このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。

東京工業大学


教育委員会の説明板

榊神社

 碑文から

蔵前工業学園之蹟 碑文
裏面
 浅草蔵前ノ地ニ東京職工学校ヲ創設セラレタルハ実ニ明治十四年ノ事ニ属ス。爾来歳ヲ閲スルコト六十二星霜,技術者ヲ輩出スルコト万ヲ超エ,此間時勢ノ進運ニ伴ヒ校名ヲ明治二十三年東京工業学校ニ,同三十四年東京高等工業学校ニ改メラレタルガ,偶々大正十二年大震ニ遭ヒ,其復興ヲ企図スルニ当リ,寧ロ都心ヲ離レテ郊外ノ地ヲ卜スルニ若カズトナシ,翌十三年大岡山ノ地ニ移リ,昭和四年昇格シテ東京工業大学ト呼称セラルルニ至ル。其校門ヲ出ヅル者,何レモ質実剛健ノ校風ヲ継承シテ,今ヤ所謂蔵前出身ノ技術者ハ,全東亜ニ亘リテ建設ノ重要部門ヲ担ヒ,各其特色ヲ発揮シテ産業報国ノ実ヲ昂揚シツツアルハ,世ノ等シク認ムル所ナリ。然ルニ此工業発祥ノ地トモ謂フベキ蔵前学園ノ蹟ニ至リテハ,既ニ全ク変貌シテ其面影ヲ偲ブニ由ナク,今ニシテ之レヲ表示スルニ非ラザレバ,此由緒深キ学園ノ地モ,逐ニ湮滅セラレンコトヲ惧ル。恰モ好シ,往年其正門所在地付近一帯ハ榊神社ノ境内トナリ,之レヲ標識スルニ便アリ。是ニ於テ本会ハ神社関係者ト相図リ,石ニ刻シテ其地蹟ヲ表シ以テ蔵前工業学園ノ蹟ヲ永ク後世ニ伝ヘントス。
    昭和十七年一月吉日
            社団法人   蔵前工業会
            帝国教育会長 永田秀次郎撰


蔵前工業学園之蹟 碑


5千分一東京図 明治始めの地図 蔵前周辺

碑文から
この辺り蔵前の地,旧浅草御蔵の跡には,今日の東京工業大学の前身である官立の東京職工学校(のち東京工業学校,東京高等工業学校と改称)の校舎及び東京工業大学の艇庫・宿舎等があった。
 東京職工学校は,明治14(1881)年5月26日に創設され,同15年6月10日文部省より浅草区蔵前東片町29番地の地所並びに浅草文庫の建屋を交付され,校舎新築の工事を起こした。その後,明治23年3月24日東京工業学校,明治34年5月10日東京高等工業学校と改称され,敷地も南元町38番地の土地を加え,校舎も鳥越川から六番堀まで及んだ(現柳橋2丁目から蔵前1丁目に及ぶ地域:右下図参照.榊神社の場所に,学校の表門があった.境内に石碑「蔵前工業学園の蹟」などがある).学校は充実・発展し,大正12(1923)年春には,衆議院・貴族院で大学への昇格が決定した。しかし,その秋の9月1日関東大震災により灰塵に帰し,学校当局は当地での再建を断念し,市外荏原郡大岡山に移転,昭和4(1929)年4月1日東京工業大学の設置が正式に決まり,今日に及んでいる。
 蔵前の飛び地,元蔵前2丁目1番45号の当地(旧浅草南元町,のち浅草蔵前2丁目12の11)約773坪は,その後も蔵前艇庫(昭和29年落成)等に使用され,伝統ある東京工業大学端艇部活躍の拠点となってきた。しかし昭和50年3月25日,東京都下水道局との土地交換が成立し,東京工業大学は,横浜市緑区の留学生会館用地などを得て,蔵前からすべて移転した。この標(しるし)は,東京工業大学の発祥の地を記念して建てたものである。


東京工業大学発祥の地


浅草御蔵の跡

大岡山 東京工業大学

東京職工学校
東京工業大学の起源は明治14年1881年5月26日に浅草区蔵前に設立された東京職工学校である。「蔵前工業学園之蹟」は東京職工学校の表門跡付近に出来た榊神社にある。この地は浅草文庫の跡地でもある。「東京工業大学発祥の地」の碑は東京都下水道局の駐車場入り口にある。この地は東京工業大学端艇部の蔵前艇庫があった場所である。碑の前にはフェンスがあり、かなり見づらい場所に建っている

大岡山 東京工業大学

東京経済大学  へ
トップページ   旧道行脚   沖縄もくじ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください