このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

競馬場 

古地図で巡る消えた競馬場 2

 地図で見る競馬場は白色部分が多くその楕円形の形からすぐ識別することができる。自然の地形を写した地図の中にかなり大きな人工物である競馬場があると、なぜか興味を引かれてしまうものである。現在はなくなってしまった競馬場を古い地図から探して紹介したいと思います。

根岸競馬場


明治41年発行 2万分の1 横浜

根岸競馬場は1866年横浜居留地の欧米人の為に建設された。馬場は中央が窪んだやや起伏のある地形であった。ここは日本で最初の近代競馬場であった。当初は居留地の外国人の運営であったが1880年政府高官も加わった日本レース倶楽部の運営となり、日本人の参加も認められた。
1943年春、海軍によって閉鎖され軍事施設として接収された。戦後も米軍に接収されたが1969年馬場部分が返還され横浜市の森林公園となった。

上の写真は1930年に完成した鉄筋コンクリート製のスタンド。

大船競馬場


昭和8年発行 2万5千分の1 戸塚

昭和初期にあったと言うだけで詳しい情報は不明である。閉鎖後の1936年、松竹の撮影所が蒲田から移転し松竹大船撮影所となった。1995年松竹大船撮影所の一部にテーマパーク「鎌倉シネマワールド」として開設されたが1998年には閉鎖されている。
撮影所は2000年に閉鎖され鎌倉女子大学大船キャンパスとなっている。撮影所だった敷地の一角には小公園があり、渥美次郎や美空ひばりの看板が立てられ撮影所が有った事を思い起こさせてくれる。

新・戸塚競馬場


昭和22年発行 2万5千分の1 戸塚

戸塚競馬場は1942(昭17)年から1950(昭25)年まで存続していた。跡地は現在汲沢団地となっている。団地の敷地の境界線は当時の馬場の曲線と重なるようである。写真左は馬場内側に凹んだ部分辺り。
戸塚競馬場はもう一カ所あり、戸塚駅の東側の日立製作所の所にあった競馬場で1933(昭8)年から1942(昭17)年まで存続していた。西に「駒立橋」がありその頃の名残であろうか。

八王子競馬場


昭和30年発行 2万5千分の1 八王子


八王子競馬場は昭和3年から24年まで途中鍛錬馬場、都営競馬、牧場と騎手学校と名を変えながらも続いた。跡地は現在、都立科学技術大学、日野4中、八王子市高倉小、八王子東校などになっている。走路内の八王子市と日野市の境界線が現在の高倉小の南側の道となっている。北側の競馬場走路は高倉小の北側を通っていたと思われる。上の写真は東側から見たものである。
地図上で現在残っているものは甲州街道と八高線あとは送電線のルート(右上の写真)が当時のままである。

都立科学技術大学

羽田競馬場


昭和7年発行 2万5千分の1 穴守


羽田空港
現在の羽田空港内にあった羽田競馬場は昭和2年から12年まで存続した。東京府馬匹畜産組合連合会によって運営され、昭和13年、翌年の軍馬資源保護法の施行にあわせ廃場となった。昭和12年秋季まで地方競馬として全国最高の売上を誇った事もあった。
地図上の穴守稲荷神社付近は現在空港敷地内になっており、穴守駅前にあった大鳥居だけが往時を忍ぶものとして空港南西の敷地外に移設され残っている。当時の羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町は昭和20年空港拡張のため、米軍により強制撤去になっている。
大鳥居

洲崎競馬場


昭和6年発行 1万の1 洲崎


洲崎競馬場(江東競馬場)は昭和2年〜3年の短期間存在した。写真は競馬場が有ったと思われる江東運転免許試験場の南側付近である。
なお運転免許試験場の東側は洲崎球場があったところである。昭和11年日本で6番目に結成されたプロ野球チーム「大東京軍」の本拠地だった。昭和11年(1936)巨人とタイガース(現在の阪神)による初のプロ野球日本一決定戦(3連戦)が開催され、沢村栄治投手擁する巨人が初代王座を獲得した。

松戸競馬場


大正8年発行 2万5千分の1 松戸

松戸競馬場は明治38年に開場している。始め総武競馬会と称したが後に松戸競馬倶楽部と改称した。大正8年には中山競馬場へと移転し、閉鎖している。その後ここは陸軍工兵学校となった。左の写真の松戸中央公園の門は工兵学校当時のものである。現在敷地は前述の松戸中央公園や聖徳大学、裁判所支部となっている。
松戸競馬場のコースがかくも変形走路となっているのは当時、競馬開催の条件として一哩以上の馬場を設備する事が条件付けられていた為であり、地形の制約からこのようなコースとなってしまったのである。

柏競馬場


昭和5年発行 2万5千分の1 流山


競馬場跡西側
柏競馬場は1928年に開設され1952年に閉鎖されている。跡地は豊四季台団地となっており、かつての面影は何も残っていない。柏競馬場の名は船橋競馬場で行われる「かしわ記念」として残っている。
戦後、柏競馬場は1949年に千葉県営競馬として再開されたが交通の便の悪さや競輪との競合で売り上げは振るわず1950年が最後の開催となり、1952年船橋競馬場へ移転となり、廃止された。
競馬場跡北東側

市川競馬場


昭和7年発行 2万5千分の1 船橋


江戸川土手から競馬場跡を望む
市川競馬場は昭和6年から14年まで開催されている。千葉県畜産組合連合会が運営母体で東葛飾郡行徳町に開設した。当時一県三カ所の競馬場までとなっていた為、香取郡の九美上競馬場の権利を買い取り昭和6年に開設している。
人気のあった競馬場も昭和14年には軍馬資源保護法が施行され、廃止となった。その後陸軍高射砲陣地となり、跡地は現在、住宅地や大洲防災公園となっている。
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