このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

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帰ってきたのか、通り過ぎたのか


行き付けNo.1 宮川製麺所

・5月1日

皐月1日、通算33日目。
昨晩買っておいたパンで朝食。7:15の高松行きで本山まで一駅移動する。 車内が通学の女子高生ばかりで、物理的に空気が違った。 ポッ

70番 本山寺まで
駅前から15分ほど歩いて到着。広々とした寺である。昨日まであまり見かけなかった 歩きの人もたくさんいた。

71番 弥谷寺まで
かつては車で行き来した国道11号をたどる。だんだん気温が上がってきた。 高瀬町域に入ったあたりで旧道に入り、本山寺から約2時間。 鳥坂峠へ向かう国道から進路がずれてきた頃、弥谷寺への上り道が始まった。
白人女性の歩きの人が居た。そういえば時々外国の人が遍路をしているのを見かけるが、 あういう人たちは宗教的にはどんな感じなんだろうか。単なる異文化体験? 最近は海外でも宗教色は薄れているんだろうか。

弥谷寺は(も?)山の上。麓からひたすら階段を登った崖の下に本堂がある。本堂から少し下った大師堂は、 板の間に靴を脱いで上がる形式。風が吹き抜けてヒンヤリした空気が涼しくて、なかなか居心地のよい大師堂だった。

時刻は12時。善通寺でうどん屋に行きたいので、本格的な昼食はとらずに手持ちのお菓子で空腹 を紛らわしていると、昨日、雲辺寺からの下りで少し話をしたおじいさんと再開した。 遍路風の格好ではなかったので、まさかここで会うとは思わなかった。 話を聞くと、地元の方だそうな。

72番 曼陀羅寺まで
鳥坂峠の横を通って、いよいよ善通寺市内に入る。曼陀羅寺は 何度かジョギングで来たことがあるが、参拝するのは初めてである。 境内の松の木には由緒があるらしく、「さわやかな」声で説明してくれる音声案内板があったので とりあえず押してみる・・・? さわやかな声(笑

73番 出釈迦寺まで
坂を登って出釈迦寺。はるか上の山の中腹に出釈迦寺の奥ノ院が見える。 正月に奥ノ院まで行ったが、坂が非常に急なので今日は登らない。というか腹減って そんな元気が出ない。前に来た時も思ったが、あちらこちらに商品の「値札」が目立つお寺である。
うどん屋到着まであと約1時間。

74番 甲山寺まで
約2キロの平坦な道のりである。Tシャツ一枚で歩いていると風が肌寒くなってきた。 昨晩兆候が見られた風邪が悪化しつつあるのかもしれない。
甲山寺に着いたとろこで長袖の上着を着たら寒気が少し和らいだ。

75番 善通寺まで
途中で、以前何度も通った宮川製麺所によって2玉平らげた。210円。やっぱり旨い。
そして善通寺。ここの大師堂は地下に戒壇巡りが設けられていて、時間があればオススメである。 引っ越す直前に行ってみたが、本当に真っ暗な世界が広がっていた。
門と五重塔を納めたお約束の写真を撮って。善通寺を後にする。

76番 金蔵寺まで
少し回り道をして、陸上自衛隊善通寺駐屯地の資料館を見学した。 旧軍の11師団司令部庁舎が残っていて、初代師団長の乃木大将関連の資料が目玉だそうな。 これで、善通寺在住時代に行きそびれた名所は護国神社くらいか?
もう1軒、清水屋でうどんを食べた後、 前の家付近を通って金蔵寺へ向かう。住んでいたころとは少し別の視点から街並みを 眺められたような気がする。
資料館やらうどんやらで時間を使いすぎて少し慌てたが、16:50に金蔵寺到着。納経を済ませてベンチで涼んでいると、 雲辺寺への上りで追い越した人が到着した。先方も納経を終えた様子で、隣のベンチ に座ったので少し世間話。
豊中から来ているそうである。あと少しで結願ですねぇ〜、という話もしたが、 当方は残念ながら今日で一区切りである。

多度津まで。
徒歩で約1時間。今回は3日とも朝から晩までフルに使って歩いたが、そのためか 疲労感もかつてないほど大きい気がする。 今日は通算33日目だが、もしも通して打っていたらとてもじゃないが、 32日でここまでこれなかっただろうと思う。毎回疲労をリセットできるのは区切り打ち の大きな利点だが、通して打った時の感慨はまた格別なのかもしれない。
いずれにしてもあと4日(推定)である。

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