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 海外旅行記(6)

 
ベトナム 2 北部

1.北部

 
ベトナム
は面積が日本の90%、人口が約8,600万人で、民族構成は先に述べたようにキン族(ベト族)が90%、他は53の少数民族が存在している。宗教は80%が仏教、他はキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、カオダイ教、ホアハオ教などである。

国が独立したのは1976年であるが、各国と国交正常化してから15年位の若い国である。従って、現在のベトナムは日本の1955〜1965年頃を想像していたら良いと思う。

ここで北部とはハノイを中心としたホン川流域に広がる地方を指す。中部とはフエを中心に海岸線を南北に250km位の範囲を云う。南部とはホー・チミン市の北東400以南を云う。勿論ホー・チミン市やメコンデルタ地帯はここに入る。

1.1 ハノイとその近郊

ハノイはベトナムの首都、人口は約350万人、政治文化の中心都市で、李朝が都を築いてから約1,000年の歴史を持っている。フランス統治時代の建物も少なからず残っている。道路は両サイドに木々が植えられて美しい並木道になっている所が多い。

1)ハノイの町中で

さて、ハノイに着いて先ず脅かされるのは、その並木道に数多くのバイクが走り回って行く光景、それと、道路に沿った電信柱に張回された無管理としか見えない夥しい通信線である。


ハノイではないが、ホー・チミン市に行った時にその典型的な写真が撮れたのでそれをここ
に示した。

信号待ちしているバイク群で、信号が青になって一斉にスタートするのを待ち受けている状態である。スタート時の騒音が凄い。皆、一斉にアクセルを最大限に上げるのでその音は凄まじく、くまん蜂の大群が襲ってくる時はこんな音がするのかと思ったくらいである。



ある広場を走っているバイク群である。


これは、夫々走っていく方向が違う場合で、その割にはぶつかって事故を起こしたりすることが少ないらしい。
勇敢に突っ込んでいくことが走り抜けるコツと見受けられた。躊躇していたら帰って事故を招くようだ。

因みに、バイクの値段は中古車で日本製が10万円、中国製が4万円である。国民の平均月収が2万円位だから、中古のバイクを買うのも容易でないことが解る。大半は中国製のものを乗り回しているという。

  

これは電柱に張り巡らされた通信線を示したものである。どうも、日本のように纏めた回線の束を張っているのと違うらしい。一本の線を一軒一軒に張っているようである。典型的な発展途上国と見受けられた。

2)一柱寺

これは李朝の太宗が1049年に一本の柱の上に建立したという小さいがユニークな寺である。その謂れは、太宗が蓮の上で子供を抱いている観音菩薩の夢を見てからやがて子供を授かったことに由来する。このことから一本の柱を茎と見立てて、その上に蓮の花に相当する寺を建てたのだという。


これはそれをやや後方から写したものである。
柱がコンクリートになっているのは興ざめであるが、1000年近い歴史を持つ古刹である。

3)文廟

 1070年、孔子を祀るために建立されたものであるが、1076年、ここにベトナムで初めての大学校が開設された。中国にならって科挙制度が実施され、合格者は15世紀以降300年間で1,308人、その名が72の石碑に刻んである。


合格者石碑の一部。
石碑は石の亀の像の上に乗っており、亀の顔はそれぞれ違う顔をしている。


これは科挙に合格した人が身に着ける着物である。


文廟の孔子廟本殿である。屋根の上の龍の飾りものが素晴らしい。

4)ベトナムの家屋

ベトナムでは、家屋にかかる税金は家の土地に占める面積で決まるという。勿論、都会の町中程土地の価格は高い。従って、狭い土地面積の上に階数を多くして建てることになるので写真のようになってしまう。都市の郊外では土地が安いと云う事で新しい家が多く建てられているようだが、やはり3階建てのひょろ長い建物は少なくない。






市内と郊外の家



しかし、一方では
ここに見られるように税金対策も考慮した立派な家も建てられており、ベトナムの経済の成長振りが覗われる。

5)ハノイの36街

ここは昔、陳朝が昇龍(タンロン)として都を定めた所で、ハノイの旧市街に当たる。36の通りがある所からこうした名が付いたという。実際36通りあるかどうかは別として、随分ごちゃごちゃしていて賑やかな所である。店は食べ物を扱う所が多く、そこでは特に若い女性が多いようだ。

 

失礼して食欲旺盛な女性の姿を撮らせてもらった。
食べているのは「ブンチャー」と称する麺料理のようだ。
ベトナムでの食事ではありふれた料理で、私達もたびたび食べさせられた。案外美味しい。

この36街はホアンキエム湖の周りにあって、その畔には街の喧騒から隔離されたような玉山
詞(神社)がある。

新婚さんが記念写真を取っていた


境内の日蔭ではおじさん達が将棋を指していた

1.2 ハロン湾

ここはベトナム最高の景勝地で、湾には大小約2,000の奇岩が海面上に姿を見せている。小生、中国の桂林にも行ったが、桂林に優るとも劣らない見事な景観である。文頭にも述べたように、ベトナムに来た最大の目的はハロン湾の景勝を見ることなので、ここを見れば旅行の目的の大半は終わったようなものである。
少し云い過ぎかな? ハロン湾の旅は船中一泊2日である。部屋はくじ引きでベッド2つの1人部屋が当たったので快適であった。
ハロン湾観光船はジャンク船と聞いていたのであまり期待していなかったが、船内のレストラン、寝室など、なかなか快適なものである。これは良い方の期待外れであった。

 所で、ハロンの「ハ」は「降りる」「ロン」は「龍」を意味する。その昔、この地は外敵の侵入に悩まされていたので、龍の親子がそれを助けて外敵を退治した。その時に口から出た宝玉が海の中に落ちて数々の奇岩になったという。更に、その後度々外敵の侵入があっても、防ぐことができたという。実際、13世紀末に元の大群がハロン湾に押し寄せてきた時に、時の陳朝の将軍は海の中に沢山の杭を打ち込んで、敵船の侵入を防ぎ味方を勝利に導いたという。
実際にその杭は発掘され、ハノイの歴史博物館に展示されている。
日本が元の大群を防塁と神風で防いだのと訳が違う。陳軍は頭脳を使って外敵を防いだのである。
後でも述べるが、20世紀のベトナム軍の対アメリカ戦は凄い頭脳作戦であった。日本軍の玉砕戦法とはまるっきり違う。

日本との比較は後に譲るとして、ハロン湾の景色の例を示す。




こちらは湾内の小島・標高50〜70mのティップトップ島の頂上からの景観である。
折から海の向こうに沈み行く夕日と重なって、得難い景色を見ることが出来た。
足元の明るいうちに船に戻って、夕闇が迫るハロン湾上での晩餐である。お酒も進み食事は楽しかった。
食後はこのまま寝るのはもったいないということで、船上で夜風に吹かれながらの2次会である。
お酒は、幸い私がハノイ市内で買っておいたウオッカがあったのでそれを飲むことにし、食べ物はそれぞれ持ち寄って楽しい夜を過ごした。
最後は私を含めて2、3人残って夜半まで話が弾んだ。勿論、ウオッカボトル一本は空になった。

ハロン湾内には鍾乳洞も6か所ほどある。湾内の一部の島の中にあって、そのうちの一か所を見学した。

この鍾乳洞は、私がこれまで見た中では大きい方の部類に相当する。

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