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大学の発祥 |
古地図で訪ねる大学の始め
大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。
東京工業大学
教育委員会の説明板 | 榊神社 |
碑文から 蔵前工業学園之蹟 碑文 | 蔵前工業学園之蹟 碑 |
5千分一東京図 明治始めの地図 蔵前周辺 |
碑文から この辺り蔵前の地,旧浅草御蔵の跡には,今日の東京工業大学の前身である官立の東京職工学校(のち東京工業学校,東京高等工業学校と改称)の校舎及び東京工業大学の艇庫・宿舎等があった。 東京職工学校は,明治14(1881)年5月26日に創設され,同15年6月10日文部省より浅草区蔵前東片町29番地の地所並びに浅草文庫の建屋を交付され,校舎新築の工事を起こした。その後,明治23年3月24日東京工業学校,明治34年5月10日東京高等工業学校と改称され,敷地も南元町38番地の土地を加え,校舎も鳥越川から六番堀まで及んだ(現柳橋2丁目から蔵前1丁目に及ぶ地域:右下図参照.榊神社の場所に,学校の表門があった.境内に石碑「蔵前工業学園の蹟」などがある).学校は充実・発展し,大正12(1923)年春には,衆議院・貴族院で大学への昇格が決定した。しかし,その秋の9月1日関東大震災により灰塵に帰し,学校当局は当地での再建を断念し,市外荏原郡大岡山に移転,昭和4(1929)年4月1日東京工業大学の設置が正式に決まり,今日に及んでいる。 蔵前の飛び地,元蔵前2丁目1番45号の当地(旧浅草南元町,のち浅草蔵前2丁目12の11)約773坪は,その後も蔵前艇庫(昭和29年落成)等に使用され,伝統ある東京工業大学端艇部活躍の拠点となってきた。しかし昭和50年3月25日,東京都下水道局との土地交換が成立し,東京工業大学は,横浜市緑区の留学生会館用地などを得て,蔵前からすべて移転した。この標(しるし)は,東京工業大学の発祥の地を記念して建てたものである。 | 東京工業大学発祥の地 |
浅草御蔵の跡 |
大岡山 東京工業大学 | 東京職工学校 |
東京工業大学の起源は明治14年1881年5月26日に浅草区蔵前に設立された東京職工学校である。「蔵前工業学園之蹟」は東京職工学校の表門跡付近に出来た榊神社にある。この地は浅草文庫の跡地でもある。「東京工業大学発祥の地」の碑は東京都下水道局の駐車場入り口にある。この地は東京工業大学端艇部の蔵前艇庫があった場所である。碑の前にはフェンスがあり、かなり見づらい場所に建っている。 | 大岡山 東京工業大学 |
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