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大学の発祥 

発祥碑で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を訪ねてみます。

大学の発祥碑


 東京音楽大学発祥の地
 東京音楽大学発祥の地
東京都千代田区猿楽町1丁目7


碑文

東洋音楽学校 (現東京音楽大学) は, 明治40年5月1日 この地に設立された。 校長 鈴木米次郎は, 音楽教育の先駆者で, 恩師でもある 伊沢修一, 高楠順次郎, 島崎赤太郎らを評議員に迎え, わが国音楽文化の近代化を目指して創立した。
     平成9年(1997年)4月1日建立    東京音楽大学
 
907明治40 年5月 鈴木米次郎、東京市神田区に本学の前身となる東洋音楽学校を創立 現存する私立音楽大学の中で最も古い伝統を有する。
1923大正12 年9月 関東大震災のため校舎全焼当時池袋にあった成蹊学園(現成蹊大学)の一部を借り、授業再開
1924大正13 年11月北豊島郡高田町大字雑司ヶ谷(現豊島区南池袋)に校舎移転
1963昭和38 年2月東洋音楽短期大学から4年制の東洋音楽大学に移行
1969昭和44 年8月東洋音楽大学から東京音楽大学に名称変更
 
日本歯科大学発祥の地 
 日本歯科大学発祥の地
東京都千代田区大手町1丁目


碑文

中原市五郎は, この地に, 明治40年6月(1907), 公立私立歯科医学校指定規則に基づく わが国最初の歯科医学校として, 私立共立歯科医学校を創立した。わが国の歯科医療は 黎明期にあり, 「学・技両善にして人格高尚なる歯科医師の養成」を建学の目的とした。 国民の生命と健康を守るため, 歯・顎・口腔の医学を教導し, 数多くの優れた歯科医師を 輩出し, 歯科医療の発展と患者の福祉に尽力した。明治42年に現在の千代田区富士見 1丁目に移転し, 日本歯科医学専門学校を経て昭和22年に日本歯科大学に昇格した。日本 歯科大学は, 私学として「自主独立」という建学の精神を継承し, 生命歯学部と新潟生 命歯学部の2学部をはじめ, 大学院2, 付属病院3, 短期大学2, 博物館1を有する世界最 大の歯科大学となった。
      日本歯科大学創立100周年記念 2006年1月吉日建立
          日本歯科大学校友会
 
明治40(1907)年6月 私立共立歯科医学校を麹町区大手町に設立
         10月雉子町34番地に校舎移転
明治42(1909)年6月 私立共立歯科医学校が麹町区富士見町6丁目3番地に移転 私立日本歯科医学校と改称
昭和27年(1952) 新制日本歯科大学となる

 
成蹊大学発祥の地の碑  
成蹊学園発祥の地の碑
東京都豊島区西池袋1-9 池袋西口 ふくろう公園


碑文

桃李不言
  下自成蹊
      中村春ニ


明治四十五年
成蹊学園発祥之地
 
906年 中村春二、東京市本郷区西片町の自宅に学生塾を開設(1907年に成蹊園と命名し、1919年まで)
1912年 成蹊実務学校を池袋に創立(1927年まで)、現在の豊島区立元池袋史跡公園にその碑がある
1924年 小学校・中学校・実務学校・実業専門学校を池袋から吉祥寺へ移転
1949年 学制改革に伴い、旧制成蹊高等学校を改組して成蹊大学創設
  
 星薬科大学 発祥の地
 星薬科大学 発祥の地
東京都品川区西五反田7丁目


碑文

星薬科大学 発祥の地
学校法人 星薬科大学
  理事長 大谷孝吉
    平成7年
 
明治44年創立者星一が星製薬株式会社を設立し,社内に教育部門を設けて全人教育を開始(本学の創立)
昭和16年星薬学専門学校設立認可
昭和25年星薬科大学設立される(薬学科)
  
