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四国88箇所歩き遍路(第一回ーその11)


第十一日目(四月二十五日)

(三十九番延光寺から四十番観自在寺まで 徒歩距離12㎞ 宇和島ターミナルホテルで一泊)

 今日は昨日と同じくバスの活用を主体に参拝する計画である。昨夜からの降雨が止まず、完全雨具防備でバス停まで50m歩き、足摺岬 七時十五分発宿毛行きの高知西南バス出発。

 乗客は一人、雨霧で車窓からの視界は50m程で昨日の道を中村まで戻る。

 中村で十分休憩して、宿毛に向け中村宿毛道路を走り出した。中村からは乗客が増えて賑やかな話声で騒がしくなってきた。

 二時間三十分かかり延光寺口で下車。雨は小降りになり、2㎞程参道を歩き三十九番延光山門に到着。

 田圃の中より元気なカエルの合唱が聞こえる。山門前の小屋に若い外人のカップルが雨宿りをしている。「おはよう御座います。」と挨拶す るとニコリと微笑み、頭を下げた。

 山門
で合掌一礼。
この寺の梵鐘赤亀が竜宮から運んで来たと言われ、亀の像が刻まれているが打鐘は禁止されていて残念であった 。

 参拝をすませ次の四十番観自在寺までは25.8㎞はまず宿毛市に向け国道五十六号線の歩道を歩く。

 途中で雨が上がり、雨具を脱ぎ、リュックサックに入れ、市街地を通り9㎞先の宿毛駅に一時間半かかり到着。まだ足の疲れは無く楽しく歩 けた。

 途中で五人の逆打ち遍路者に会うも簡単に「御苦労さん」の挨拶のみですれ違う。宿毛駅では偶然、運よく宇和島行きバスに乗り継ぎが 出来た。一人の遍路者と同乗となる。

 途中高知県(修行の道場)から愛媛県(菩提の道場)に入り、まもなく平城札所前のバス停で下車する。既に十三時であった。

 四十番観自在寺平城天皇の勅願により弘法大師が開創されたと言われ、山門の額に「平城山」と記されている。

 また、本堂は総けやき造りで天井には干支を施した方位盤が配置されている事で有名である。

 バスに同乗した遍路者は参拝というより寺の歴史を調べカメラで歴史的遺物を撮影している様であった。参拝後は寺の門前の店で弁当とお 茶を購入し、バス停でバスの待ち時間に昼食を食べた。        

 平城札所前より宇和島駅行きのバスに乗り十五時二十一分宇和島駅に到着。ニ日後の帰りの航空券を購入した。その後、今日の宿「宇 和島ターミナルホテル」に入る。

(常陸国住人後記)

  私が四国に行った時は、延光寺観自在寺に参拝しました。下記をご覧下さい。

四国の旅(その4)

その十 へ   その十二

 

延光寺、赤亀山(しゃっきざん)寺山院(じさんいん)、真言宗智山派、本尊:薬師如来。

 

ご詠歌:南無薬師 諸病悉除の 願こめて 詣る我身を 助けましめせ

 

 寺伝によれば聖武天皇の勅命によって神亀元年(724年)に行基薬師如来を刻んで本尊とし、本坊ほか12坊を建立、当初は亀鶴山施 薬院宝光寺と称したという。
 その後桓武天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)が来錫して再興、脇侍の日光・月光菩薩を刻んで安置、本堂脇に眼病に霊験のある 「目洗い井戸」を掘ったといわれる。

 伝説によれば延喜11年(911年)赤い亀が境内にある池からいなくなったが、やがて銅の梵鐘を背負って竜宮城から戻ってきた。そこで  現在の山号、寺号に改めたという。

 

観自在寺、平城山(へいじょうざん)薬師院(やくしいん)真言宗大覚寺派、本尊:薬師如来。

第一番札所より最も離れていることから「四国霊場の裏関所」と呼ばれている。

 

ご詠歌:心願や 自在の春に 花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの

  

 

 寺伝によれば平安時代初期の大同2年(807年)平城天皇の勅願により、空海(弘法大師)によって開かれたといい、本尊の薬師如来、  脇持の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩はく一本の霊木から空海が刻んだと伝えられている。

 江戸時代初期の寛永15(1638)に京都の空性法親王が巡拝、薬師院の号を受けた。その後、宇和島藩伊達宗利の勅願所になっ たという歴史をもつ。一時は七堂伽藍を持ち四十の末寺を有したが、火災で消失。延宝6(1678)に再建されたが、昭和34年(1959年) に失火で本堂を焼失、現在の本堂はその後に建立された。

 

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