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箕面有馬電気軌道開業当初から普通片道乗車券とともに普通往復乗車券が発行されていました。
通用発売当日限りの普通片道乗車券に対して、普通往復乗車券の通用は2日間。往復乗車券の右半分が往券(ゆき)、左半分が復券(かえり)となっていました。大正15年まで課税された通行税は往復で1銭でした。
現存する普通往復乗車券は右半分が無い復券だけのものが多く、ここで紹介する普通往復乗車券も復券だけのものが多いです。復券だけのものでも、往券の部分を影として残しました。左半分だけの切符でも、全体の大きさが把握できると思います。 |
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大正7年(1918年)2月、箕面有馬電気軌道から阪神急行電鉄に社名を改称しました。
画像上は大正7年5月の運賃改定後に発行された2区の往復乗車券と市内往復乗車券です。大正9年(1920年)の阪神急行線(神戸線)開業前の往復乗車券ですので「神戸線ニハ通用セズ」の表記はありません。
2区往復券の地紋の色は緑色、市内往復券は青い社章だけの地紋となっていまして、大正9年以降の地紋とは異なります。
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画像上は大正9年(1920年)神戸線開業後に発行された宝塚線用の往復乗車券各種です。
通行税の表記が「通行税共」から「(税共)」に変わり、「神戸線ニハ通用セズ」という表記が増えました。
区間境界駅の表記は普通乗車券と同じで、市内往復乗車券は市内対象駅の「十三」「梅田」表記でしたが、のちに「十三」「大阪」表記に変わりました。
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画像上は大正15年(1926年)の通行税廃止後に発行された3区の往復乗車券と市内往復乗車券です。
区間数と運賃を表記する活字が小さくなりました。
通行税期は片道乗車券、往復乗車券ともに1銭の通行税加算でしたので、往復乗車券を購入すれば片道乗車券2枚分の運賃よりも1銭安かったのですが、通行税廃止後は単純に片道乗車券2枚分の値段となりました。
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昭和5年ごろの地紋変更後の往復乗車券です。
券面の表記には変更はなく、この様式が昭和17年(1942年)の神宝統一期まで使われることとなりました。
神宝統一期の往復券につきましては後述します。
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