大谷大学開学の碑 
  大谷大学開学の碑
東京都豊島区上池袋1丁目36

碑文

大谷大学 東京巣鴨開学の地
明治34年10月13日, 大谷大学の前身である 真宗大学が 清沢満之を初代学長として, 当時 巣鴨宮仲 と言われていた この地に開校された。大学はその後 京都に移るが, 大谷大学 の近代の黎明はまさに この地に告げられたのである。
           平成12年10月13日
               大谷大学

 
1901(明治34)年10月13日 真宗大学を、東京巣鴨に移転・開校。
1904(明治37)年私立真宗大学、専門学校令により認可
1911(明治44)年真宗大学と高倉大学寮を併合して真宗大谷大学と改称、京都に置くことが決定
1913(大正2)年 真宗大谷大学、上賀茂小山の現在地に移転開設
1949(昭和24)年新制大谷大学(文学部/仏教学科・哲学科・史文学科)を開設
  
 立正大学発祥之地
 立正大学発祥之地
千葉県匝瑳市飯高1789   飯高寺

碑文

沿革
法華経の思想を建学の精神として高く掲げる立正大学は かって日蓮宗の最高 教育機関であった飯高檀林に淵源を発する 天正元年 日統上人によって飯塚 の地に談所が開かれ 同八年ここに移って飯高檀林の礎が築かれた やがて大 檀林として多くの学徒を集めて栄えたが 明治五年 東京の芝日本榎に設けら れた宗教院にその使命を譲った これが後に日蓮宗大学となり さらに立正大 学に発展する 飯高檀林をもって立正大学の淵源とするのはこのような由緒に よるもので その輝かしい歴史と伝統は今日に受け継がれている
  平成二年四月二十八日
        学校法人 立正大学学園 理事長 吉田 文堯
                  立正大学長 大澤 正男
                     撰文 中尾  堯
                     謹書 田淵 親斎
 
天正8年(1580) 日蓮宗の教育機関として千葉県に檀林を創立
明治5年(1872) 檀林を廃し東京芝二本榎に小教院を設立
明治37年(1904) 専門学校令による日蓮宗大学林設置 大崎キャンパス設置
明治40年(1907) 日蓮宗大学と改称
大正13年(1924) 大学令による立正大学設立
昭和24年(1949) 学校教育法により新制大学となる
  
 東京家政学院発祥の地
  東京家政学院発祥の地
東京都新宿区富久町

碑文
東京家政学院発祥の地
   Knowledge
   Virtue 
   Art 
大江スミ(旧姓 宮川)は 英国留学後家政学の理想を実現するため
1923年(大正12年)この地に家政研究所を開設しました
1925年(大正14年)麹町区(現千代田区)三番町に東京家政学院を
創立し今に至ります

2014年(平成26年)5月21日建基  東京家政学院・光塩会・あづま会
 
1923(大正12)年2月東京市牛込区市ヶ谷富久町に家政研究所を開設(創立者 大江スミ)
1925(大正14)年2月東京府より東京家政学院設立認可(2月13日)、東京市麹町区三番町に校舎竣工
1925(大正14)年4月東京家政学院開学(家政高等師範部・家政専修部・家事実習部各種選科)
1927(昭和2)年7月東京家政専門学校設置認可(7月23日)、家政高等師範部を東京家政専門学校とし、家政専修部を東京家政学院本科に改称
1928(昭和3)年4月東京家政専門学校に研究科(裁縫科)・東京家政学院(各種学校)に専攻科設置
1950(昭和25)年3月学制改革により東京家政学院短期大学の設置許可 4月 東京家政学院短期大学開学
1963(昭和38)年4月東京家政学院大学家政学部家政学科開学
  
