このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


海外旅行記2:チベット編(その2)

 

(常陸国住人)

西寧からラサまでを一回にすると長いので、原文を二つに分けて載せます。

周辺の地図は、チベット展で購入した本に載っていた地図の一部を使用しました。

2.西寧からゴムルドへ

チベット入りは青海省西部の省都西寧から始まった。西寧までは成田から上海、西安経由だ。

西安での乗り継ぎでは、搭乗した時点で乗客一人が足らないとのことで、全員の預けた荷物と、機内持ち込み荷物のチェックが行われた。このため、上海での出発遅れと合わせて数時間遅れた。

しかしまた、その日は西寧上空で乱気流発生のため西寧空港に降りられず、西寧まで約200㎞手前の甘粛省の省都蘭州に一時着陸した。

出発時刻は未定とのこと。これから先どうなるかと心配していたが数時間待機後蘭州を出発、西寧には夜明け前の3時半ごろ着いた。チベット入りは踏んだり蹴ったりであった。

空港からホテルへ、休む暇もなく朝食後、観光に出発した。

 

2.1 タール寺(クンブム)

タール寺は中国読みで、チベット語ではクンブムである。西寧の西約25kmの所にある

この寺はゲルク派最大の寺院で創建は1560年、ツォンカパ由来の所である。

かって、4,000人以上の僧侶がいたが、現在は500人を超す程度だと云う。寺院の入り口には写真に見られる高さ56mもある大きな仏塔8が並んでいるのに圧倒される。

この仏塔は如来八塔と云って仏の八大功徳を表していると云う。

 

仏塔の側面には写真に示したような獅子文様などが刻まれている。この寺院内は広大で金箔で覆われた屋根が所々に目立って見える。

中でも大金瓦殿内にはツォンカパ大銀塔がある。中には入れなかった。屋根は金で輝いている。金は箔と云うより薄い板と云った感じである。外壁は緑色のタイルがはられている。重厚な建物である。

なお、チベットの寺院の中の写真を撮ると、建物ごとに写真撮影料金が徴収される。

ひどいのになると、建物の中でここは幾ら、あそこは幾らといったようにまたお金を取る所もある。確かに、寺院内には写真を撮りたくなるようなところがたくさんある。

寺院の最高管理は中国共産党がやっているので、金銭にさとい中国人の差し金だろうか。

相当に嫌な感じである。中国チベットを外国の観光客に開放したのは外貨獲得目標と云う考えの表れであろうか。

 

2.2 ダライ・ラマ14世の生家

湟中近辺の平安県にはダライ・ラマ14の生家がある。



ダライ・ラマ14世の生家

その生家は、一見して裕福な農家と云った構えである。中庭の中ほどにはタルチョがあった。

中国共産党の差し金であろうか、内部は質素である。

仏壇のようなものがあったが、勿論ダライ・ラマ14の写真の所持、掲載は禁止されているので見ることは出来ない。

今は甥の家族の方が住んでいる。















前には写真に示したような可愛い子供達がいた。

タルチョはこれからの写真にしばしば出てくるので、これについて簡単な話をしておこう。

タルチョの経文

タルチョは健康や長寿を祈る護符旗であって、旗には一般に経文が書かれている。

旗の色は掲げる場合青、白、赤、緑、黄の順になっており、それぞれ、空、雲、火、水、大地を表している。

高い所に掲げるほどご利益も大きいと云う。

平地では写真に見られるように長い棒に巻き付けているのをよく見かけるが、山の上にも多く見られる。











 

2.3 シャチュン・ゴンパ

この寺は14世紀に建てられゲルク派の開祖ツォンカパ3歳の時に修行を始めた寺である。寺は標高2,700mの山の中腹にある。バスは麓の駐車場で待機だ。

その付近は「馬に乗れ」と馬子が五月蠅い。我々はそれを振り切って歩き始める。道は広いが舗装されていない。結構急な坂道があって途中から見たシャチュン・ゴンパの景色は見応えがある。

こういう所で、健脚の人は強い。目的地まで30分ぐらい歩いただろうか。前後で510分の隔たりが出来た。勿論、私は先頭だ。

               

シャチュウン・ゴンパ                                 坊さんと

シャチュウン・ゴンパは幾つかの寺が岩に張り付くように造られている。周辺に人家は無いし、静かで修行するには格好の場所である。日本の比叡山の坊さんのように夜な夜な京の町に遊びに行ったのと訳が違う。山の一番上のお堂のような所で背の低いチベット僧写真を撮った。やけに風采の上がらない坊さんだった。

