このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


東濃鉄道駄知線・廃線跡を歩く


土岐市〜下石/ 下石〜東駄知


その1・土岐市〜下石

東濃鉄道駄知線の起点は、JR中央西線土岐市駅の名古屋方面行き列車が発着する、1番ホームの先端であった。なお、昭和40年代にはこのホームは4番ホームだったようだ。

←現在の土岐市駅

(↑左・旧駄知線ホーム。中・駄知線土岐市駅跡の遠景。右・封鎖された階段)
 この1番ホームが欠けた、先端左側が駄知線のホームだった。現在、駄知線土岐市駅跡は土岐市所有の駐車場になっている。そのスペースの大きさから、駄知線が陶磁器や陶土などを運んだ貨物輸送のウェイトが高かった全盛期を彷彿させる。JR土岐市駅の跨線橋には、主に中津川方面行きの列車が発着する2・3番ホームからの連絡を見越して、駅本屋とは逆方向に駄知線に乗換えるための階段があったが、不正乗車防止のためか、その階段は駄知線廃止後に封鎖され30年近く放置されていた。ところが、2002年春に土岐市駅のバリアフリー工事が行われ、土岐市駅本屋側の階段が全面的にエスカレーターに代わったため、駄知線乗換用専用階段の封印が解かれ、一部改修の上で四半世紀ぶりに利用可能となった。

 土岐市駅の西に東濃鉄道の関連会社が所有する駐車場がある。これが駄知線の前身である駄知鉄道土岐津駅跡である。駄知鉄道開業当時、駄知線は国鉄土岐津駅(現在のJR土岐市駅)に乗り入れておらず、土岐津駅への乗り入れを実現した1928年(昭和3年)までは、ここから200mほど西へ行ったこの場所から発着していた。ここも広大なスペースである。なお、戦前にはこのあたりに新土岐津駅が設置されていた。その痕跡は確認できないが、「新土岐津」の名はこのあたりの通称地名として生き残っている。

←初代土岐津駅跡。
 土岐市駅から中央西線と並行していた駄知線は、土岐市駅から西へ400m程のところ(土岐市泉町久尻新土岐津)で中央西線と分かれ、一路南へ向かう。ここから駄知線線路跡はサイクリングロードとなっており、駄知線の経路をたどることができる。サイクリングロードは厳密にいうと、土岐市駅北口(地元民は「駅裏」と呼ぶ)から始まっているのだが、土岐市駅北口からここまでは駄知線との関係はない。

←中央線とはここでお別れ。列車は中央西線で話題の列車 「セントラルライナー」
 少し行くと土岐川鉄橋跡に着く。ここには駄知線の鉄橋があったのだが、1972年(昭和47年)7月の集中豪雨で流出してしまい、これが駄知線廃止の引き金となった。サイクリングロードも土岐川区間は寸断されているが、すぐ脇に橋(永久橋)があるため、対岸へ渡ることができる。南側(土岐津町側)に木が3本並んでおり、そこから鉄橋が架かっていた。

←土岐川鉄橋跡。
 泉町から土岐津町へ入り、サイクリングロードに戻ると、すぐに神明口駅跡がある。片面ホームだけの小さな駅であった。ホーム西側に貨物用のホームがあり、この地域の特産であった蛙目粘土や硅砂などの陶土や陶磁器の積み出しが行なわれていた。この駅の乗降客数は少なく、貨物取扱がメインであった。現在、駅跡は駐車場に、貨物ホーム跡は東濃鉄道系列である東鉄運輸の営業所になっている。左前方の大樹はきっと、駄知線の移り変わりを現在も見つめつづけているのだろう。


←神明口駅跡。下石方面を望む。左側に旅客ホームと駅舎があり、右側に貨物ブースがあった。
(↑左・土岐津町上田地区の廃線跡、中・土岐口駅のホーム跡、下石方面を望む。右・陶土積み出し用の倉庫。現役である。)
 神明口駅を過ぎると緩やかな登り坂に入る。そして家々の間を擦り抜けると土岐口駅である。この駅は 列車の交換が可能であり、また、土岐商業高校にも近いため多数の高校生が利用した。1999年取材当時はホーム跡もはっきりと確認できるほどだったが、2004年頃にサイクリングロード部分を除く大部分が取り壊され、ホーム跡には住宅が建っている。この駅も貨物の積み込みが行なわれており、陶磁器や陶土が運ばれた。その名残なのか、土岐口駅跡の脇には取り壊しから逃れた倉庫があり、現在も利用されているようだ。

 土岐口駅を過ぎると再び上り坂に入る。この坂は粘土坂と呼ばれ、この辺りでは陶土の産出が盛んに行な われており、駄知線沿いにも複数の陶土工場が稼動していた。この坂の頂上である総合病院前交差点で一旦サイクリングロードは途切れてしまう。

←駄知線跡沿いに、現在も稼動している陶土工場。
土岐口〜下石間、下石方面を望む。
土岐総合病院下の交差点から下石町の裏山口バス停までの大半は、県道19号線が 駄知線の線路跡である。現在の道路付近を駄知線が走り、自動車など(県道)はその1段下を走って いたようだ。妻木川を眺めるとその右岸に道路らしきものが残っているのでわかる。
(↑左・下石駅跡。右・下石に到着したバス。)
 裏山口バス停前より再び駄知線線路跡のサイクリングロードが始まる。しばらく平坦な道が続くが次第に 建物が密集しはじめ、小さな川を渡ると下石駅である。下石駅は、駄知線の途中駅では最大の乗降客数の ある駅だった。ここは列車の交換が可能で、貨物の発着業務も行なわれていた。下石駅跡は現在、東濃鉄 道系の東鉄タクシーの営業所と下石郵便局、そして公民館がある。昭和40年代までは下石駅前から妻木や 多治見・笠原方面へのバスが発着していたため、駅前はバスも発着できる立派なものであった。下石駅前 は現在も当時の面影をよく残しており、下石駅は鉄道廃止後「下石バス停」となったものの、現在も地域 交通の拠点である。

下石〜東駄知間に続きます。



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