このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図で訪ねてみます。

早稲田大学

 
 5千分一東京図 早稲田 明治始めの地図
 
早稲田大学
 早稲田大学 東京都新宿区戸塚町1丁目104 大隈重信が明治十四年の政変で下野した後に設立した東京専門学校を前身とし、日本の私立大学では慶應義塾大学(「早慶」の慶)などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった
1882(明治15)年10月21日に創設された「東京専門学校」です。
早稲田大学の前身 1892年頃には、専門学校の別名として「早稲田学校」と呼ばれていた。
1902年9月2日付で「早稲田大学」と改称しました。専門学校から大学への昇格 1920大正9年大学令による大学となる。
1949昭和24年新制早稲田大学の設立

拓殖大学

 
明治末の地図 小石川区小日向
 
拓殖大学
 拓殖大学 東京都文京区小日向三丁目4番1号 拓殖大学は台湾の開拓を実施するための人材を育成する教育機関として開校した。
初年度は独立した校舎を持たず、和仏法律学校(現・法政大学)の一部を借用していた。(左図)
1901年には現在の文京キャンパスである小石川区茗荷谷へ移転している。
1900明治33年台湾協会学校設立(初代校長は桂 太郎)、富士見町仮校舎で授業を開始。
1901明治34年茗荷谷に新校舎が完成 1904明治37年専門学校令による私立台湾協会専門学校となる
1918大正7年拓殖大学(専門学校令による)に改称 1922大正11年大学令による東洋協会大学設立認可
1926大正15年東洋協会大学を拓殖大学に改称 1
949昭和24年学制改革に伴い、新制大学「紅陵大学」設置認可
1952昭和27年「拓殖大学」へ校名を復元
 
明治末
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