このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

普通乗車券
普通片道乗車券
 箕面有馬電気軌道時代の普通乗車券から紹介したかったのですが、回数乗車券や定期乗車券ほど持ち合わせがありません。箕面有馬電気軌道時代の中途半端な解説をするよりも、阪神急行電鉄時代から始めたほうが良いのではないかと思い、箕面有馬電気軌道時代のページの掲載は見合わせました。ある程度の資料が集まれば箕面有馬電気軌道時代のページを新たに掲載したいと思っています。

 箕面有馬電気軌道開業当初、区間境界駅は「宝塚」「池田」「石橋」「箕面」「三国」「大阪」の6駅でした。
 そのなかで「池田」が大正5年ごろに「花屋敷」に変わりました。私が持っている乗車券で、「池田」表記の最後の乗車券の発行日は大正5年2月ですので、そのころは「池田」がまだ区間境界駅だったようです。
 「宝塚」「池田」間では大正5年8月に雲雀丘駅が開業しており、雲雀丘駅開業時に区間境界駅が変更になったと思うのですが、正確には特定できません。御存知の方がおられましたら、ご教授いただければ嬉しいです。
 
 画像左は平成12年(2000年)、阪急電鉄開業90周年にあたり発行されたラガールカードです。

 「開業当初の1区券」となっていますが、開業当初は区間数を表す条線が当時の阪神電気鉄道の乗車券と同じく縦となっていました。(箕面有馬電気軌道時代前期券)
 その後、区間数を表す条線は斜線で加刷となりますが、その時期の区間境界駅は上述の通り「花屋敷」ではなく「池田」でした。(箕面有馬電気軌道時代中期券。「回数乗車券 箕面有馬電気軌道時代」の項目もご参照ください。)

 画像左のラガールカードに使われた乗車券は大正5年ごろから大正7年にかけて発行された箕面有馬電気軌道時代後期券で、以下で紹介する「阪神急行電鉄時代 大正期神戸線開通前」の乗車券にもこの様式が踏襲されています。
 下に宝塚線の区間境界駅の変遷(明治43年〜昭和17年)を紹介しておきます。
区間境界駅 明治43年〜大正5年ごろ区間境界駅 大正5年ごろ〜昭和17年
阪神急行電鉄 時代その1
大正期神戸線開通前 大正7年〜大正9年
大正期神戸線開業前1区券
 大正7年(1918年)2月、箕面有馬電気軌道は阪神急行線(神戸線)開通を前に阪神急行電鉄と社名を改称しました。
 社名改称時の初乗り1区間運賃は通行税共6銭でしたが、3ヶ月後の5月には通行税共7銭となりました。たった3ヶ月間ですが、阪神急行電鉄地紋の初乗り6銭券が存在したのではないかと思います。
 画像上は大正7年(1918年)から大正9年(1920年)の阪神急行電鉄神戸線(阪神急行線)開通前まで使われた初乗り7銭の普通片道乗車券です。区間境界駅を上下に配する様式で、箕面有馬電気軌道中期券から使われた「区間数を斜線で加刷」する方式を踏襲し、表記された区間境界駅は箕面有馬電気軌道後期券と全く同じ「宝塚」「花屋敷」「箕面」「石橋」「三国」「大阪」の6駅でした。

大正期宝塚線用券 大正9年〜大正15年
大正期宝塚線用1区券         大正期宝塚線用3期券
大正期宝塚線用区内券         大正期宝塚線用市内券 
 大正9年(1920年)、阪神急行電鉄神戸線(阪神急行線)開通を控え、初乗り1区間運賃が通行税共9銭となりました。
 神戸線(阪神急行線)開通後、宝塚線と神戸線は別々の運賃制度を採用したため、宝塚線用・神戸線用の片道乗車券が作られました。

 画像上は大正期の宝塚線用普通片道乗車券です。左から1区券、区内券、市内券で、区間境界駅を上下に配する様式は変わりませんでしたが、区間数は地紋に条線で印刷される様式となり、この条線印刷の地紋が昭和17年まで続きました。(区内券・市内券は条線無しです。)
 券面には「神戸線ニハ通用セズ」と「途中下車前途無効」の二文が増え、通行税を表す税共表記が括弧付きとなりました。
 
昭和期宝塚線用前期券 大正15年〜昭和5年ごろ
昭和期宝塚線用前期1区券昭和期宝塚線用前期2区券昭和期宝塚線用前期3区券昭和期宝塚線用前期4区券
昭和期宝塚線用前期区内券赤昭和期宝塚線用前期区内券青昭和期宝塚線用前期市内券赤昭和期宝塚線用前期市内券青

 大正15年(1926年)、普通片道乗車券に1銭加算されていた通行税が廃止されたのに伴い、宝塚線用の普通片道乗車券の様式が変更されました。
 これまで上下に区間境界駅を配していましたが、これ以降は券面下に区間境界駅が一列に並んだ様式となりました。
 1区券と2区券は宝塚線の区間境界駅6駅すべてを表記し、3区券は「石橋」を除く5駅、4区券は「宝塚」と「大阪」の2駅を表記していました。区内券は区内運賃の対象となった宝塚-清荒神、雲雀丘‐池田、桜井‐箕面の3区間を二重線で結んでいました。
 この様式は新しい地紋に変わるまで5年ほど使われました。

昭和期宝塚線用後期券 昭和5年ごろ〜昭和17年
昭和期宝塚線用後期1区券赤昭和期宝塚線用後期1区券青昭和期宝塚線用後期2区券昭和期宝塚線用後期3区券
  昭和期宝塚線用後期区内券  昭和期宝塚線用後期市内券昭和期宝塚線用後期市内券
 前項「普通乗車券について」の中でも解説しましたが、昭和5年ごろから地紋の社章が線の細いスマートなものに変わりました。券面自体には変更はありませんでしたが、この様式が約12年間続き、宝塚線用券の最後の様式となりました。

 昭和17年(1942年)、神戸線と宝塚線が統一運賃制となり、普通片道乗車券も統一され大型化されますが、その時期の普通片道乗車券は神宝統一期券として後述します。
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