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昭和8年(1933年)ごろから使われはじめた宝塚線の回数乗車券表紙です。この様式の表紙は昭和17年(1942年)の神宝線統一期まで、約10年ものあいだ使われましたので、いまでも相当な数が残っているようです。
この様式から「回数乗車券」の文字が縦書きとなり、左側には「阪神急行電鉄株式会社」の文字も縦に印刷されました。
左上は宝塚線用の普通回数乗車券です。表紙は全体的に水色で、券片は右下画像の上のもの。券片の地紋も水色になりました。注意書きは裏表紙に印刷され、最初に「本券は宝塚線にのみ通用致します」と印刷されています。中期に表紙裏に印刷されていた「宝塚線路図」は無くなりました。
右上は市内回数乗車券です。表紙は全体的に緑色で、こちらも注意書きが裏表紙になり、最初に「本券は梅田、十三、相互間に通用致します」と印刷されています。
左下は区内回数乗車券です。表紙は全体的に灰色で、券片は右下画像の下のものです。券片の地紋も灰色ですが、6つ並んでいる対象区間の表記が普通乗車券の区内券のように括弧で2つずつ結ばれていません。注意書きの最初には「本券は区内として特に指定しある区間にのみ通用致します」と印刷されています。
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| ※ 神戸線用の回数乗車券は大正期と昭和期を分けたかったのですが、大正初期の回数券表紙を所有しておりませんので、ここでは前・中・後期と簡単に分けることにしました。現物、もしくは掲載可能な画像が手に入りましたら、改めて紹介しようと思っております。
表紙はありませんが、神戸線開業以降の回数券片は画像左のとおりです。一番上が大正9年(1920年)の神戸線開業当初のもの。「大阪 神戸 塚口 伊丹 間」となっていまして、区界駅表記が6駅です。
真ん中が大正10年(1921年)の西宝線開通後のもの。「西宮北口 宝塚 間」の文字が増え、区界駅表記も「小林」「宝塚」が増えて8駅となりました。
下が大正13年(1924年)の甲陽線開通後のもの。通用区間の表記が線名となりました。西宝線が西宮線と誤表記されています。区界駅表記に「甲陽園」が増え、西宝線の区界駅が左横になりました。この時の回数券表紙が下で紹介するものです。 |
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画像上の左は大正13年(1924年)甲陽線開通後、通行税が廃止となった大正15年(1926年)4月までに使われていた回数乗車券の表紙です。通行税廃止後に使われたもので、金額が訂正されています。その右は、通行税廃止後、同年12月の今津線全線開通まで使われていた回数乗車券表紙です。
画像右が、両方の表紙裏です。注意書きの最初に「本券は大阪神戸間 西宮北口宝塚間 塚口伊丹間に通用致します 尚ほ三国神戸間にも通用致します」と印刷されています。甲陽線の区間の表記がないところをみると、西宝線開通時のものをそのまま使っていたようです。
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上は昭和3年(1928年)ごろから使われはじめた回数乗車券の表紙です。通用区間の印刷が消え、「回数乗車券」の文字の右上に「神戸線」の文字が印刷されました。
表紙の裏には「神戸線路図」(画像右上)が赤色で印刷され、裏表紙(画像右下)には注意書きが印刷されていました。
宝塚線用回数券中期と同じく、昭和5年ごろより阪神急行電鉄の社章のデザインが新しくなった回数券がでています。 |
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左上は昭和8年(1933年)ごろから使われはじめた回数乗車券の表紙です。表紙は中期のものとほとんど同じですが、注意書きが裏表紙に縦に印刷されたところをみると、宝塚線後期券と同じころに様式が変更になったようです。
右上画像の上の回数券片は昭和11年(1936年)の神戸市内高架線開業前まで使われていた回数券片、下は開業後の回数券片です。この時期は区界駅が短いあいだに頻繁に変わりましたので、あと2〜3種類ほど存在するようです。
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