみようと歩き出したものの、それが対岸であったことに気づいたときには、もう今来た道を戻って、橋を渡って再び行こうという採集意欲は完全に消え失せていた。ほとほと疲れ果てたので、とっとと駅に戻る。途中踏切で国鉄色+北陸色の475系に遭遇!乗りたい!!
↓美川 県一のまち
2008438.jpg.jpg

酒まんじゅうを食べながら、予定より早く下ることに決める。やっと419系以外の電車、413系に乗れる。しかもtop編成だ。(1986年誕生らしいが、昔の急行方車両の部品を再利用している)BOXは取れないのでロング席に陣取る。その後、BOXに移動し、福井到着の直前に寝る。駅についてえちぜん鉄道を数枚記録しておき、JR側の駅に戻ると、TVの生中継がされていた。
左 三国港の海に入る 日野川こえて福井駅 こゝに織り出す羽二重は 輸出の数千万(同上 64番)
右 何かを暗喩するえちぜん鉄道のMC6101形

2008439.jpg.jpg2008410.jpg.jpg

乗車する一つ前の電車が10分以上遅れて入線してきたので、乗車列車も遅れてしまう。何とかBOXに座れた(また419系だ、ついに475系には乗れずじまいか、次に訪問する時はにはまだ走っているかな?)が、あっという間に大混雑。武生あたりでドッと下車するのだろうか?

土呂を出たから記憶が無くなり、気がつけば敦賀に。尾てい骨が痛い。ホームを快”足”で移動(敦賀ダッシュ)し、今回発乗車となる223系に座る。遅れは大分回復されている。さすがは新快速。

さて数学の課題に手をつけようかとしたところ、今の自分には問題に取り組むほどに集中力・精神力・忍耐力がないことを悟る。とりあえず疲れて眠い。肩も凝った。神戸まで3時間、ずっと乗りっぱなしだと思うと・・・

米原から12両となるこの新快速、車掌が3人もいるようだ。アナウンスをしている女性が1人、車内を歩いている男性2人。一人が戻ったかと思ったら別の人が出てきてビックリ。その座り心地から、まるで京急2100形に乗っている気分。

米原からは鉄道唱歌で少しは周辺の地理が頭に入っているのだが、夜だと近江の海の波の色も瀬田の長橋も粟津の松原も逢坂山も分からない。

いつの間にか逢坂山を越え、はや京都に着きにけり。実は京都は未訪問(我が中学校は東北の農家へホームステイするというなかなか面白い修学旅行を計画する場合があり、私と妹は見事にそこに当てはまったというわけ。もちろん、京都に行く年もある)今回の旅程では京都は通過してしまうが、それは来年3月までの楽しみにしておこう。(※2008年夏、大河原駅訪問により京都府に降り立ってしまった)

思えば3時間はあっという間で、何と一睡もすることはなかった。三ノ宮からフェリー乗り場を目指す。途中Mcを見つけ、シャカシャカチキン×2=¥200の食事を済ます。乗り場に近づくにつれ、ただでさえ人気(ひとけ)のない通りがいっそう寂しくなってくる。明らかに予想と反している。 待合室に着くと、若い女性1人おじいちゃん1人しかいないなんて!まあ出向2時間前はそんなものだろうか。

港の夜景がキレイなので、折角の三脚を活用させる。しかしトラックが沢山停まっており、コンテナでさえぎられていい場所にもいけない。ここで、車利用の人が結構いることに気づく。往復券は余裕で購入。
↓神戸は五港の一つにて あつまる汽船のかずかずは 海の西より東より 瀬戸内がよひも交じり足り(同上 東海道編 62番)
2008411.jpg.jpg

待ち時間に洋書の感想文を書いていくのだが、途中でこれ以上続けると論理が崩壊する気がしてきたので(単に眠くなっただけ)やめる。筆箱に消しゴムが入っていないのに気づく。臨海実習でなくして、それ以来そのまま。

いざ乗船。その名の通り船はデカい。何てったって3Fから乗るのだから。コンセントのある和室の一隅を余裕で確保。拍子抜けするほど人が少ない。いやオフシーズン最高である。ケータイと電池の充電をして風呂へ。こちらは誰もいないのだが、それなりに立派な所でサウナもある。但し男性専用なのは、浴室から外の景色を展望できるからだろう。ちょっと長居してしまう。
↓ジャンボフェリーの往復券にて
20084312.jpg.jpg


翌日へ(実際出港時に日付は変わっています)

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください