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大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。

東京慈恵会医科大学



東京慈恵会医科大学 発祥之地 碑
碑文から
明治十四年男爵高木兼寛英国医学教授ノ目
的ヲモッテコノ地ニ成医会講習所ヲ開設ス
コレ東京慈恵会医科大学ノ濫觴ナリ.
創立百年ヲ記念シコノ碑ヲ建ツ.
    昭和五十五年五月一日
      第七代学長  名取禮ニ

 
京橋区槍屋町十一番地 (現 東京都中央区銀座4丁目4)


 
5千分一東京図 明治始めの地図 芝区南佐久間町及愛宕町近傍


東京慈恵会医科大学
東京慈恵会医科大学の前身である成医会講習所は1881年(明治14年)に創立された。京橋区槍町十一番地(現在の東京都中央区銀座4丁目4)にあった東京医学会社の一部を借りて開設されている。現在同所には創立100周年を記念して発祥之地碑が建てられている。
1882年(明治15年)、慈善病院である有志共立東京病院が発足している。1887年(明治20年)成医会講習所も成医学校に、次いで東京慈恵医院医学校に改称され、同病院構内(芝区愛宕町二丁目、現港区西新橋三丁目)に移転した。又、同所は看護婦教育所発祥の地でもある
碑文から
   看護婦教育所創設の地
明治17年10月東京慈恵会医科大学学祖
高木兼寛米人リード女史ヲ聘シ有志共立
東京病院構内ニ看護婦育成ノ業ヲ興ス。
是本邦斯界ノ靉靆タル暁雲ニ赫雲ニ赫耀ノ配セ
ルヲ観ルニ庶シ。
創始ノ百歳ヲ記念シ此碑ヲ建ツ。
    昭和59年10月
        東京慈恵会会長 名取禮ニ。

看護婦教育所発祥の地


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