このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


四国88箇所歩き遍路(第二回——その一)

第一日目(五月八日)

(日立から四十五番岩屋寺まで 徒歩距離 2.5㎞ 門田屋旅館に一泊)

後半篇も第一日目は日立から参拝する寺までの移動が主な行動である。

朝四時三十分日立駅発の急行バスで雨降る中を出発する。羽田に着いても雨は降り続いていた。

羽田から全日空九時二十分に飛び立ち、松山空港に十時五十五分到着した。

伊予鉄松山駅にバスで移動し、鯛寿司弁当で昼食を取り、伊予鉄バス十二時五分発で久万高原へ向かう。久万高原でバスを乗り換えて、十四時に清瀬橋バス停で降りる。

ここから古岩屋トンネルを抜けて700m程人通りの少ない車道を歩き、直瀬川を渡って岩屋寺入口に着く。

四十五番岩屋寺へは高低差270mの登り参道となる。

まず二つの休息所と土産品販売所を兼ねた店に白装束の参拝客が二十人程いて大変賑わっていた。

ここから急な石段となり、杉の巨木林の中を石参道は曲がりくねって上がって行く。
両側には赤と青の「南無大聖不動明王」と書かれた旗が多数立ち並び、その外側には何千体にものぼる寄進された石仏が苔錆びて立ち並んでいる。

  

岩屋寺の参道                                   岩屋寺石仏群

息をきらせて上る参拝客の姿は極楽へ至る前の苦労の花道の様である。しばらく登るとそそり立つ岩壁を背に銅葺の本地造りの本堂大師堂に着く。

ここでは手順に従って参拝をし、弘法大師空海が修行した穴禅定にも入って昔、空海が修行した姿を偲ぶ。霊気を感じる。

十六時になったので下山し麓の今日の宿「門田屋旅館」に入った。旅館の女将は気さくな人で「今日は泊まり客は一人であり、風呂にゆっくり入って休んでください。」と暖かい言葉を頂いた。

夕食時には女将と二時間ばかり四方山話をする。食堂の額に民主党菅副代表の色紙が飾ってあった。平成十九年四月に宿泊した時書いて頂いたものである。

小生の遍路の理由を家内の供養であると話すと「貴方はうらやましい。私は十六年前、四十六才の時一人息子を残し、夫に先立たれ、こんな山の中の田舎で良い収入口は無く、姑にも苛められ、世間も目も厳しくて大変であった。

息子も勤めに出る様になり、最近家も建て直してやっと楽になって来た所です。」との事。

明日朝は五時に出発したいと申し出ると特大のおむすび二個作って頂き、朝は玄関の鍵を勝手に開け出てゆく様にと指示を頂く。

                         その十二 へ    2のその二

 
 

岩屋寺(いわやじ)海岸山(かいがんざん)、真言宗豊山派、本尊:不動明王。

ご詠歌大聖の 祈る力の げに岩屋 石の中にも 極楽ぞある

弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は、山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会うが、仙人空海に帰依して山を献上した。空海は木造と石造りの不動明王像を刻み、木造は堂宇を建立して本尊として安置、石造りは岩窟に祀って秘仏とし、全山を本尊とした。

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