このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
三段スイッチバックで名を馳せる出雲坂根にて延命水を飲み損ねる。ホームにあるのに気づけず、直接湧出地に向かおうとしてタイムアップ…
木次線と芸備線のジャンクションでありながら無人駅の備後落合にて、これまた1日3往復の列車しか走らぬ芸備線区間を乗り継ぎ新見を目指す。駅前に人家が1軒、それ以外は山という伝説の秘境駅内名に差し掛かるころにどういうわけかL氏のメーリスが届く。
残念を通り越してあわれですらあった。

さて。
オサ屋という性分、冬枯れの山を見ると、崖を探さずにはいられない。
おそらく普通の人にはまず同化して気づかないような崖のあとも見出しては、それが木次線や芸備線といったローカル線区の線路すれすれに展開する光景に驚く。西のオサムシ相手に、オサ屋は相当手を焼いているらしい。
ただその程度が逸脱するような光景が多くは無いだろうか。オサに会えぬ腹いせに崖を破壊したのか、あるいは集団でひとつの崖を徹底的に掘りつくしたようにしか見えない。崖掘るようなオサ屋で、オサがどの位の深さに潜んでいるか知らない人はいないはずなのだが。
このような崖を見るたんびに、オサ屋の首を自分たちで絞めている気がしてならない。


かくいう610は・・・
オサが取れない時は控えめでいられるが、いざ1匹見つかってしまうと目の色が変わり、荒れる。とはいっても自分の中で最低の限度はわきまえているつもりであり、29日の日記で掲載したような崖を作ることは出来ない。
何匹も捕まえたところで処理が大変な上に、私には数は必要ではない。10匹、5ペアほど採集できれば充分ではないだろうか。分類調査にも標本箱にもこれくらいの数が最適ではなかろうか。何より特定の個体に注ぐエネルギーを他の虫やその地形、地域、生態系の様子に分配できる。
オサが取れない場合そうも言ってられず、経験の浅い私にはまだまだ手の届かない段階ではある。それでも、自然の中で自分の身の程を熟知し、その上で自分の行いに責任を持ちつつ、趣味と学問が融合した昆虫採集を楽しむ—これが真のオサ屋、ナチュラリストに追い求められている姿勢であると私は信じている。そして私はそういった人間にならないといけない。
それは希望であってはいけない。義務でなければならない。



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