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おもしろ化合物 第20話:「爆発するサイコロ」




 プラトンの正多面体は高度な対称性をもつ美しい幾何図形なので、これを炭化水素でつくろうという試みが古くからなされています。そのうち最も早く合成されたのが正八面体の炭化水素 キュバン (cubane、C8H8)です。キュバンという名前は立方体を表すキューブ(角砂糖はcube sugar)からきています。
 構造的な興味はともかくとして、まあこんな炭化水素を合成したからといって何の役にたつんだろうと思われるかもしれませんが、さにあらず。おもしろいことに、このキュバンの水素を ニトロ基 で置換した ポリ ニトロキュバンは威力ある爆薬として有望だそうです。ニトログリセリン、トリニトロトルエンなどが爆薬として使用されているように、分子内にニトロ基が近接して存在するとその威力が増し、計算上はキュバンの水素をすべてニトロ基で置換したオクタニトロキュバンは最強の爆薬となると予想されていました。

 オクタニトロキュバンの分子式はC8N8O16で、ちょうど8CO2+4N2に相当しますから、たしかにクリーンな爆薬になりそうですね。ところが、このキュバン骨格にニトロ基をたくさん導入するのは簡単なことではありません。お互いに対角の位置に置換した四置換体は比較的容易に合成できましたが、それから先はニトロ基同士が隣接するので困難です。このほどやっとオクタニトロキュバンの初合成が報告されました。合成スキームは次のようです。

 既知のキュバンカルボン酸から出発して、 酸クロリド にしたあと塩化オキサリル存在下光照射でうまいこと一気にテトラクロロカルボニルキュバンが合成できます。こういう四置換体ができやすいのは、置換基同士がちょうど sp3 炭素のように正四面体の頂点方向に延びていて互いの干渉が最小であることによるのでしょう。これを 酸アジド に変換したあと、熱 転位イソシアナート とし、酸化してニトロ基に変換するとテトラニトロキュバンが得られます。
 ここから先は同じような方法論ではうまくいかないので、ニトロ基の α位 水素が酸性を示すことを利用して塩基で アニオン をつくり、N2O4をはたらかせて五番目以降のニトロ化を行ないます。ただしこの方法でも最高で七置換体が限度で、目的のオクタニトロ体はできません。最後のニトロ基の導入はLiN(TMS)2で発生させたアニオンにNOClを作用させ、 オゾン 処理することで達成されました。生成物は 極性 溶媒によく溶ける安定な白色固体で、 X線で結晶構造が解析 されています。結晶の密度は1.979gcm-1で、計算上は2.12くらいにはなるはずで、密度が高いほど爆薬としてはすぐれているために、より高密度の結晶を追求中とのことです。
 このオクタニトロキュバン、合成法や性質ももちろんおもしろいのですが、なんといっても NMR です。1H-NMRではシグナルが出ません(あたりまえ(^^;;)。それで13C-NMRなんですが、対称分子なので1本だけシグナルがδ87.8に出ます。そのシグナルはなんと J =8.8 Hzの 三重線 です。結合している14N(I=1、15Nじゃないですよ)との カップリング が出ているのだそうです。事実、14N デカップリング するときれいな 単一線 になります(原報にチャートあり)。14N核の 四重極緩和 のために普通の13C-NMRで1J(13C-14N)がきちんと見えるなんて例は見たことありませんが、対称な四級アンモニウム塩などでは電場勾配がゼロに近くなるので、検出されるのだそうです。たしかにこの化合物も対称性は非常にいいですからね。

 さて、ついでに母骨格のキュバンの洒落た合成法をみておきましょう。私はこの方法を初めてみたとき、なんてエレガントなんだろうと感心しました。

 頭いいですねほんとに。シクロペンタジエノンの endoディールスアルダー 二量体を分子内光 2+2付加 するとちょうど ビス ホモ キュバン骨格になります。これを2回環縮小反応にかければいいわけですが、それをブロモケトンの Favorskii転位 と生成するカルボン酸の 脱炭酸 によって見事にクリヤーしています。いうまでもありませんが、キュバン合成の一歩手前のカルボン酸が、今回のオクタニトロ体の出発物質になっています 。

 このキュバン骨格の初合成は1964年にシカゴ大学のEatonらによってなされました。今回のオクタニトロキュバン合成はそれから35年もの歳月が経過していますが、同じEatonらの仕事です。

 cf. M. -X. Zhanget al.,Angew. Chem. Int. Ed.,2000,39, 401.


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