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大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。

明治薬科大学


東京都千代田区一番町
碑文から
明薬発祥之地
明薬は明治35年4月医薬 分業確立を理念として学祖 恩田重信先生により創立され 同40年7月現在地に明治 薬学校々舎を建つ
爾来震災戦災のため麹町笹塚 野沢田無と変遷するも今日の 大明薬に発展せしは創学精神 の継承による茲に発祥の地を明記する 碑を建て母校の発展を祈り 明薬史の道標となす
昭和51年6月吉日
明治薬科大学同窓会 明薬会




 明治末の地図
1902(明治35)年神田区三崎町(現千代田区三崎町)に「東京薬学専門学校」を開校する。開校当時は大成学館の一室を借り受け、学生14人からの出発であった。
1906(明治39)年、「明治薬学校」と改称し、学生数も200人を越えるまでになっていた。この時は自前の校舎ではなかった。6回もの移転を繰り返した事から独立校舎の必要性を感じていた時、紀尾井町の私立誠思小学校が売りに出されていることを知る。そこで、『新医学大字典』の印税と知人からの借金を合わせて同校舎を買収。1907(明治40)年7月より、初の独立校舎での講義が始まった。以来、記念すべき紀尾井町の地は、明治薬科大学発祥の地として歴史に刻み込まれた。
沿革
1902年 東京都神田区神田三崎町に東京薬学専門学校が設立された。
1904年 文部省専門学校令で神田薬学校と改称した。
1906年(明治39年) 明治薬学校と改称。
1907年 東京女子薬学校が設置された。(日本最初の女子薬学校)、同年共に麹町区紀尾井町に移転。
1919年 麹町区中六番町に移転。女子薬学校は移転せず。
1923年 明治薬学専門学校(専門学校令による専門学校に認可された。)同年関東大震災で校舎焼失。
1924年 渋谷区笹塚に移転。
1930年 世田谷区駒沢校舎に移転。同年、笹塚校舎に移転していた東京女子薬学校が東京女子薬学専門学校として認可された。
1945年5月 空襲で笹塚校舎焼失。東京女子薬学専門学校も世田谷区校舎に移る。
1946年 東京女子薬学専門学校が田無町(後の西東京市)に移転。
1949年 新制大学、明治薬科大学が認可された。

千代田区一番町

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