 濟生學舎
 
 濟生學舎発祥の地
東京都文京区本郷2丁目2

碑文
濟生學舎発祥の地
 明治9年(1876)4月9日, この地に, 医学者・長谷川泰(1842~1912)によって, 「濟生學舎」が開校した。濟生——“広く民衆の病苦を済(すく)う。” この願いを 込めて, 医術開業試験(当時)の予備教育を目ざして創立された学舎に, 西洋医学を志 す優れた学徒が多数集まった。明治12年冬, 火災により校舎を失い, 学舎長の自宅 (現本郷2-7-8)とその隣地に移転, 明治15年, 現在の湯島2丁目(ガーデンパレスの地) に, 本格的校舎を建設し, 附属蘇門(そもん)病院及び薬学部を付設して, 「東京医学 専門学校濟生學舎」と称した。
 かくして, 学舎は隆盛の一途をたどったが, 事情あって, 明治36年(1903)8月31日, 創設者・長谷川泰みずから廃校を布告して, 28年間の歴史を閉じた。その間, 2万1千 余の男女学生が学び, 9千6百余の医師を輩出し, わが国黎明期の医学振興, 地域医療 に果たした役割は極めて大きい。
 「濟生學舎」の廃校直後から, これを惜しむ教師・学生達によって, いくつかの医 学講習会が設けられたが, その一つを母体にして明治37年4月, 「私立日本医学校」 が設立され, 現在の「日本医科大学」(千駄木1丁目)へと発展し, 濟生學舎教育の精 神は受け継がれていった。また, 学舎ゆかりの「東京女子医科大学」, 「東京医科大 学」も, それぞれの道を歩み発展していった。
            東京都文京区教育委員会   昭和63年3月
    日本医科大学 東京都文京区千駄木1-1-5
日本医科大学は、1876年に長谷川泰により創設された済生学舎を前身とし、創立140年を超えるわが国最古の私立医科大学です。本学の源流である済生学舎は、明治維新から間もない明治9年(1876年)、医師の早期育成を目的として設立されました。近代国家として歩みを始めた当時の日本において、西洋医学に基づいた開業医の育成は最重要課題の一つであったのです。
明治9年(1876) 4月 長谷川泰により、西洋医学による医師養成学校「済生学舎」が設立された。実質的にはこれが日本医科大学の前身である。
明治36年(1903)8月 済生学舎廃校。
明治37年(1904)4月 私立日本医学校が設立され、ここに多数の旧済生学舎学生を引き継いだ。
(現在の本学創立記念日4月15日)
明治43年(1910)11月 文京区千駄木の付属病院開設。
明治45年(1912)7月 私立日本医学専門学校となる。
大正8年(1919) 8月 私立日本医学専門学校を日本医学専門学校と改称。
大正13年(1924)7月 付属飯田町医院開設。(現在の付属第一病院)
大正15年(1926)2月 大学令により日本医科大学に昇格、予科を併設。
昭和27年(1952)2月 学制改革により新制日本医科大学となる。
    東京医科大学 東京都新宿区西新宿6−7−1
大正5年(1916年)5月、日本医学専門学校(現 日本医科大学)の学生は学校側と対立し、約450名が同盟退学しました。彼らは理想とする学問の場を自分たちの手で実現させようと新校設立運動を開始し、幾多の困難を乗り越え、同年9月、東京物理学校(現 東京理科大学)の教室を借りて、前身である東京医学講習所の設立した。
大正5年(1916)5月日本医学専門学校(現 日本医科大学)の学生約450名が同盟退学し、新校設立運動を開始
大正5年(1916)9月東京物理学校内(現 東京理科大学)に、東京医学講習所を開設
大正7年(1918)4月東京医学専門学校設立認可(理事長・高橋琢也 校長・佐藤達次郎)
昭和6年(1931)5月附属淀橋診療所(後に博済病院を統合し、淀橋病院と改称)を開設
昭和21年(1946)5月東京医科大学設立が認可され、附属淀橋病院を東京医科大学病院に改称
昭和24年(1949)3月旧制大学学部開設が認可
昭和24年(1949)9月茨城県稲敷郡阿見町に東京医科大学霞ヶ浦病院を開設
昭和27年(1952)2月新制大学の設置が認可
昭和30年(1955)1月学制改革による6年制医科大学の設置が認可
  早稲田大学 拓殖大学  へ
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