 

2.4 日月山峠

 ここは、7世紀の太宗の時代に、王女の文成公主チベット王ソンツェンガンポに嫁いで行く道中での国との最後の別れを惜しんだ所である。当時、チベット青海省から新疆の方まで勢力圏を伸ばした強大な国家であった。

太宗は中国を統一してまだ10数年、国策上自分の娘をチベット王に嫁がせねばならない事情があったのであろう。もう二度と戻れないの国を思い、涙を流しながら振り返っていたのであろうか。

ここは標高3,520mもあり、中国からチベットに行く場合に必ず通らねばならない地点である。広々とした草原になっている。峠には写真に見られるように日亭月亭が建てられている。

月亭に入ると文成公主の花嫁道中と、との最後の別れを惜しんだ壁画があった。

付近にはタルチョが沢山あった。写真9は日亭とタルチョを写したものである。高い所でのタルチョは効果が大きいらしい。峠には何処から来たのか土産物売りの露天商が沢山店を並べていた。

沢山のタルト

2.5 青海湖

駐車場でバスを降り、ここから現地観光業者お仕着せのミニバスで湖畔へ。

青海湖は琵琶の約6倍の面積がある中国最大の塩水湖で、湖畔には土産物屋がひしめき合い、遊覧船が走りまわる観光地である。湖面は素晴らしく綺麗な群青色である。

青海湖(近くは私、遠くは魚雷発射実験基地)

湖の対岸遠くには祁連山脈が見える。だが、写真で見えるように、湖の沖合に中国魚雷発射実験基地があるのは頂けない。
湖近くにはヤクが放牧されており長閑な風景である。

 

2.6 茶?・塩湖

湖は直径10km程あろうか、湖面全体に塩の結晶が析出しており真白である。

塩は取り放題、ツアー一行の人々はそれを袋に詰め込んだ。これこそ加工が加えられていない天然の塩である。塩湖の真ん中には写真11に見られるように塩を運ぶトロッコ用の鉄道が引かれていた。

塩運搬トロッコ線

 

3.青蔵鉄道

鉄道は西寧からゴルムドを通ってラサまで続いている。全長1,970kmゴルムドからラサまでは1,142kmである。我々はゴムルド728分発の列車に乗った。

因みに、4人向き合わせの席で運賃は225元・約3,375円(1元は15円換算)である。

中国軍兵隊も多数乗車した。彼らは寝台車を独占している。食堂車も占領していて一般乗客は立ち入り禁止である。日本では考えられない。こんな事をしたら新聞で叩かれて大変である。



車両内は以外に広く取ってあり、座り心地はそんなに悪くない。

私の席は若い女性の中国人と向い合せになった。

一人は軍人で、他は大学生だそうだ。

二人とも結構愛想がよい。

会話は専ら漢文の筆記で行った。

そこに若い中国人男性が来て盛んに観音茶のサービスをしてくれた。





また、大きなバックに商品を入れた40歳ぐらいの男がいて、話をするとラサに商売に行くのだそうだ。「バックの中身を見せろ」と云うと出し惜しみするかのように一つづつ見せてくれた。
仏具商品が沢山入っていた。面白いものがあったので「売れ」と云うと、「列車の中では売れぬ」と云う。どうも列車の中での商売は禁止されているらしい。

変わって、外の景色も綺麗だ。殆ど標高4,0005,000mの不毛の地を走る列車からは5,0007,000m級の万年雪を被った山脈がひっきりなしに見えてくる。

雪をかぶる連峰

氷河

氷河も目の前に見えた。

列車が走る最高地の高さはトングラ(唐古?)駅での5,072mだ。
中国軍人達はここでプラットホームに出て記念写真を撮っていたが、我々一般乗客は残念ながらここではプラットホームに降りることは出来ない。

中国軍人の横暴ぶりと良心の程度の低さは目に余る。だが、文句を言っても始まらない。我々は駅名の入った看板を撮るにとどまった。プラットホームに降りられたのは標高4,512m那曲駅だ。急ぎ足で歩き廻ると息が切れる。

ここで列車と共に撮った写真を示した。

こうしてラサまで約12時間の旅は退屈することなく過ぎてしまった。ラサ駅構内は馬鹿でかく広いが人は殆ど居らず、暗くて侘しい。

その1へ戻る     その3へ進む

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください