このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大阪駅撮り 続き  1975年8月

北陸方面の昼行特急や急行はまだまだ元気でした。特急列車はどれも食堂車、グリーン車2両を連結し11両または12両の長大編成。中でも「白鳥」は13両編成で11番線の端から端までを占めていました。急行もさすがにビュッフェの営業はなくなりましたが、12両編成で運転されていました。「立山」は先頭3両が直接富山地鉄へ乗り入れていましたね。

10時20分発 「白鳥」青森までロングラン

7時25分発  新潟行「北越2号」。この頃は「白鳥」と共に全指扱いの数少ない特急。

7時22分着 新潟発の「つるぎ」 
ダイヤ改正後大阪着が適度な時間帯になりました。

7時49分着 青森発の「日本海」

この写真を見ると多くの乗客が「日本海」から降りてきたことがわかりますが、それよりも向かい側の1,2番線で福知山、山陰方面の列車を待っている人の多さに驚きです。特急「まつかぜ」の入線を待つ人たちです。鉄道が移動手段として頼りだったんですね。
奥に見える14系客車は東京からの「銀河51号」です

こちらは青森からの「きたぐに」  大阪着8時27分

私、10系客車時代の「きたぐに」には乗ったことがないんです。乗ったときは12系座席車になってました。でも寝台はまだ10系だったのになあ・・・・。

こちらは東京からの「銀河」 大阪着8時00分

「銀河」に乗ったときもすでに14系3段寝台になったあとでした。
残念!・・・・・。

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