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昭和17年(1942年)4月1日、阪神急行電鉄神戸線と宝塚線の運賃体系が統一されたことにより、定期券の様式も変更となりました。
略記号の項でも書きましたが、この様式から神戸線・宝塚線を示す線別の略記号が無くなり、一番上が種別の略記号となりました。また、これまで表示されなかった「普通」の略記号や、「工員」の略記号が種別に表記されるようになりました。
普通定期券で神宝2種、学生定期券で神宝2種あった地紋の色は、地紋のデザインが変わるとともに、普通定期券が赤色、学生定期券が緑色の地紋になりました。 |
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上は運賃改定翌日の昭和17年(1942年)4月2日に発行された、普通定期券4区6ヶ月券です。区界駅が細分化されましたので、これまでの最大区数であった神戸線4区(「梅田」‐「春日野道」・「宝塚」)よりも短い区間となっています。また、この様式から定期券の角を丸く切りとることがなくなり、用紙も少し薄くなりました。
裏面の御注意欄が4箇条から3箇条に減り、いままで印刷されていた運賃欄が記入式となっています。同じ昭和17年後半に運賃欄が印刷された後期券が出ているところから、前期券が印刷されている時にまだ運賃の認可が下りていなかったのかもしれません。 |
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上は昭和17年(1942年)5月に発行された、学生定期券4区6ヶ月券です。宝塚線も区界駅が細分化されましたので、これまでの最大区数であった宝塚線4区(梅田‐宝塚)よりも短い区間となっています。
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上は昭和18年(1943年)1月に発行された、普通定期券梅田‐夙川特区3ヶ月券です。神宝統一期には1区から10区の定期券のほか、特区定期券(「神戸」‐「六甲」間と「神崎川」「三国」「梅田」相互間)が発売されました。もうひとつの特区「梅田」‐「夙川」は定期旅客運賃表では「梅田」‐「夙川」の料金が別に表記されていましたが、「4区扱い」ということで、通常の4区券が使用されました。
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上は昭和17年(1942年)11月に発行された、学生定期券4区3ヶ月券です。
裏面御注意欄の右上には定期券の種別が括弧つきで印刷されました。また、神宝統一期定期券前期では記入式であった運賃が印刷となりました。
このタイプの神宝統一期定期券は、阪神急行電鉄の時代に利用されたものがあまり残っておらず、後述の京阪神急行電鉄時代の流用券の状態で多く残っています。
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上の定期券は昭和20年(1945年)に発行された普通定期券2区1ヶ月券の流用券です。
昭和18年(1943年)、阪神急行電鉄は京阪電気鉄道と合併して京阪神急行電鉄に社名を変更しました。しかし社名変更後も区間の略記号や運賃を消した状態で流用されました。上の定期券のように昭和20年まで流用されていたようです。
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上の定期券は昭和20年(1945年)に発行された工員定期券4区3ヶ月券の流用券です。
軍需工場などで働く人のために、普通定期券よりも割引率を高く設定して発行されたのが工員定期乗車券で、地紋は暗い紫色です。 |
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上の定期券は昭和19年(1944年)7月に発行された学生定期券10区6ヶ月券の流用券です。
流用券では珍しい神宝統一期定期券前期の券で、神宝統一期に最大区数だった10区券を表す「10」の略記号が消されています。(裏面運賃欄には学生定期10区6ヶ月の運賃「32」圓「80」錢がスタンプで押されています)
神宝統一期の10区は「神戸」‐「箕面」間のみでしたが区間境界駅は記入式となっており、流用の際は「神戸」「箕面」とは全く関係のない駅にまで配られていたことが分かります。 |
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