このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

首都圏最後のDD51貨物

〜 電化で消えたDD51 〜

2001.10.28 UPDATED



 総武・成田・鹿島線には、首都圏最後となった、DD51牽引の貨物列車が残っていました。
ところが、その貨物列車の終点であった鹿島サッカースタジアム駅構内が電化されたことにより、貨物列車を牽引していたDD51も、EF65に任を引き継ぎ、首都圏からその姿を消してしまいました。
 今回は、そのDD51の最後の姿をレポートします。

← 「さよならDD51 2001.9.30」と書かれたヘッドマークを掲げ、最後の活躍をするDD51 1803号機。


蒸気機関車程ではないものの、煙を吐くディーゼル機関車には、電気機関車とはまた違った魅力がある。
急勾配や長編成で喘ぐ姿に人間臭さを見るからだろうか。


さよならヘッドマークはこの円形のものと逆台形のもの2種類が用意され、9月26日〜30日の間、毎日交互に向きを変えて取り付けられた。


2001.9.29 10:15 総武線 四街道〜物井 1455レ (千葉機A54仕業)
→ 快晴の北浦橋梁を渡る。


前日に降った雨は濃霧をもたらし、早朝の北浦は10メートル先も見えない程だった。
やがて日が上がるにつれて霧は晴れ、晴天に青く映える湖面もその姿を現わした。


10月1日の電化開業後も1往復だけは、DD51牽引の貨物列車が残された。
しかし、それも今日が最後。
その最後の任に当たったのは、DD51 1801号機だった。この後、鹿島サッカースタジアムからの列車を牽いて千葉に戻れば、その任は解かれる。


2001.10.6 7:09 鹿島線 延方〜鹿島神宮 1099レ (千葉機臨A152仕業)
← 新天地での活躍を前に、その準備のために回送されるDD51 1801号機。


営業運転が終了した後も新小岩操に常駐し、不測の事態に備えて待機していた1801号機・1802号機の2両。
やがてその使命さえも終えて、1802号機・1801号機の順で回送準備が取られた。


その回送列車となった4097レ、本来はJR東日本田端運転所EF81の仕業であるが、日を限って新鶴見機関区EF65の仕業となる。この日の牽引機は、スノープラウの無い赤プレ1079号機。同機は貫通扉だけが黒Hゴム化されている。


2001.10.13 11:53 総武線 本八幡 4097レ (新臨A1051仕業+千葉機臨A153仕業)


千葉機関区DD51の、新天地での末永い活躍を願って、このページの結びとしたいと思います。


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください