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図12
<ベンゼンと芳香族化合物>
さて、
亀の甲
ベンゼン
の登場。有機化合物を
脂肪族化合物
と
芳香族化合物
とに二分する分類があるが、これは大ざっぱに言って、分子内にベンゼン環を含むか含まないかでの分類といってよい。それほどベンゼン環の有機化合物の構造に及ぼす影響は大きいのである。「
芳香族
」とは文字通りよい香りの意であり、これは古くから知られていたベンゼン誘導体にシンナムアルデヒド(シナモン)、バニリン(バニラ)、サリチル酸メチル(冬緑油)など香りのよい化合物が多かったことに由来する。もちろんベンゼン環を含む化合物すべてがよい香りというわけではなく、現在では歴史的意味しかない(
芳香族性
という新たな意味は次節に)。
ベンゼンはC6H6の分子式をもつ環状炭化水素であり、六角形に二重結合が3個交互にはいった形をしている。分子内に電子豊富な二重結合(π結合は電子の広がりが大きく、他の試薬に攻撃されやすい→
基礎2-1
)を3個ももつにもかかわらず、安定性が高く、通常の
不飽和結合
に対する反応は起こりにくい。この異常な安定性こそが、有機化合物を二分するほどベンゼン環化合物がたくさん存在しうる理由である。では、その安定性の秘密をさぐってみよう。まず、ベンゼン環の6個の炭素はすべてsp2炭素であるから、六角形が平面だとすると内角が120度となり、ちょうどひずみのない形になり、安定である。また、二重結合が交互に配置する形は、
共役
系なので電子が
非局在化
して安定になる。しかし、ベンゼン環の安定性はそれだけの理由ではない。
ベンゼンの構造を語るとき、ドイツの大化学者
ケクレ
の業績に触れないわけにはいかない。ベンゼンという化合物自体は古くから知られていたが、1865年にその構造を解明したのがこのケクレである。ケクレはC6H6の分子がどんな原子配列をしているかを来る日も来る日も考え続け、うたたねの夢の中でついに正解にたどりついたといわれている。その構造が六角形に二重結合が3個はいったいわゆるケクレ構造といわれているものである。C6H6の分子式を満たす構造はたくさんあるが、ケクレ構造は、その非常な安定性や、置換化合物の数(水素を1個臭素で
置換
した
モノ
ブロモベンゼンは1種類しかなく、2個置換した
ジ
ブロモベンゼンは
オルト
、
メタ
、
パラ
の3種の異性体がある)を満足させる唯一の構造であった。ベンゼン環の安定性について、ケクレは次のように考えた。六角形に二重結合を交互に3個いれる配置は2通りあり、ベンゼンはπ電子の連続的な移動によってこの両構造をきわめて速く相互変換している。そのために、個々の結合の二重結合性が薄まり、他の
孤立二重結合
をもつ分子よりも、反応性が大きく低下している。これによってたとえば、隣接する2個の水素が臭素で置換したオルトジブロモベンゼンが1種類しかないことも説明できた(二重結合の位置が固定していれば、臭素の根元の炭素間の結合が単結合と二重結合と2通りの可能性が出てしまうため)。
このケクレの提唱した構造はとても魅力的であり、ほぼ正解に近かったのであるが、実は現在の考え方からすると厳密には正しくない。そもそもベンゼンの構造に二重結合は存在しない、それが安定性の鍵である、というのが現在の理論である。ベンゼンはsp2炭素が6個六角平面に配置している。それぞれの炭素はp電子を1個ずつもっているので、隣の炭素とπ結合を作りうるが、すべてのp電子が平行すなわち六角形の面上に垂直に立っているため、6個同時にオーバーラップしてひとつながりの環状の結合をつくることができる。このドーナツ状のπ電子のつながりを
環状電子雲
という。ここには二重結合とか単結合の区別はまったくなく、一様に電子が分布している。π電子6個が6本の結合上に分布しているので、計算上はすべての結合は1.5重結合ということになる。ベンゼン環の表記法で六角形の中に円を描く書き方があるが、この表記はこのような実態に適っているのである。これがベンゼンの
共鳴
理論であり、ちょうど二重結合が局在化した二つのケクレ構造(極限構造)の中間の共鳴構造をとっていると理解できる。
では、ベンゼンの安定性は具体的にどのくらいあるだろうか。六角形構造の炭化水素の
生成熱
を比較してみると、
飽和
のシクロヘキサンを基準にして、1個二重結合がはいったシクロヘキセンは28.6kcal/molだけエネルギーが高い(安定性が下がる)。つまり二重結合1個分の熱エネルギーは28.6kcalと見積もられ、事実二重結合を2個もつ1,3-シクロヘキサジエンはシクロヘキサンより55.4kcal/mol生成熱が大きい(28.6の2倍よりもやや小さいのは共役安定化が効いているため)。この計算でいくと、ベンゼン(1,3,5-シクロヘキサトリエンに相当)は28.6×3=85.8kcal/molもの高いエネルギーをもつことになるが、実際のベンゼンの生成熱は49.8kcal/molと、シクロヘキサジエンよりも低い値である。すなわち、85.8-49.8=36.0kcal/molという大きな値がベンゼンの
共鳴安定化エネルギー
ということになる。
これだけ安定なのだから、ベンゼン環の共鳴構造を壊すような反応はエネルギー的に不利で進みにくい。これがベンゼンが他の不飽和結合化合物のような反応性を示さない大きな理由である。もちろんベンゼン環も種々の反応を受けるが、そのほとんどはベンゼン環の共鳴構造を破壊しないですむ
置換反応
である(後述)。
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